93.ベッドの中で
あの日、地面に力無く座り込んだアンネマリーは一筋の涙の後、呆然と泣き叫ぶバルト子爵達を見ていた。だが、気付けばベッドへ寝かされており、いつの間にか意識を失っていた事をぼんやりとベッドの中で理解した。
汚れた服も、血で赤くなった顔も既に綺麗なっているのだが、アンネマリーはそれには気付かない。
頭が考える事を拒否する様に真っ白だ。もしかしてあれは夢だったのだろうか、とも思う。しかし、心が抉られる様な痛みが現実だと教えてくれる。
空っぽの頭に響くのはバルト子爵の声。
泣き叫びながら、目を地走らせながら言っていたあの言葉。
『お前は人殺しだ!』
お前が来なければ、お前達が来なければリリーは死ななかった、と叫ぶ声がずっとアンネマリーの頭の中に反響する。
きっとその通りなのだと思う。アンネマリーがあの石を調べたいと来なければリリーは平和に暮らせた筈だ。そう、行かなければ今も生きていた筈だ。あの両親にたくさんの愛を注がれて。
目が覚めてからもアンネマリーは焦点の合わぬ目でボーっとベッドの天蓋を見ていた。
暫くそうしていると、ノックの音が部屋に響く。アンネマリーは温度の無い声で「どうぞ」と言うと扉がゆっくりと開かれた。
「アン、起きてたんだね」
入ってきたのはアンネマリーの父であるギュンターだった。ギュンターは幾分かやつれた顔をしていたが、アンネマリーを見るとホッとした顔で微笑む。
「父様」
アンネマリーは上体を起こそうとしたが、首を振られ制止された。
「そのままで良いよ」
優しい父の声に甘え、アンネマリーは上体を起こそうとしていた腕を力無く体の横へ戻す。
改めて父を見れば、疲れが滲み出た顔をしていた。やつれていると評したが、それよりも顔色が悪い事の方が今は気になってしまう。青白く、だが目の下は黒い顔にいつもの年齢よりも下に見られる溌剌さは無い。年相応か、それ以上に見えた。
しかし、ギュンターからしてみればアンネマリーの方が心配なのだろう。ベッド脇の椅子に腰掛けるとアンネマリーの顔に掛かっている髪をそっと耳へかけた。
「大丈夫かい」
その労わる声と優しい温度にアンネマリーはゆっくりと瞬きをし、視線をギュンターから外す。そして言葉を咀嚼する様に反芻した。
「だいじょうぶ……」
強がりでも言えない言葉だとアンネマリーはぼんやりと思った。ぽつりと独り言のように呟いた言葉は静かな部屋に吸い込まれる。
ギュンターは呟いたきり、天蓋を見たまま呆然としているアンネマリーの手を取り両手で握り締める。白く細い指はピクリとも動かず、その手をただ受け入れていた。握り返す事もせず、静かに一点を見つめている瞳を見て、ギュンターは不甲斐なさを感じ、悔しそうに瞼を閉じる。しかし、自身も沈んでいてはどうしようもないと直ぐにまぶたを上げた。
アンネマリーは正面に見える天蓋の金具をじっと見ていた。
どのくらいそうしていたのか、何分にも、何時間にも思える無言の時間の後、か細い声が部屋に響く。
「人を、」
かさかさの唇から成る音はいつものアンネマリーの声では無い様に思えた。今にも消えてしまいそうな声色にギュンターは目頭が熱く成る。
「人を殺しました」
小さいが、はっきりと聞こえた言葉にギュンターはきつく瞼を閉じた後、ゆっくりとそれを開けた。
自分の視界に感情を無くした人形の様な娘を見つけ、また胸が苦しくなる。
ギュンターは握っていた手の力を強め、短く相槌を打った。
「うん」
「知っている子だったんです」
「知ってるよ」
相槌を打つとアンネマリーはポロリと言葉を溢し始める。
「そんなに好きな子じゃなくて」
「そうなんだ」
「でもこれから好きになれそうな子で」
「うん」
一定の声色はアンネマリーが自身に話しかけている様にも聞こえた。ぽつりとした声に相槌を打っていたが、その声がぴたりと止まる。
だがギュンターも急かす事無く、アンネマリーの次の言葉を待った。
アンネマリーは何かを言おうとはしている様で小さく何度も口を動かしている。口を開いては固く閉じ、また開いては諦めた様に閉じる。
ギュンターはその姿が痛々しく、無意識に顔を歪ませていた。こんな娘の姿は初めてだったからだ。
そんな父の顔をゆっくりと見たアンネマリーは握られていた手に僅かな力を入れる。指を折り曲げるだけだが、それだけでギュンターの瞳に光が僅かに戻る。
しかし口を開いたアンネマリーの顔は反対に大きく歪む。
「好きになれそうで」
まだ涙は出ていない。しかし、込み上げる感情を無理矢理押し込める様な声は悲しいくらい震えていた。ぶるぶると口を震わせ、アンネマリーはギュンターの手をきつく爪を立てるように握り締める。
「でも殺してしまった……!」
その瞬間、アンネマリーの瞳から溢れる程の涙が零れる。両目から止めどなく流れる涙は頬を伝い、枕へと落ちていく。色の変わった枕が酷く悲しい。
ギュンターはアンネマリーの手を握っていた片方の手を解くと体を前に倒し、自分の肩口にアンネマリーの顔を埋めさせた。
するとアンネマリーの涙は勢いを増し、ギュンターの服を濡らしていく。
「ころしてしまったの! わたしが!」
娘の慟哭にギュンターは唇を噛み締める事しかできなかった。
次回更新は明日16時頃。
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