未来と向き合うために①
アサヒ ― 森吉山・深淵 ―
俺とギンジロウは干し肉を食べ終え、再び森の奥へと歩き出した。
猿女の巣へ向かう道は湿った土の匂いが濃く、針葉樹の影が獣のように伸びていた。ギンジロウの背中を追いながら俺は冷徹に言葉を落とした。
アサヒ「人間の科学は命を使わなければ発展できない。俺はそう思っている」
ギンジロウは振り返らず、冷たく返した。
ギンジロウ「つまり、お前は自分の命を使って実験をしたって言うのか?」
その声は怒りでも悲しみでもなく――
ただ冷たい。
俺の寿命が無いことが気に入らないのが、背中越しに伝わる。
アサヒ「旭人は光輝炉で動くが、その光輝炉は俺の命で形成した光輝弾だ。それを大量に形成したおかげで、旭人は物量でも魔族や大巫女に劣らない」
ギンジロウの足が止まった。
ギンジロウ「結局、子供を犠牲にしているじゃねぇか」
アサヒ「違うな。ギンジロウ」
ギンジロウが振り返る。その瞳は獣のように鋭い。
ギンジロウ「何が違う?」
俺は機械のような眼差しで答えた。
アサヒ「俺は将軍だ。将軍なら、例え子供であろうとも勝つ為なら命を散らさなければならない。これは、戦争なんだよ」
ギンジロウは動かず、俺を睨みつけた。その視線は獣が獲物を見定める時のそれだった。俺は微動だにせず、淡々と続けた。
アサヒ「それにいずれ俺はいなくなる。いつまでも旭軍を、俺がいなければ戦えない組織にするつもりはない。
光輝炉を搭載した旭人の戦闘データを元に、光輝弾の代用となるエネルギーを開発する計画もある」
森の奥で鳥が一羽飛び立つ。その羽音が、俺の言葉を肯定するように響いた。
アサヒ「無くなった俺の寿命は、無駄では無い。新たな未来へと繋がっている。後悔は無い」
淡々と事実を述べた。しかし、ギンジロウはつまらなそうに鼻を鳴らした。
ギンジロウ「悪いなアサヒ。俺は獣なんで、命を燃料とする機械みたいな考え方なんか分からん」
ギンジロウ(機械、か……)
不意に笑みが漏れた。確かに、俺は旭人の炉心だ。だが、それで構わない。
アサヒ「世界が変わるなら、俺は機械で構わない。変革の装置になろう」
ギンジロウは俺を見つめ、その瞳にわずかな失望を宿した。
ギンジロウ「お前は、面白い奴だと思っていた。だが、平気で自分を生贄にするとは思わなかった」
ギンジロウは背を向け、歩き出した。その背中は、山の獣のように力強いが――
どこか寂しげだった。
そして、静かに捨て台詞を吐いた。
ギンジロウ「アキナを不幸にしたいだけだろ」
足が止まった。
アキナを不幸にしたい。
その言葉に、俺は否定しなかった。
どうしてか、自分でも分からなかった。
俺はアキナが成長して嬉しかった。だから不幸にしたいわけじゃない。
それなのに――
どうして俺は、アキナたちと一緒に生きたいと思わないのだろう?
森吉山の風が吹き抜ける。その風は冷たく、どこか胸の奥を刺した。
しばらく歩くと森の奥にぽっかりと口を開けた洞窟が見えた。穴は深く、先が見えない。湿った空気が流れ出し、土と血の匂いが混じっている。
猿女の魔力が、確かにそこから漂っていた。
アサヒ「いるな」
俺が低く言うと、ギンジロウは不敵な笑みを浮かべた。
ギンジロウ「分かっている。俺も臭いで分かる。人間の血の臭いだ。しかもまだ鮮明に残っている」
ギンジロウは猟銃を構えた。その動きは迷いがなく、獣が獲物を前にした時のように静かだった。
ギンジロウ「今度は必ず仕留めてやる。アキナは成長したんだ。俺も、前に進まないとな」
その言葉に俺は何も返さなかった。ただ洞窟の暗闇を見つめた。
ギンジロウの背中が、ゆっくりと洞窟へ向かって進む。俺もその後を追った。
洞窟の入口に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。湿り気が増し、冷気が肌を刺す。
そして――
奥から、かすかな音が聞こえた。
泣き声のような、
笑い声のような、
人の声とも獣の声ともつかない音。
猿女がいる。
洞窟の中は、光を飲み込むような暗闇だった。湿った空気が肌にまとわりつき、奥からは冷たい風が吹き抜けてくる。
俺はギンジロウから懐中電灯を受け取り、暗闇を切り裂くように光を向けた。
その瞬間――
光の端に、猿女の姿が浮かび上がった。
黒い長髪。
猿の身体。
たくさんの目。
ギンジロウが低く唸る。
ギンジロウ「猿女……!」
猟銃を構えたが、それよりも速く猿女は動いた。
石化したトウカを――
こちらへ向かって投げ飛ばしてきた。
アサヒ「ッ……!」
俺は反射的に懐中電灯を真上へ投げつけた。光が天井に当たり、洞窟全体を照らす。
ギンジロウが怒鳴る。
ギンジロウ「懐中電灯を投げるなッ!!」
だが構わず、俺は石化したトウカを受け止めた。腕に重さが食い込み、石の冷たさが肌を刺す。
その瞬間、猿女が背後から襲いかかってきた。
だが――
猿女は光に照らされ、スポットライトを浴びたように丸見えだった。
猿女「キッ!?」
猿女が上を向き、動揺する。ギンジロウが驚きの声を上げた。
ギンジロウ「懐中電灯を天井に突き刺してランプ代わりにしたのか!?良くやった!!」
パァンッ!
