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死刑囚聖女と異端審問官の七日間裁判 〜処刑まであと七日。世界を救った彼女は、なぜ罪を認めたのか〜  作者: 妙原奇天


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第2章 聖女はなぜ笑ったか――沈黙する死刑囚と、安堵した王弟

 翌朝、王都エルディアには雨が降っていた。

 細い雨だった。

 石畳を叩くほど強くはない。けれど、外套の肩に染み込み、髪を湿らせ、広場に集まる人々の気分を確実に重くしていく雨だ。

 中央広場の処刑台は、夜のうちにさらに形を整えていた。

 黒い木枠の上に、断罪剣を据えるための台座が運び込まれている。台座にはまだ布がかけられていたが、その輪郭だけで用途は分かった。

 首を落とすための装置。

 つまり、聖女セラフィーナ・エルシアの最期の場所だ。

 レオン・アルバートは、広場の端に立ち、その光景を見ていた。

 雨粒が外套の襟を濡らす。

 朝だというのに、広場にはすでに人がいた。露店の主人、通勤途中の書記官、教会へ向かう老女、そしてただ処刑台を見にきただけの者たち。彼らは互いに言葉を交わしながら、黒い木組みを見上げている。

「あれで聖女様を?」

「聖女様じゃない。裏切り者だ」

「でも、うちの子はあの方に治してもらったんだ。あの時、たしかに奇跡を……」

「奇跡を使える悪女だったんだろう。教会がそう言ってる」

「教会が間違えるはずないものね」

 声は小さい。

 誰も大声では語らない。

 けれど、小声ほど毒はよく回る。

 広場の掲示板には、新しい布告が貼られていた。

 昨日までは判決の告示だけだった。今朝はその隣に、聖教会からの訓戒文が増えている。

 ――裏切りの聖女に祈るな。

 ――魔王因子を宿した者への同情は、災厄への扉である。

 ――聖女セラフィーナの名を祈りに用いることを禁ずる。

 その文字を見た瞬間、レオンはひどく冷めた気分になった。

 裁判は終わった。

 判決も出た。

 ならば本来、処刑までに必要なのは、死刑囚の管理と執行手続きだけである。

 それなのに、聖教会は民衆の感情を先回りして潰しにかかっている。

 聖女への同情を、異端の種として扱っている。

 なぜ、そこまでする。

 セラフィーナは、すでに死ぬことが決まっている。

 死ぬ者を、ここまで恐れる理由は何だ。

「レオン」

 背後から声をかけられた。

 振り向くと、アーヴィン所長が立っていた。

 傘も差さず、黒い外套の肩を雨に濡らしている。目元の皺は昨日より深く見えた。

「朝から処刑台見物か」

「仕事です」

「処刑台を見ることが?」

「民衆の反応を見ることが」

「相変わらず、嫌なところを見る」

「審問官ですので」

 アーヴィンは小さく息を吐いた。

「昨日、地下牢へ行ったそうだな」

「最終審問のためです」

「何を聞いた」

「聖女は魔王との内通を否定しました」

「裁判では否認しなかった」

「はい」

「その差に意味があると思うのか」

「あります」

 レオンは即答した。

 アーヴィンの目が少し細くなる。

「レオン。昨日も言ったはずだ。これは再審ではない」

「分かっています」

「お前に与えられた権限は、処刑前の形式的な最終審問だけだ。判決の妥当性を調べ直す権限はない」

「分かっています」

「本当に分かっている顔ではないな」

 レオンは黙った。

 アーヴィンは処刑台へ視線を向けた。

 雨に濡れた黒い木材は、まるで最初から血を吸って乾いたように暗かった。

「王家と聖教会の両方が、この処刑を急いでいる」

「なぜです」

「それを私に聞くな」

「所長も知らないのですか」

「知っていたとしても、お前に言うとは限らない」

 レオンはアーヴィンの横顔を見た。

 嘘をついているようには見えない。

 だが、何も知らない顔でもなかった。

 この人は、何かを知っている。

 少なくとも、聖女処刑の裏に通常ではない力が働いていることを理解している。

「上から命令が出ている」

 アーヴィンは低く言った。

「聖女への面会は、今後すべて記録官を同席させろ。単独面会は禁止だ」

「昨日は許可されました」

「昨日まではな」

「理由は」

「お前が、聞くべきではないことを聞いたからだろう」

「魔王との内通を否定したことですか」

「あるいは、ライネル・フォードの名を出したことかもしれない」

 レオンの視線がわずかに動いた。

 アーヴィンはそれを見逃さなかった。

「やはり、そこに引っかかったか」

「記録がおかしい」

「おかしい記録など、この庁舎にはいくらでもある」

「騎士ライネルの遺品目録は後日追記されています。死亡確認者は黒塗り。討伐隊の監察官の名も黒塗り。裁判記録として不自然です」

