雨の日の朝に
ブロック塀に穴が開いた事件が発生した翌日。
その日は朝から雨が降っていた。
カグヤは傘を差しながらバイトに向かっていた。
「はぁー、徒歩通勤で雨降るのは萎えだわ」
カグヤは通勤途中に愚痴をこぼした。
彼女の勤務地までの移動手段は徒歩である。
そのため雨の日は少しばかり肌寒い空気に触れて憂鬱な気分にさせられる。
道中、カグヤは昨日発見した穴の空いたブロック塀のそばを通りかかった。
塀には穴を隠すように布がかけられていたがそれをめくって中身を確認しようとする少女の姿があった。
カグヤはその少女の姿にとても見覚えがあった。
「アルジェ?」
「ん、カグヤ」
カグヤは塀に空いた穴を見ていたアルジェに声をかけた。
彼女は傘を持っておらず、雨具も着ていなかった。
「何してんのこんなところで」
「マスターが作ったキメラの動向を追っている」
アルジェは自身の行動を明かした。
彼女は独自にキメラの動向を追っていたのである。
その発言によって昨日の事件がキメラによるものと判明すると同時にカグヤの中でとある疑問が思い浮かぶ。
「マスターが同じなのに連携が取れないなんてことあるの?」
「私はマスターに新しいキメラを護衛するように命じられている。でも私はそのキメラの目的と動向を知らない」
「そんな滅茶苦茶な……」
カグヤはアルジェに多少の同情を示した。
キメラをアルムから守るという命令はアルジェの能力と合致している。
しかしその護衛対象であるはずのキメラとの連携が明らかに上手くいっていなかった。
「ところでアルジェ、そのキメラってどうやってここに穴をあけたの?」
「摩擦で削り取っている」
アルジェは穴の形状や断面を見て分析した。
断面には破砕で発生するような荒い面が見られないため、やすりのようなもので摩擦をかけて削り取ったと見る線が濃厚であった。
「うわやっば。結構ギリかも」
「急いでいる?」
「バイトに遅刻しそう。悪いけど行くわ」
カグヤはアルジェの分析を簡潔にメモに残すと一言入れてその場を後にした。
時刻は朝八時三十分、出勤時刻が押していたのである。
その場に一人取り残されたアルジェは雨に打たれながら一人黄昏れていた。
今の彼女は自身の肉体を作ったレンに主従しているものの、当のレンから邪険に扱われてるのではないかと勘繰っていた。
学習型の思考補助AIを搭載したことにより、彼女には様々なイレギュラーが生じていた。
(私はどうすればいい……アルムからキメラを守ることが今の私に与えられた命令。しかし当のキメラがどこにいるのかわからない。これでは命令を遂行することはできない)
アルジェはキメラとしての本能とAIが与える思考との板挟みになっていた。
マスターの命令に従うのがキメラの本能である。
しかし人間的・倫理的な思考を学習し、それを反映したAIによって提示される思考が今の彼女のキメラとしての本能に対する矛盾を指摘するのである。
精神面において非常に未熟な彼女には自力でそれを解決する方法が見つけられなかった。
(なぜアルムはあんなにも安定していた。その理由を知りたい)
本能と思考に葛藤するアルジェはふとアルムのことを思い出した。
今の自分と違い、アルムは常に人間と共にいながら精神的に非常に安定している。
同じキメラであるはずの自分と何が違うのか、アルジェはその理由を知りたかった。
アルジェは何かに突き動かされて進路を変えた。
冷気を放出して雨に濡れた道路を凍らせ、その上を滑走するように移動してカグヤのアパートへと向かった。
「……何しに来たのさ」
いきなり尋ねてきたアルジェに対してアルムは怪訝な表情を浮かべながら警戒した。
アルムは事情を何も知らないため、アルジェがカグヤのいないタイミングを狙って襲撃に来たかのように見えたのである。
「アルム、私に教えてほしいことがある」
「どういうこと?」
唐突な展開にアルムは首を傾げた。
この前はこちらに対する殺意をむき出しにしていた冷徹な戦闘用キメラとは思えない反応であった。
「貴方はいつもカナメ・カグヤという人間と共にいる。マスターでもない人間と共に過ごしてなぜ思考が乱れない。私はとても心を乱している」
「簡単なことさ。ボクが人間と共に生きることを望んでいるからだよ」
アルジェからの問いにアルムは臆面もなく答えた。
アルムは元々人間を守るために他のキメラと戦うことを使命としているキメラである。
そのためどんな人間といようと自身の存在に矛盾は生じない。
「貴方は悩まないの?」
「キミにも悩むことがあるなんて意外だなー」
「ここでとどめを刺してもいい」
「ごめんって。まあボクでもちょっと悩むことぐらいはあるよ」
アルジェからの問いにアルムが冗談めかして煽るとアルジェは圧をかけた。
アルムは慌てて発言を取り消すと問いへの答えを示す。
「悩んだときにどうしている?」
「うーん。誰かに相談して、パパっと忘れる。ちょうど今のキミがそうしようとしてるみたいにね」
アルムは上を向いて少し考えるとこれまた能天気に答えた。
次の瞬間、アルムはついにキメラの気配を察知した。
「アルジェ、ちょっとだけ目を閉じててくれる?」
「……?」
アルムに言われるがままアルジェは瞼を下ろした。
すると次の瞬間には雷鳴が轟き、異変を感じたアルジェが目を開けたときにはそこにアルムの姿はなかった。
部屋の窓が開いており、アルジェはアルムがキメラとの戦いに向かったことを理解する。
アルムがアルジェに対して明確に勝っている要素が二つあった。
それは雷の力を利用することによるスピードとキメラの気配を察知することのできる能力の存在である。
そのスピードをもってすればアルジェといえど追いつけない。
それに加え、アルムはカグヤからあることを言いつけられていた。
『いい?アルジェとは絶対に戦わないこと。もし戦いの場で出くわしてもすぐに逃げて』
アルムはカグヤからの言いつけに従ってアルジェとの交戦を回避したのである。
「やられた」
アルジェはアルムに出し抜かれたことに憤りを覚えつつも命令を実行すべくアルムの軌跡を追跡するのであった。




