第21話 天草 樹
依頼人は五十代の男性で、映像の証拠として提出されたUSBメモリを持ってきていた。依頼人の名は橋本一朗。近所のトラブルで、相手方が防犯カメラ映像を証拠として提出しており、橋本が相手の車に傷をつける場面が映っていると主張しているという。
草薙がUSBを確認し、映像を三回見た。
「草薙さん、三十二秒のあたり、一フレームだけ暗くなってますよね」
ちひろが言った。「編集の継ぎ目ですか」
「そうだよ。ただ……」
草薙が言葉を止めた。その一瞬の沈黙に、ちひろは“何かある”と直感した。
「ただ、何ですか」
「編集が、精巧すぎる。普通の人間がやった編集じゃない」
「それって……」
「確認してみよう」
専門家の解析で映像の編集が確認され、相手方が逆に問題になった。しかし草薙は白板の前から動かなかった。
「草薙さん、解決しましたよね」
「橋本さんの件はね。でも、この編集の精度……前にも一度だけ見たことがある」
「前に、ですか」
「あの映像ループの時のやつだよ。手口の癖が同じだ。同じ人間が関わってる可能性がある」
ちひろは少し考えた。以前扱った、あの異様に精巧な映像。確かに似ている。
「草薙さん、その人に会いに行くつもりですか」
「もしかすると、来るかもしれないよ。向こうから」
その日の夕方、道場に男が来た。
三十代前後。スーツではなく、シンプルな黒い服。背が高く、表情が静かだった。感情の気配がない。
草薙がその男を見た。眠そうな目が、静かに細くなる。
「草薙仁さん」
男が言った。「会いに来たよ。天草 樹というんだけど」
ちひろがスマートフォンを向けようとした。
「録らなくていいよ。残しても意味がないから」
その声のトーンに、ちひろの手が止まった。止めてはいけないと思いながら、止まってしまった。
「何の用ですか」草薙が言った。
「面白い探偵がいるというのでね、挨拶だよ。ただのね、先に来た方が早いと思って」
「証拠を整える仕事をしてる人ですか」
「整える、か。いい表現だね。俺は結果をデザインしてると思ってるけど」
天草が少し笑った。感情のない笑いだった。
「草薙さん、一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「真実って、必要? それがあって困る人がいない場合でも」
草薙は少し間を置いた。
「必要だよ」
「なんで」
「歪みは必ず出るから。どれだけ整えても、どこかに出る。それを見つけるのが俺の仕事だよ」
「歪み、か」
天草が考えるように言った。「確かに俺の弱点はそこかもしれないね。でも今日は戦いに来たわけじゃないよ」
「帰るんですか」
ちひろが言った。
天草がちひろを見た。初めて存在に気づいたような目だった。
「七草ちひろさん。君の観察力は面白いね。さっき俺が来た瞬間、草薙さんの目が変わったのを見てた」
「俺を見て、草薙さんの目が変わった。それは俺が草薙さんにとって既知の何かに見えたってことだよ。君はそれを拾ってた。実に面白い」
「何でうちの名前を知ってるんですか」
「さてね」
天草が引き戸に向かった。
「また会うよ、草薙さん。今度は別の場所で」
引き戸が閉まった。足音は聞こえなかった。
ちひろはしばらく引き戸を見ていた。
「草薙さん、今の人が……証拠を整える人ですか」
「そうだよ」
「草薙さん、顔知ってたんですか」
「知らなかったよ。でもなんとなく、来ると思ってた」
「どうしてですか」
「完璧を作ろうとする人間は、必ず確認しに来る。自分の仕事が通用するかどうか」
ちひろは天草が去った後の空気を感じた。何かが変わった気がした。道場が少し狭くなったような気がした。
「草薙さん、あの人……強いですか」
「強いよ。もしかすると俺より上だと思う」
草薙さんがそれを言った。
ちひろは驚いた。草薙さんが誰かを自分より上だと言うのを、初めて聞いた。




