第25話 燃えなかった家
依頼人は五十代の男性で、事務所へ入ってきた時から疲れた顔をしていた。
怒っているようにも見える。
だが、それ以上に消耗していた。
「放火扱いされてるんです」
男は椅子へ座るなり言った。
名前は村瀬孝雄。
半年前、自宅で火災が起き、一階の一部が焼けたという。
幸い家族に怪我はなかったが、火災保険を申請したところ、保険会社から放火の疑いをかけられ、支払いが止まっているらしい。
「理由は?」草薙が聞いた。
「発火点が不自然だと。家計も苦しかったので、保険金目当てじゃないかって」
「借金は」
「あります。でも、だからって家なんか燃やしません」
村瀬は拳を握った。
「娘もいたんですよ」
草薙は少しだけ目を細めた。
「現場を見せてもらえますか」
村瀬の家は古い木造住宅だった。
焼けた部分は修復途中で、壁材が剥き出しになっている。
草薙は発火点とされた場所の前でしゃがみ込んだ。
壁の一部が黒く焦げている。
ちひろがスマートフォンで撮影しながら聞いた。
「保険会社はここから火をつけたって言ってるんですか」
「そうみたいです」
草薙は焦げ跡を見たまま答えた。
「でも、燃え方がおかしい」
「おかしい?」
「焦げが外へ広がってる」
草薙は壁の下を指で示した。
「コンセント側から熱が抜けた跡があるよ」
ちひろが近づく。
「あ……ほんまや。中心が壁の中ですわ」
「可燃液なら表面から燃え広がる。でもこれは内側から焼けてる」
「漏電ですか」
「可能性は高いね」
後日。
専門業者による鑑定が行われた。
原因は老朽化した配線の漏電。
壁内部で発熱し、出火したものだった。
結果を受け、保険会社は保険金の支払いに応じた。
数日後。
報告に来た村瀬が帰ろうとした時だった。
廊下で男と鉢合わせする。
スーツ姿の男だった。
「保険会社の調査員です」
男は草薙を見る。
「少し話を――」
そう言いながら、草薙の腕を掴んだ。
引き寄せようと力が入る。
だが、草薙は後ろへ引かなかった。
逆に半歩踏み込む。
掴まれた腕の内側へ身体を入れた。
男の脇の下へ肩が潜る。
そのまま腰を落とし、体を回転させた。
男の肘が伸びる。
肩が前へ流れる。
「っ……!」
体勢が崩れた。
草薙は浮いた肘をさらに持ち上げ、手首を背中側へ返す。
男の上半身がねじれ、そのまま壁へ押しつけられた。
短い呻き声が漏れる。
「調査員なら、書類で連絡してください」
草薙は男を押さえたまま言った。
「ここは道場なので」
声は静かだった。
だが、男は動けなかった。
草薙が力を抜く。
男は無言のまま腕を押さえ、足早に去っていった。
帰り道。
ちひろが隣を歩きながら言った。
「草薙さん、また見たことない動きしてましたわ」
「どの辺が?」
「腕掴まれてるのに、そのまま中へ入ったとこです。普通、引き抜こうとしません?」
「引けば相手も引くからね」
草薙は眠そうな顔のまま答えた。
「だから逆に入る」
「常識が逆ですわ」
「掴まれた力は、そのまま使えるよ」
「途中で肘が浮いてました」
「肩の向きを変えたからだよ。肘が伸びると、人は踏ん張れなくなる」
ちひろは少し考えた。
「草薙さん、最後のあれ、合気道の動きですやろ」
「相手の力をそのまま使った入り身でしたし、完全に合気でした」
「入り方はね」
「崩した後は、動けなくした方が早いから」
「怖いことを普通に言わんといてください」
草薙は少しだけ笑った。
商店街の灯りが、夕方の道を長く照らしていた。




