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94.エドウィン

 どうしてこうなったのだろう。何度も巡る思考の中で、浮かぶのはリリーの両親の姿だった。バルト子爵邸へ来た時の挨拶、食事の際のリリーへの眼差し、そして手が擦り切れんばかりに結界を殴る姿。アンネマリーが見た彼らの全ての光景が隙間なく心を埋め尽くす。


「とうさま、ころしたのよ、ころしたの、わたしが」


 嗚咽を含みながらアンネマリーは何度も自分が犯してしまった罪を口にした。涙は干からびる事無く流れ続け、触れる箇所を湿らせ続ける。

 ギュンターはどうしようもない気持ちを抱えつつも、自身が初めて仕事で人を殺してしまった時の事を思い出そうとした。しかし、その思考は直ぐにアンネマリーの泣き声に呑まれ霧散する。


「アン」


 仕事では無く、やむを得ず知人を殺めた娘。その気持ちは想像するだけで息苦しくなる。こんな事になるのであれば学校へも行かず、ずっと家に居て貰えば良かったともギュンターは思った。そうすれば娘は人を殺す事もなく、心に傷を負う事もなかったのだから。


 ギュンターは娘になんと言葉を掛けていいか分からなくなった。こんなにも泣きじゃくる娘を見たのは初めてだった。だからこそ最初に掛けた言葉に後悔する。

 大丈夫なのか等何故言う事が出来たのか。娘はいくら頭が良くても世間知らずな17歳の少女だ。生まれてまだ17年しか経っていないのに、こんな事に耐えられる訳はない。


 ギュンターはアンネマリーの頭を寄せる手に力を込めた。ぎゅっときつく抱き、娘の意識が閉じこもらないように自分の存在を主張する。


 それでもアンネマリーの嗚咽が止まる事は無く、体の震えも止まる事はなかった。



 アンネマリーは父の手の温度を感じながら、もうこれ以上、あの石を調べるのはやめようと思った。そもそもはあれを調べようとしていたのがいけなかったのだ。

 全てはあれのせいだとさえ思う。あれを調べてさえいなければリリーのところへ行こうなどとは思っていなかったはずだ。


 もう、やめよう。あれに関わるのは。


 カーティスと共同で調べていたが、それももう良い。謝罪でも何でもしよう。彼が望む形を取ろう。

 色んな人を巻き込んだ自覚はある。だが、もうこれ以上巻き込まれて死ぬ人を見たくはなかった。自我を無くし、個を無くし死んでいく、それはなんと酷く、悲惨な最期なのか。そんな最期をアンネマリーはもう見たくはないのだ。


 アンネマリーの頭からリリーの最期が離れない。何をしていてもリリーを思い出す。

 リリーの最後の憎まれ口、変貌してからの虚な顔、そしてバルト子爵の叫び声。


 友人ではなかった。でも何処かでもしかしたら友人になれるのかも知れないと思っていた。嫌な性格だった。でもそれは自分に正直であっただけで、変に善人ぶる人よりは余程良いと思っていた。


 嫌いではあった。それはお互いに。だがだからといって死んでほしくは無かった。殺したくは無かった。


 リリーが最後、あの場所に落とされたのはリリーの意思もあったのかもしれない。

 でなければあんな広大な草地に逃げる訳などないのだ。あそこは民家も畑もない、放牧もされていない土地。つまりは被害が最小限に抑えられる土地とも言えよう。


 あの時のアンネマリーはもう目の前の事を処理するのでいっぱいいっぱいだった。どうしたら良い?止められる?何か手立ては……?そんな事ばかり考えていた気がする。


 だから呪いであれば解呪出来る筈と思い至った時は正解が出たように嬉しかった。しかし、現実は残酷でそれは違うと嘲笑った。あの時の視界が狭窄する感覚は忘れられないだろう。


 勉強や研究は好きだ。だが、圧倒的に経験が少ない。前世、魔術師として戦ってはいたが殺すだけだったから救う術を知らない。偏った知識はある、だから応用が効かない。それが悔しくて堪らなかった。


 アンネマリーはリリーを救いたかった。あの状況になってもどうにかしたかった。一度は闇に囚われても生き残ったのだ。今回もそのようにしたかった。


 でも、リリーはそれを拒否する様に街へ、両親へと悪き力を振るおうとした。だから殺すしかなかった。


 やめろと言う声を振り切り、灼熱の塊をリリーへ落とす。弾ける様に闇はリリーと消えた。轟々と燃え盛る結界の中は何も見えなかった。結界を解けと縋り付くバルト子爵の泣き叫ぶ声が、怒りだけがアンネマリーを現実へと繋ぎ止める。


「人殺し!お前は人殺しだ!」


 耳馴染みのある言葉が響く。絶望したリリーの両親の声。それを止める騎士団の声。


『仕方が無かった事です。ああなっては、もう』


 そんな言葉いらなかった。ズタズタにして欲しい。もう、無理だ。アンネマリーは自分も消えたかった。


 だからもうあの石、魔石からアンネマリーは手を引く。

 王太子にも遠回しに調査を依頼されたが、断っても問題ないものだろう。命令ではない、茶会での話題のひとつでしか無かったと言えばそうなのだから。

 そう、もうアンネマリーは関わらない。もう誰一人として殺したくないから。


 そしてふと心によぎった顔にアンネマリーは重い瞼を開いた。

 それは柔らかそうな黒い髪をした碧眼の人。優しい笑みを浮かべ、温室でアンネマリーを待つ長身の人。


 低く、柔らかな声で自分を呼ぶ声が蘇る。


(会いたい)


 会いたい、とても。切望とも言える感情だったが、それを頭の中で罵倒され、ぎゅっと瞳を閉じた。その拍子にまた大粒の涙が流れる。


――お前はやはり人殺しだ!生まれ変わっても人を殺すのだ!


 自分は人殺し。だがでも、自分はそれでも……


「会いたい、」


 父の耳にも聞き取れない程の声が湿った服へと吸い込まれる。


(エド、エド)


 心の声が喉から出そうになる。しかし、それは嗚咽に呑まれ消えてしまった。




次回更新は明日16時頃。


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