「不自然だからといって、掘っていいとは限らない」

「真実を隠すための記録なら、審問庁が存在する意味はありません」

 アーヴィンは、わずかに苦い顔をした。

「若いな」

「年齢の問題ではありません」

「いや、年齢の問題だ。若い者は、真実を光だと思う。照らせばすべて救われると信じている」

「所長は違うと?」

「真実は火だ。照らすこともあるが、燃やすことのほうが多い」

「なら、嘘の中で腐るほうがいいと」

「そうは言っていない」

 雨音が、二人の間に落ちた。

 アーヴィンは懐から封筒を出し、レオンに渡した。

「今日の仕事だ」

「これは」

「裁判記録水晶の閲覧許可証。聖女の公開裁判を見直せる」

 レオンは封筒を受け取った。

「再審ではないのでは」

「形式的な最終審問にも、過去記録の確認は必要だ」

「所長」

「勘違いするな。私はお前に再調査を命じたわけではない」

「はい」

「ただ、目を潰せとも命じていない」

 そう言って、アーヴィンは背を向けた。

 去り際、彼は振り返らずに言った。

「七日後に処刑は行われる。その予定は変わらない」

「はい」

「変わらない予定ほど、崩れた時に死人が出る。覚えておけ」

 それだけ言い残し、アーヴィンは雨の中を歩いていった。

 レオンは手元の封筒を見下ろした。

 裁判記録水晶の閲覧許可証。

 所長は止めたいのか。

 進めたいのか。

 どちらにも見えた。

 だが少なくとも、一つだけ分かる。

 この裁判には、所長でさえ正面から触れたがらない何かがある。

 レオンは広場の処刑台をもう一度見た。

 黒い木組みの上を、雨粒が滑り落ちていく。

 処刑まで、あと六日。

     *

 王国異端審問庁の地下には、裁判記録庫がある。

 通常の紙記録とは別に、重大事件の裁判は魔法水晶へ映像と音声を保存する。王族、貴族、大規模異端審問、国家反逆、魔術災害。後世に検証が必要と判断された裁判だけが、記録水晶として残される。

 もっとも、検証されるとは限らない。

 多くの場合、水晶はただ封印棚に収められ、埃をかぶる。

 王国にとって重要なのは、真実を残すことではない。

 真実を残したという形式を残すことだ。

 記録庫の管理官は、レオンの許可証を見ると露骨に顔をしかめた。

「聖女裁判の記録水晶?」

「そうだ」

「今ですか」

「今だ」

「上から閲覧制限がかかっていますが」

「解除許可はここにある」

 レオンは封筒から許可証を出した。

 管理官はしぶしぶ確認し、奥の封印棚へ向かった。

 棚には、黒い鉄枠に収められた水晶が並んでいる。それぞれに事件名、審問番号、判決日が刻まれていた。管理官は最奥の棚から、銀の鎖で封じられた水晶を取り出した。

 水晶は拳ほどの大きさで、内部に白い靄が渦巻いている。

 札にはこう記されていた。

 聖女セラフィーナ・エルシア国家反逆裁判。

 判決、死刑。

「閲覧室は三番を使ってください。なお、記録の複写は禁止です」

「分かっている」

「音声の書き起こしも禁止です」

「分かっている」

「閲覧内容を外部に漏らすことも」

「分かっている」

 レオンが少しだけ視線を向けると、管理官は口を閉じた。

 閲覧室は狭い石造りの部屋だった。

 中央に円卓があり、その上に水晶を置くための台座がある。壁には防音と防視の封印が刻まれ、外部から覗くことも聞くこともできない構造になっていた。

 レオンは水晶を台座に置き、許可証に刻まれた認可印を触れさせた。

 水晶内部の白い靄が晴れていく。

 次の瞬間、部屋の中に裁判場の映像が広がった。

 王城大法廷。

 高い天井。

 赤い絨毯。

 両側に並ぶ貴族と聖職者。

 正面上段には王族席。

 中央には被告人席。

 そこに、セラフィーナが立っていた。

 長い銀髪は、まだ切られていない。

 白い聖衣を着ている。

 ただし、その胸元にあるべき聖印は外され、両手には聖銀の枷が嵌められていた。

 美しい。

 けれど、疲れている。

 映像の中の彼女は、何日も眠っていないような顔をしていた。それでも背筋は伸び、視線は静かで、誰かに怒りを向ける様子はない。

 その姿が、むしろ法廷の空気を苛立たせているようだった。

 人は、罪人が取り乱すことを期待する。

 泣き叫び、許しを乞い、醜く命に縋る姿を見て、ようやく安心する。

 自分たちが裁いているものが、確かに下にいるのだと確認できるからだ。

 だがセラフィーナは、下にいなかった。

 死刑を求める者たちよりも、ずっと静かに立っていた。

 だから彼らは、余計に彼女を憎んだのかもしれない。

『被告人、セラフィーナ・エルシア』

 法廷長の声が響いた。

『あなたは魔王ゼルヴァと内通し、勇者一行を裏切り、王国騎士ライネル・フォードを死に至らしめた。さらに魔王因子を王都へ持ち帰り、王国に未曾有の災厄を招こうとした。この罪を認めるか』

