第22話 消えた人間
依頼人は五十代の男性で、事務所に入ってきた時から落ち着きがなかった。椅子に座っても指先が膝の上で動き続けている。
「弟がいなくなったんです」
男はそう言って頭を下げた。
名前は倉田誠一。失踪した弟は倉田次郎。町工場を経営しており、二週間前から連絡が取れなくなっているという。
「警察には?」草薙が聞いた。
「相談はしました。でも事件性が薄いって……。成人男性ですし」
「荷物は」
「自宅にあります。着替えも、財布も、携帯の充電器も残ってました」
ちひろが眉をひそめた。
「財布置いて消えるって、変ですわ」
「弟さん、最後に確認されたのはどこですか」草薙が聞いた。
「工場です。小さい鉄工所で……。あいつ、ほとんど工場で寝泊まりしてたようなもので」
「最近、様子は変わってましたか」
誠一は少し迷った。
「取引先から電話が増えてました。金の話をしてる感じで……。聞いても大丈夫だしか言わなくて」
草薙は少し考えた。
「工場に行けますか」
工場のシャッターは閉まっていた。
誠一が裏口の鍵を開ける。中へ入ると、油と鉄の匂いが残っていた。機械も材料もそのままある。
急いで閉めた場所ではない。
ちひろはスマートフォンで工場内を撮影し始めた。
「生活感ありますね。逃げた人の工場って感じしませんわ」
草薙は事務机へ向かった。
机の上には請求書、メモ、ボールペン。だが引き出しを開けた草薙が手を止める。
「帳簿がない」
「え?」
「ここ、何か入ってた跡がある。埃の残り方が違うよ」
ちひろが覗き込む。
「ほんまや。四角く空いてますわ」
「誠一さん、帳簿はここに?」
「はい。経理関係は全部そこだったはずです」
草薙は周囲を見回した。
壁のカレンダーが目に入る。
先月のページだけが破り取られていた。
「草薙さん」
「見えてるよ」
草薙はカレンダーに近づく。
「先月だけない」
「普通、破ったんやったら下に丸めて捨ててありますやろ」
「処分したかったんだろうね」
「何をです?」
「記録だよ」
草薙は誠一を見た。
「取引先への支払いが滞り始めたのはいつ頃ですか」
「……一ヶ月くらい前からです」
ちひろがカレンダーを見る。
「破り取られた月と一致してますわ」
「そうなるね」
草薙は机を軽く指で叩いた。
「帳簿だけ持ち出してる。金の流れを見られたくなかった可能性が高い」
「夜逃げですか」
「まだ可能性の段階だよ。確認する」
取引先を一件ずつ当たった。
そこで話が繋がった。
「次郎さん、急に大口発注を受けたって言ってましたよ」
「前金を払った後から連絡がつかないんです」
別の会社でも同じ話が出た。
ちひろが小声で言った。
「草薙さん、これ、前金集めて消えた形やないですか」
「まだ断定はできないよ。ただ、その可能性は高い」
「でも荷物は残ってました」
「急いで出たか、戻るつもりがあったかだよ」
「戻るつもり?」
「完全に捨てるなら財布まで置いていかない。考えが揺れてた可能性がある」
草薙は取引先の一人へ聞いた。
「倉田さん、普段よく使ってた宿とかありますか」
「ああ……駅前の古いビジネスホテル、よく泊まってましたね」
宿に問い合わせると、倉田次郎の名前があった。
部屋を訪ねると、次郎は逃げなかった。
ベッド脇に座り込み、顔だけを上げる。
目の下に濃い隈ができていた。
「誠一さんから頼まれて来ました」草薙が言った。
次郎はしばらく黙っていた。
やがて力なく口を開く。
「……機械が壊れたんです」
取引先から納入された材料に不良があり、加工中に機械が故障した。
修理費。
納期遅延。
補償。
資金は一気に尽きた。
「兄貴にも言えなかった」
次郎は俯いた。
「前金だけ受け取って……消えようと思った」
ちひろは隣へ座った。
何も言わなかった。
ただ隣にいた。
後日。
誠一が弁護士を入れ、取引先との交渉が始まった。
次郎は警察へ出頭した。
帰り道。
ちひろが空を見ながら言った。
「草薙さん、カレンダー気づくのさすがやわ」
「ないものは目立つからね」
「うち、全然見えてませんでした」
「破れてる場所は、そこに何かあったってことだよ」
「帳簿がない時点で、夜逃げ考えてました?」
「可能性としてはね。ただ、帳簿だけじゃ弱い」
「だから取引先を回ったんですか」
「確認だよ。一つずつ消していく」
「うち、全部同時に考えて混乱しますわ」
「全部一度に見ると、逆に見えなくなるよ」
ちひろは苦笑した。
「草薙さん、頭の中まで骨法みたいですわ」
草薙は少しだけ笑った。




