第26話 消印の日付
依頼人は七十代の女性で、事務所へ入ってきた時から封筒を胸に抱えるように持っていた。
「息子がおかしな手紙を送ってきたんです」
不安そうな声だった。
名前は堀川澄子。
海外で働いている息子の堀川哲也から、「財産を自分へ移してほしい」という内容の手紙が届いたという。だが哲也本人へ連絡すると、「そんな手紙は送っていない」と否定したらしい。
ちひろが封筒を受け取る。
「筆跡は似てるんですか」
「似てます……でも、こんなこと言う子じゃないんです」
草薙は無言で封筒を見た。
消印。
日付。
紙の折り目。
しばらく視線を動かした後、小さく言う。
「おかしいね」
「何がです?」ちひろが聞いた。
「封筒の消印が二十日。手紙の日付は二十三日」
ちひろが目を丸くする。
「あ……封筒の方が先ですやん」
「普通は逆だよ」
草薙は封筒の端を指でなぞった。
「古い封筒を使い回してる可能性が高い」
「そんなことします?」
「財産絡みならやる人はいる」
草薙は澄子を見た。
「哲也さんから前にもらった手紙、残ってますか」
「あります」
澄子が鞄から古い封筒を何通か取り出した。
草薙はその中の一通を抜き出す。
「これだね。同じ消印」
ちひろが見比べる。
「ほんまや……。封筒だけ再利用してますわ」
「一回開けた跡もある」
「分かるんですか」
「端が少し浮いてる。蒸気で剥がした形だよ」
澄子が不安そうに口を開く。
「やっぱり誰かが偽造を……」
「心当たりはありますか」
少し迷った後、澄子が小さく言った。
「親戚に……昔、相続で揉めた人がいます」
「名前は」
「堀川雅也です」
その時だった。
外で乾いた音が鳴った。
ガン、と道場のガラスへ何かがぶつかる。
ちひろが肩を震わせる。
「今の……」
草薙は立ち上がった。
「ちひろ、澄子さんお願い」
「はい」
草薙が外へ出る。
夕方の商店街。
少し離れた場所に、帽子を深く被った男が立っていた。
男は逃げない。
じっと草薙を見ている。
いや。
正確には、足元を見ていた。
歩幅。
重心。
足運び。
草薙は止まった。
「草薙さん?」後ろからちひろが顔を出す。
「視線の位置がおかしい」
男の目は顔へ上がらない。
ずっと下半身だけを追っている。
草薙が半歩動く。
男も同じ幅で動いた。
右。
左。
半歩遅れて歩幅を合わせてくる。
ちひろが小声で言う。
「……真似してますやん」
「観察して覚えるタイプだよ」
草薙の目が細くなる。
「歩幅が揃いすぎてる」
男が笑う。
「探偵って聞いてたが、変な歩き方だな」
「そっちもだよ」
次の瞬間。
男が低く踏み込んできた。
肩からぶつかるように入り込み、そのまま草薙の右腕を掴む。
草薙は引かなかった。
半歩だけ男の内側へ入る。
掴まれた腕を上へ流したまま、草薙は身体を回転させた。
その回転に、男の重心が遅れて引きずられる。
男の体が前に崩れかけた瞬間、草薙は空いた手を男の頭頂部へ軽く置いた。
向きがそこで固定される。
逃げる方向がなくなる。
男の軸が一気に切れた。
足がもつれ、そのまま崩れる。
草薙は回転の流れを止めず、肩越しに男を地面へ落とした。
鈍い音が響く。
男が息を詰まらせる。
立ち上がろうとした瞬間、草薙の膝が肩を押さえた。
「依頼人を脅した理由は」
男が睨み返す。
「知らねえよ」
「依頼人を見る目じゃなかった」
草薙が静かに言う。
「観察する側の目だった」
男の呼吸が止まる。
「誰に頼まれた」
「……雅也だ」
ちひろが澄子の前へ立つ。
「やっぱり親戚側でしたか」
男は舌打ちしながら身体を起こそうとしたが、右肩に力が入らない。
草薙は追撃しなかった。
「警察呼ぶよ」
男は肩を押さえたまま逃げていった。
後日。
哲也本人から正式な連絡が入り、雅也は私文書偽造で事情聴取を受けた。
帰り道。
夕暮れの商店街を歩きながら、ちひろが言った。
「草薙さん、さっきの技、合気道の何技ですか」
「回転投げに近いね」
「途中で相手、自分から回って倒れてました」
「俺が回ったからだよ」
「掴まれたまま回ってましたもんね」
「人は掴んだまま引っ張られると、重心が遅れてついてくる」
「そこに頭へ手を置いてました」
「向きを固定したんだよ」
「固定?」
「首の向きが決まると、人は逆方向へ踏ん張りにくい」
「だから回転から逃げられへんかったんですか」
「そうなるね」
ちひろは感心したように息を漏らした。
「合気道っぽいのに、最後は全然逃がしてませんでしたわ」
「逃げられると面倒だからね」
ちひろは少し笑った。
「やっぱり草薙流ですわ」