 セラフィーナは、少しだけ目を伏せた。

『裁きに従います』

 認める、とは言っていない。

 レオンは椅子に座ったまま、指を組んだ。

 裁きに従います。

 それは有罪の承認ではない。

 裁判の結果に抵抗しない、という意味だ。

 法廷はそれを自白として扱っている。

 意図的に。

 映像は進む。

 勇者ユリウスの証言。

 彼は法廷中央に立っていた。

 金髪碧眼。人々が思い描く英雄そのものの容姿。背は高く、白い軍服がよく似合う。だが顔色は悪かった。口元には硬い緊張があり、視線は何度もセラフィーナを避けている。

『私は見ました』

 ユリウスは言った。

『魔王城最奥で、聖女セラフィーナは魔王へ祈りを捧げていた。あれは討伐の祈りではありません。魔王への……忠誠の祈りでした』

 法廷がざわめく。

 セラフィーナは何も言わない。

 ユリウスの拳が、わずかに震えている。

 レオンはその震えを見た。

 恐怖か。

 罪悪感か。

 あるいは、嘘をついている者の反応か。

『騎士ライネル・フォードは、それを止めようとしたのか』

『はい』

『その結果、死亡した』

『……はい』

 その間が長い。

 ほんの一呼吸。

 けれど裁判記録において、一呼吸は時に証言より雄弁だ。

 次に、宮廷魔術師エルネストの証言。

 痩せた男だった。

 灰色の髪、落ち窪んだ目、神経質そうな指。彼は証言台に立つと、しきりに唇を舐めた。

『聖女の身体から検出された魔力波長は、魔王因子と一致しました。これは疑いようがありません。彼女はもはや聖女ではない。魔王の器です』

 魔王の器。

 その言葉が出た瞬間、法廷の空気が変わった。

 同情の余地が消える。

 人間ではなく災害。

 罪人ではなく器。

 そう定義された者は、弁明する権利すら奪われる。

 そして、聖務卿オズワルドが立ち上がった。

 白い祭服。

 金糸の刺繍。

 痩せた頬。

 深く窪んだ双眸。

 声は穏やかだった。

 穏やかすぎるほどだった。

『魔王因子を宿した者は、人の形をした災厄である』

 その言葉が法廷に落ちた時。

 セラフィーナが、笑った。

 ほんのわずかに。

 口元が動いた程度だ。

 映像を漫然と見ていれば、見落とす。

 だがレオンは見落とさなかった。

「止めろ」

 水晶の映像が止まる。

 レオンは水晶に手をかざし、少しだけ巻き戻した。

 もう一度。

『魔王因子を宿した者は、人の形をした災厄である』

 セラフィーナが、微笑む。

 嘲笑ではない。

 諦めでもない。

 勝ち誇った顔でもない。

 それは、安堵だった。

 何かが予定通りに進んだことを確認したような、ひどく悲しい安堵。

 レオンはもう一度巻き戻した。

 同じ場面。

 同じ言葉。

 同じ微笑み。

「なぜだ」

 普通、死刑判決へ向かう裁判で、あの言葉を聞いた被告人は笑わない。

 魔王の器。

 人の形をした災厄。

 それは、人間としての最後の尊厳を剥ぎ取る言葉だ。

 それを聞いて笑うのは、狂人か、殉教者か、あるいは――。

「自分がそう呼ばれることを、待っていたのか」

 レオンは映像を進めた。

 法廷の最後。

 判決が読み上げられる。

『被告人セラフィーナ・エルシアを、国家反逆および魔王因子保持の罪により、死刑とする』

 ざわめき。

 祈り。

 罵声。

 すすり泣き。

 そのすべての中で、セラフィーナは目を閉じた。

 そして小さく息を吐いた。

 まるで、長い仕事を終えた者のように。

 レオンは映像を止めた。

 そして視点を切り替える。

 記録水晶には、複数の視点が保存されている。法廷中央、証言台、王族席、傍聴席、被告人席。レオンは傍聴席の映像を選び、同じ場面を再生した。

 貴族たちが並んでいる。

 聖教会の司祭たち。

 王国騎士団の幹部。

 そして王族席の下段に、ギルベルト王弟がいた。

 レオンは映像を拡大する。

 判決が読み上げられた瞬間。

 ギルベルト王弟は、目を伏せた。

 そして、息を吐いた。

 安堵していた。

 昨日、地下監獄の門前で見た表情と同じだ。

 聖女の有罪に、彼は安心している。

 処刑が決まって喜んだのではない。

 何かが暴かれずに済んだことに、安心している。

 レオンは背もたれに身体を預けた。

 セラフィーナは、自分が災厄と呼ばれて微笑んだ。

 ギルベルトは、彼女が死刑になって安堵した。

 二人の反応は、同じ事実を別々の方向から指している。

 聖女が魔王の器として処刑されること。

 それ自体に、何らかの意味がある。

 単なる刑罰ではない。

 処刑が、何かの条件になっている。

 あるいは、誰かにとって必要な儀式になっている。

 レオンは水晶を止めた。

 その時、閲覧室の扉が軽く叩かれた。

「審問官殿」

 管理官の声だった。

「閲覧時間はまだ残っているはずだ」

「はい。ただ、王宮書庫から使者が。あなたに閲覧申請の返答が届いたとのことです」

「王宮書庫?」

 レオンは立ち上がった。

 まだ申請していない。

 だが、誰かが先回りしている。

     *

 王宮書庫は、王城東棟の奥にある。

 一般の書庫とは違い、王家、軍部、聖教会の古記録が保管された半ば禁域のような場所だ。閲覧には王家か三庁以上の認可が必要で、異端審問庁所属のレオンでも自由には入れない。

 それでも、裁判記録を見た後、レオンが次に向かうべき場所はそこだった。

 魔王討伐隊の編成記録。

 同行者名簿。

 王国監察官の正体。

 黒塗りにされたものの原本が、王宮書庫に残っている可能性がある。

 王宮書庫の入口に立つと、白手袋をはめた若い書庫官がレオンを待っていた。

「レオン・アルバート審問官ですね」

「そうだ」

「こちらへ」

「私は閲覧申請を出していない」

「申請は、すでに受理されています」

「誰が出した」

 書庫官は答えなかった。

 ただ、奥の閲覧室へ案内した。

 そこには一冊の薄い記録簿が置かれていた。

 表紙には、こうある。

 魔王討伐隊編成および王命記録。

 レオンは書庫官を見た。

「これを私に見せていいのか」

「閲覧許可は下りています。ただし、複写、持ち出し、筆写は禁止です」

「誰の許可だ」

「クラウディア王女殿下です」

 レオンは沈黙した。

 王女クラウディア。

 現国王の第一王女。

 聖女セラフィーナとは、魔王討伐以前から交流があったと聞く。

 表向きには、王家の一員として処刑判決を承認した側にいる人物だ。

 その王女が、なぜ自分に記録を見せる。

 罠か。

 あるいは、助け舟か。

 どちらにせよ、読まない理由はなかった。

 レオンは記録簿を開いた。

 勇者ユリウス・ヴァン・グレイ。

 聖女セラフィーナ・エルシア。

 騎士ライネル・フォード。

 宮廷魔術師エルネスト・バルク。

 王国監察官――。

 そこだけが、刃物で削られていた。

 黒塗りではない。

 紙そのものが薄く削がれ、文字の跡が消されている。

「徹底しているな」

 レオンは呟いた。

 次の頁。

 装備支給記録。

 食料配分。

 護衛経路。

 魔王城到達予定。

 監察官の項目だけ、すべて削除されている。

 存在したことは分かる。

 しかし名も役割も消されている。

 まるで、討伐隊に五人目がいた事実だけは消しきれず、個人だけを抹殺したようだった。

 レオンはさらに頁をめくった。

 出立前の誓約書。

 勇者ユリウスの署名。

 聖女セラフィーナの署名。

 騎士ライネルの署名。

 魔術師エルネストの署名。

 そして最後に、不自然な空白。

 署名欄が切り取られている。

 監察官は、魔王討伐隊に同行した。

 だが裁判には出ていない。

 死亡記録もない。

 行方不明扱いですらない。

 記録から、いなくなっている。

 レオンは記録簿を閉じた。

「王女殿下は、どこに」

 書庫官は静かに答えた。

「薔薇温室にて、お待ちです」

     *

 王城の薔薇温室は、雨の日でも明るかった。

 天井と壁が透明な魔晶硝子で作られており、灰色の空から落ちる光を柔らかく散らしている。温室の中には季節外れの薔薇が咲き、湿った土と甘い花の匂いが混ざっていた。

 中央の白い東屋に、クラウディア王女はいた。

 年齢は二十代半ば。

 淡い金髪を結い上げ、深い青のドレスを身にまとっている。王族らしい華やかさはあるが、その表情には疲れが滲んでいた。美しいというより、折れないように美しくあろうとしている人間の顔だった。

 彼女の周囲に侍女はいない。

 護衛も、少し離れた入口に控えているだけだ。

 レオンは膝を折り、礼を取った。

「異端審問庁所属、レオン・アルバートです」

「形式は結構です。ここでは、あまり時間がありません」

 クラウディアの声は穏やかだったが、緊張していた。

「記録は見ましたか」

「はい」

「監察官の名前は残っていなかったでしょう」

「削られていました」

「そうですか」

 王女は目を伏せた。

 その反応から、彼女は最初から結果を知っていたのだと分かる。

「王女殿下が、閲覧許可を?」

「ええ」

「なぜ私に」

「あなたが、昨日セラフィーナに会ったからです」

「面会記録が王宮へ?」

「この王城では、地下に落ちた水滴の音まで、誰かの耳に入ります」

「では、私がここにいることも」

「知られているでしょう。だから早く済ませます」

 クラウディアはレオンをまっすぐ見た。

「あなたは、彼女を救うつもりですか」

「私は審問官です。嘘の記録に署名したくないだけです」

「それは、救うつもりがある人の言い方です」

 レオンは答えなかった。

 クラウディアは少しだけ笑った。

 悲しそうな笑みだった。

「セラフィーナも、あなたのような人を遠ざけたがるでしょうね」

「調べるなと言われました」

「でしょうね」

「王女殿下は、何をご存じですか」

「多くは知りません」

「信じられません」

「王女だから何でも知っていると思いますか?」

「少なくとも、私よりは」

「王族とは、知っている者ではありません。知らされることを選ばれる者です」

 その言葉には、自嘲があった。

 クラウディアは東屋の柱に手を添え、薔薇の花を見た。

「私は、セラフィーナと友人でした。少なくとも、私はそう思っていました」

「過去形ですか」

「今もそう思いたい。けれど友人なら、彼女が何を抱えていたのか、もっと早く気づくべきだった」

「彼女は何を抱えていたのですか」

「それを口にすれば、私は王族ではいられなくなります」

「なら、なぜ私を呼んだのです」

 クラウディアは沈黙した。

 温室の硝子を雨が叩いている。

 外の世界の音が、薄い膜越しに遠く聞こえた。

「レオン・アルバート」

 王女は低く言った。

「あなたが本当に彼女を救うつもりなら、裁判記録を信じてはいけません」

「裁判記録が偽造されていると?」

「偽造というより、選ばれています」

「都合のいい事実だけを残した」

「ええ」

「誰が」

 クラウディアは答えなかった。

 だが、その沈黙は答えに近かった。

 王家。

 聖教会。

 あるいは、その両方。

「ギルベルト王弟は、何を知っているのですか」

 その名を出した瞬間、クラウディアの表情が強張った。

「叔父上に近づいてはいけません」

「なぜ」

「あの方は、セラフィーナが黙っている限り安全です。逆に言えば、彼女が話せば最も危うい」

「やはり、聖女の沈黙は誰かを守っている」

「誰か、ではありません」

 クラウディアは唇を噛んだ。

「もっと大きなものです」

「王国ですか」

 王女は答えなかった。

 だがその顔が、肯定していた。

 セラフィーナは、王国を守るために黙っている。

 少なくとも、彼女はそう信じている。

 レオンは静かに息を吐いた。

「王国を守るために、救国の聖女を殺すのですか」

「そうしなければ守れない王国なら、滅びたほうがいい」

 クラウディアの声は震えていた。

 怒りか、恐怖か。

 たぶん両方だ。

「でも、私は王女です。王国を滅ぼすとは言えない。父王を告発することも、叔父を裁くことも、聖教会に逆らうことも、簡単にはできない」

「それでも私を呼んだ」

「ええ」

「なぜ」

「あなたが、まだ王国の外側を見られる人だからです」

 クラウディアは小さな鍵を取り出した。

 銀色の鍵。

 先端に薔薇の紋章が刻まれている。

「王宮書庫の第三封印棚を開ける鍵です」

「殿下」

「今は渡せません。ここで渡せば、あなたも私も終わりです。でも、必要になった時、私はあなたにこれを渡します」

「その必要とは」

「あなたが、彼女の沈黙の意味にたどり着いた時」

「曖昧ですね」

「王族の言葉は、曖昧でなければ生き残れません」

 クラウディアは鍵をしまった。

「最後に一つ」

「何でしょう」

「セラフィーナは、裁かれることを望んでいるように見えるでしょう」

「はい」

「でも、死にたいわけではありません」

 レオンは顔を上げた。

 クラウディアの青い瞳が、まっすぐこちらを見ていた。

「あの子は、いつも自分を最後に置く。誰かを救うためなら、自分が苦しむことを当然だと思ってしまう。だから、もし彼女が『必要です』と言ったなら、疑ってください」

「何を」

「それは本当に必要なのか。それとも、彼女が自分を犠牲にすれば済むと思い込んでいるだけなのか」

 レオンは、地下牢でのセラフィーナの言葉を思い出した。

 私は、裁かれなければなりません。

 私が死ねば、救われる人たちがいます。

 それは本当に必要なのか。

 それとも、彼女が勝手に自分を差し出しているだけなのか。

 答えはまだ出ない。

 だが、問いは増えた。

 レオンは礼をした。

「感謝します、王女殿下」

「感謝されることはしていません。私はまだ何も選べていない」

「それでも、記録を見せた」

「それだけです」

「十分です」

 クラウディアは少しだけ目を伏せた。

「レオン」

「はい」

「彼女を救うなら、急いでください。処刑までの七日は、たぶん彼女のために用意された時間ではありません」

「どういう意味です」

「処刑の日に、何かが起こります」

 レオンは息を止めた。

「何が」

「分かりません。でも、処刑そのものが目的ではない。私はそう感じています」

 王女の声は、硝子に落ちる雨よりもかすかだった。

「聖女を殺すだけなら、中央広場で公開する必要はない。王都中の民を集める必要もない。聖教会があれほど同情を禁じる必要もない。叔父上が、あんなに怯える必要もない」

「怯えている?」

「ええ」

 クラウディアは言った。

「叔父上は、安堵しているのではありません。怯え続けた末に、ようやく息をしているのです」

     *

 王宮を出た時、雨は止んでいた。

 雲の切れ間から光が差し、王都の濡れた屋根を鈍く光らせている。

 レオンは異端審問庁へ戻る道を歩きながら、頭の中で情報を並べた。

 セラフィーナは裁かれることを望んでいるように見える。

 だが死にたいわけではない。

 裁判記録は都合よく選ばれている。

 監察官の存在は消されている。

 ギルベルト王弟は、セラフィーナが黙っている限り安全。

 処刑の日に、何かが起こる。

 処刑そのものが目的ではない。

 では、何のための公開処刑か。

 民衆に見せるため。

 聖女を災厄として印象づけるため。

 あるいは、民衆の前で何かを成立させるため。

 儀式。

 その言葉が浮かんだ。

 馬鹿げている。

 だが、この国では政治と祈りと魔術は、しばしば同じものになる。

 レオンが異端審問庁の門をくぐろうとした時だった。

 視線を感じた。

 足を止める。

 背後を振り返る。

 人通りはある。雨上がりの街を歩く商人、荷車を押す少年、教会へ急ぐ修道女。だが、その中に一人、明らかにこちらを見ている男がいた。

 茶色の外套。

 深く被った帽子。

 目が合うと、男はすぐに路地へ入った。

 レオンは迷わず追った。

 路地は狭く、雨水が溜まっている。

 男は思ったより足が速い。角を曲がり、裏通りへ抜け、古い石橋を渡る。レオンも追うが、距離は縮まらない。

「止まれ」

 男は止まらない。

 レオンは腰の短剣に手をかけたが、投げなかった。

 殺す相手ではない。

 尾行者を捕まえることが目的だ。

 だが次の角を曲がった瞬間、男の姿は消えていた。

 行き止まりだった。

 古い倉庫の壁。

 積まれた木箱。

 濡れた地面。

 逃げ道はない。

 魔術か。

 それとも、隠し戸か。

 レオンは壁を調べたが、仕掛けは見つからなかった。

 代わりに、木箱の上に一枚の紙が置かれていた。

 濡れないよう、油紙で包まれている。

 レオンは周囲を確認し、油紙を開いた。

 中には、王都地下水路の古い地図が入っていた。

 公式の地図ではない。

 現在使われている地下水路とは、構造が違う。より古く、より複雑で、王城と中央大聖堂の下を通る細い通路まで描かれている。

 地図の一部に、赤い印がつけられていた。

 旧聖堂。

 その横に、小さな紙片が添えられている。

 震えた筆跡で、短く書かれていた。

 ――ライネル卿は、魔王城で死んでいない。

 レオンはしばらく、その文字を見つめた。

 雨上がりの路地は静かだった。

 遠くで鐘が鳴る。

 昼を告げる鐘だ。

 処刑まで、あと六日。

 騎士ライネル・フォード。

 魔王城で死亡したはずの男。

 遺品のない死者。

 死亡確認者を黒塗りにされた騎士。

 彼は、魔王城で死んでいない。

 ならば、どこで死んだ。

 誰が殺した。

 なぜ、彼の死を魔王城に置き換える必要があった。

 レオンは地図を畳み、外套の内側へしまった。

     *

 その夜、レオンは再び地下監獄へ向かった。

 単独面会は禁止された。

 だが、記録官同席であれば面会は可能だ。

 今回、同席した記録官は若い女だった。彼女は緊張した様子で筆記板を抱え、レオンの後ろを歩いている。看守たちの警戒も昨日より厳しい。通路の角ごとに兵が立ち、セラフィーナの牢の前には聖教会の司祭までいた。

 明らかに監視が増えている。

 レオンが何かに触れた証拠だ。

 牢の扉が開く。

 セラフィーナは昨日と同じように、机の前に座っていた。

 短く切られた銀髪。

 白い囚人服。

 聖銀の枷。

 それでも彼女は、静かな祈りの中心にいるようだった。

「レオン」

 彼女は名を呼んだ。

 記録官の手が、ぴくりと動く。

 レオンは無表情で言った。

「最終審問を続ける」

「はい」

「今日は裁判記録映像について確認する」

「はい」

「公開裁判で、聖務卿オズワルドがこう言った。『魔王因子を宿した者は、人の形をした災厄である』」

 セラフィーナの瞳が、ほんの少し揺れた。

 レオンは続ける。

「その時、あなたは笑った」

 記録官が驚いたように顔を上げた。

 セラフィーナは黙っている。

「あれはなぜだ」

「笑っていましたか」

「記録水晶にはそう残っている」

「そうですか」

「質問に答えろ」

 セラフィーナは、膝の上で指を重ねた。

 枷が微かに鳴る。

「きっと、安心したのだと思います」

「何に」

「皆が、私を恐れてくれたことに」

 記録官の筆が止まった。

 レオンも一瞬だけ沈黙した。

「恐れられて、安心した?」

「はい」

「なぜ」

「人は、恐ろしいものから距離を取ります」

「あなたから距離を取らせたかったのか」

「そのほうが、安全です」

「誰にとって」

 セラフィーナは答えない。

 レオンは一歩、鉄格子へ近づいた。

「セラフィーナ。昨日、あなたは言った。真実だけで人が救われるとは限らないと」

「はい」

「今日はこう言う。恐れられたほうが安全だと」

「はい」

「あなたは、自分が悪だと信じられたかったのか」

 セラフィーナは目を伏せた。

 長い沈黙。

 記録官が困惑したように、レオンとセラフィーナを交互に見る。

 やがて、セラフィーナは小さく言った。

「人は、分かりやすい悪があれば、明日を迎えられます」

「あなたがその悪になると?」

「私一人で済むなら」

 その声は、あまりに静かだった。

 静かすぎて、怒りが湧いた。

 レオンは自分の中に生じた感情を自覚し、すぐに抑えた。

 審問官は怒らない。

 怒りは尋問を鈍らせる。

 だが、言葉は鋭くなった。

「思い上がりだな」

 セラフィーナが顔を上げる。

「あなた一人で済むかどうかを、あなたが決めるな」

 記録官が息を呑んだ。

 セラフィーナは何も言わなかった。

 レオンは続けた。

「あなたが悪になれば民が救われる? あなたが死ねば誰かが助かる? それは本当に事実か。誰かにそう信じ込まされたのではないのか」

「違います」

「なら説明しろ」

「できません」

「なぜ」

「説明すれば、意味がなくなるからです」

「何の意味だ」

 セラフィーナの顔に、初めて寂しげな色が浮かんだ。

 昨日も少しだけ見せた表情。

 けれど今は、もっとはっきりしていた。

「私が死ねば、救われる人たちがいます」

 レオンは、鉄格子を挟んで彼女を見つめた。

「それは誰だ」

「言えません」

「王国か」

 セラフィーナは沈黙する。

「王都の民か」

 沈黙。

「王家か」

 彼女の指が、わずかに動いた。

 見逃さなかった。

「ギルベルト王弟か」

「違います」

 即答だった。

 早すぎる。

 庇ったのか。

 それとも、本当に違うのか。

「なら、なぜ王弟はあなたの有罪に安堵した」

 セラフィーナの顔色が変わった。

 ほんの少し。

 だが明確に。

「王弟殿下が?」

「裁判記録に残っていた。昨日、監獄前でも見た」

「……そうですか」

「あなたは理由を知っている」

「知りません」

「嘘だ」

 レオンは言った。

 記録官の筆が止まる。

 セラフィーナは、悲しそうに微笑んだ。

「レオンは、嘘がお嫌いなのですね」

「好きな審問官がいるなら会ってみたい」

「では、私のことも嫌いになります」

「なぜ」

「私は、これからも嘘をつきます」

 それは宣言だった。

 自白よりも重い宣言。

 レオンは何も言わず、彼女を見た。

 セラフィーナは続けた。

「レオン。どうか、これ以上は」

「調べるなと言うのか」

「はい」

「断る」

「あなたが傷つきます」

「それは昨日も聞いた」

「死ぬかもしれません」

「審問官の仕事に危険は付きものだ」

「そういう意味ではありません」

 セラフィーナの声が少しだけ強くなった。

「あなたは、真実を知れば戻れなくなります」

「戻るつもりはない」

「レオン」

「私は、ライネル・フォードの件を調べる」

 その名を出した瞬間、セラフィーナは息を止めた。

 記録官がまた顔を上げる。

 レオンは一語ずつ告げた。

「ライネル卿は、魔王城で死んでいない。そう書かれた地図が届いた」

「……誰が」

「差出人は不明だ」

「その地図を、見たのですか」

「見た」

「どこを示していましたか」

「王都地下旧聖堂」

 セラフィーナの顔から、血の気が引いた。

 これまでで最も大きな反応だった。

「行ってはいけません」

「なぜ」

「お願いです。そこには行かないでください」

「理由を言え」

「言えません」

「なら行く」

「レオン!」

 彼女が立ち上がった。

 枷が激しく鳴った。

 看守が身構える。

 記録官が椅子から腰を浮かせる。

 セラフィーナは鉄格子の内側で、両手を胸の前に押さえていた。

 その顔には、恐怖があった。

 自分の処刑にも見せなかった恐怖。

 レオンが旧聖堂へ向かうことを、本気で恐れている。

「そこには、誰かが死んでいるのか」

 レオンは静かに問うた。

 セラフィーナは答えない。

「ライネルか」

「……」

「監察官か」

 セラフィーナの瞳が揺れた。

 レオンは確信した。

 彼女は知っている。

 王都地下旧聖堂に何があるのかを。

 ライネルの死に関係する何かを。

 そして、消された監察官のことも。

「面会はここまでだ」

 レオンはそう言って、記録官へ視線を向けた。

 記録官は慌てて筆を止める。

「レオン」

 セラフィーナの声が追いかけてきた。

「あなたは、本当に良い審問官です」

「褒めても無駄だ」

「だから、怖いのです」

 レオンは鉄格子越しに彼女を見た。

 セラフィーナは泣いてはいなかった。

 けれど、泣くよりも痛ましい顔をしていた。

「良い人から順番に、真実に殺されます」

 レオンは答えなかった。

 扉が閉まる。

 重い音が、地下牢に響いた。

     *

 異端審問庁に戻る頃には、夜が更けていた。

 庁舎の廊下には人影が少ない。夜番の審問官と記録官が、低い声で言葉を交わしているだけだ。壁の燭台が揺れ、影が長く伸びている。

 レオンは自分の執務室へ向かった。

 扉を開ける。

 中は暗い。

 窓の外には、雨上がりの王都が広がっている。中央広場の処刑台は、夜の闇の中で黒い影になっていた。

 レオンは机に近づき、足を止めた。

 机の上に、何かが置かれている。

 古い紙。

 いや、地図だ。

 昼に受け取ったものとは別の、さらに古い地図。

 王都地下水路。

 赤い印は同じ場所を示していた。

 旧聖堂。

 だが今度は、地図の端にもう一つ、短い文が添えられていた。

 震えた筆跡。

 だが、昼の紙片よりも文字が乱れている。

 ――ライネル卿は魔王城で死んでいない。

 ――あの方は、王都で殺された。

 ――聖女様は、裏切っていない。

 レオンは地図を手に取った。

 その瞬間、窓の外で何かが動いた。

 視線を向ける。

 誰もいない。

 ただ、向かいの屋根の上に黒い影が一瞬見えたような気がした。

 尾行者か。

 それとも、地図を置いた者か。

 レオンは窓を開けた。

 冷たい夜風が流れ込む。

 屋根の上には、もう誰もいない。

 遠くで鐘が鳴った。

 深夜一刻。

 処刑まで、あと六日を切った。

 レオンは窓を閉め、地図を机に広げた。

 王都地下旧聖堂。

 聖女が恐れた場所。

 ライネルが死んだかもしれない場所。

 監察官の名が消された理由に繋がる場所。

 事件は、魔王城ではなく王都から始まっていた。

 そんな馬鹿げた仮説が、今や最も筋の通る答えになりつつある。

 レオンは燭台に火を足した。

 机の上の地図に、赤い印が浮かび上がる。

 旧聖堂。

 そこへ行けば、何かが分かる。

 おそらく、戻れなくなる。

 セラフィーナはそう言った。

 真実を知れば戻れなくなる、と。

 レオンは静かに笑った。

 笑ったと言っても、口元がほんの少し動いただけだ。

「戻る場所など、最初からない」

 彼は外套を取り、短剣を腰に差した。

 審問官が夜に地下へ向かうには、あまりに軽装だった。

 だが正式な捜査にはできない。

 正式にすれば、誰かが先回りして証拠を消す。

 ならば、一人で行くしかない。

 レオンは執務室の灯りを消した。

 廊下へ出る。

 異端審問庁の石壁は冷たく、足音だけが響いた。

 階段を降りながら、彼は頭の中で最後にもう一度、今日見たものを並べた。

 聖女は、人々に恐れられて安堵した。

 王弟は、聖女が死刑になって安堵した。

 王女は、裁判記録を信じるなと言った。

 セラフィーナは、旧聖堂へ行くなと叫んだ。

 そして机の上に置かれていた地図は、こう告げている。

 ライネル卿は魔王城で死んでいない。

 ならば、真実は地下にある。

 王都の光が届かない場所に。

 祈りも、王権も、裁判記録も届かない場所に。

 レオンは庁舎の裏門を抜け、夜の王都へ踏み出した。

 雲の切れ間から、月が顔を出している。

 白い月光が石畳を照らし、濡れた街路を銀色に変えていた。

 その光の先に、中央大聖堂の尖塔が見える。

 尖塔の下。

 王都の地下。

 忘れられた旧聖堂。

 そこで、死んだはずの騎士が待っている。

 レオンは歩き出した。

 聖女の処刑まで、あと六日。

 そしてこの夜、王国が隠した最初の死体が、彼を待っていた。


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