魔力を籠めた弾丸が猟銃から放たれた。洞窟の壁に反響し、耳が痛くなるほどの轟音が響く。
しかし猿女はギリギリで避け、外へ逃げて行った。弾丸は左肩を掠めただけだった。
ヒュンッ
俺のポケットにも弾丸が掠めた。
コロン…
ポケットから何かが落ちた。俺は石化したトウカをそっと地面へ下ろし、落ちたものを拾い上げた。
ギンジロウが駆け寄ってくる。
ギンジロウ「すまん!怪我は無いか!?」
アサヒ「……ああ。大丈夫だ」
拾ったものを見つめる。ギンジロウは不思議そうに眉を寄せた。
ギンジロウ「その、人形は……なんだ?」
俺は人形を見つめ、苦い思い出を懐かしむように呟いた。
アサヒ「面頬仮面の玩具。小さい頃、大好きだった特撮ヒーローだよ」
ギンジロウは目を見開き、次の瞬間、何かを悟ったように大笑いした。
ギンジロウ「だはははははっ!!そういうことか!!それならアキナ……いいや、大巫女に嫉妬するだろうな!!!」
嫉妬。
その言葉に、胸の奥がわずかに跳ねた。
納得してしまった。
心の奥にしまっていた何かを――
自覚してしまった。
ギンジロウは俺が拾った面頬仮面の玩具を見て、何かを完全に理解したように頷いた。そして洞窟の薄暗い光の中で、納得したように語り出した。
ギンジロウ「お前が憧れていたのは面頬仮面だろ?だが大巫女が活躍する度に、お前は自分の憧れを否定されたように感じたんじゃないのか?」
ギンジロウは猟銃を肩に担ぎ、まるで長年の謎を解いた探偵のように続けた。
ギンジロウ「だから自分が面頬仮面になって、憧れていた正義が正しいと証明したい。それが、お前が命を燃やしてでもやりたいことなんだろ?」
そして豪快に笑った。
ギンジロウ「いやはや、子供らしい理由だな!!だはははははっ!!」
洞窟の壁に笑い声が反響する。その音が、妙に温かく聞こえた。
だが――俺は首を横に振った。
アサヒ「違う」
痛々しいほど無表情に、面頬仮面の玩具を見つめた。ギンジロウは笑いを止め、俺を見る。
アサヒ「この人形は罪の証だ」
声が少し震えた。だが、言葉は止まらなかった。
アサヒ「幼い頃に、少女が俺を庇って死んだ。その時にこの人形に血がついた。今でも覚えている。忘れられない」
ギンジロウの表情がわずかに曇る。
アサヒ「俺の命は彼女たちの犠牲で成り立っている。それなら、俺は自分の命を燃やしてでも、彼女たちが戦わない世界にしなくてはいけないんだ」
洞窟の奥から猿女の低い唸り声が響いた。だが俺は動かなかった。
ギンジロウはため息を吐き、つまらなそうに肩をすくめた。
ギンジロウ「そう謙虚になるなよアサヒ」
その言葉に、胸が少しだけ詰まった。
ギンジロウは猟銃を軽く持ち直し、洞窟の奥を睨みながら言った。
ギンジロウ「それは恥ずかしがることじゃない。お前は、お前の信じる正義を貫けばいい」
そして、少し呆れたように俺の肩を軽く叩いた。
ギンジロウ「人間の、限界の無さを――
お嬢ちゃんたちに教えてやれ」
その言葉は、洞窟の冷気よりも深く胸に刺さった。
俺は面頬仮面の玩具を握りしめた。ギンジロウの言葉が洞窟の壁に反響して、胸の奥に突き刺さった。
俺は――恥ずかしかった。
図星だった。
面頬仮面に憧れていた。だから、大巫女が活躍するたびに自分の憧れが否定されていくようで――
胸の奥がざらついた。
少女のため。
世界のため。
そんな美辞麗句を並べて、周りからは「子供なのに立派だ」と褒められて。
でも本当は――
大巫女なんて大っ嫌いだ。
救いたいなんて思っていない。
だけど…守られ続けて、
気づいたら好きになっていた。
アキナも、トウカも、他の少女たちも。
彼女たちにも面頬仮面のような強さがあることを知ってしまった。
だから余計に――
嫌いになった。
彼女たちを愛するということは、俺が正しいと信じていた“憧れ”を否定することになる。
面頬仮面を好きでいたい。
大巫女を嫌いでいたい。
その矛盾が胸の奥で絡み合って、ずっと苦しかった。
だから――
俺は解放されたかった。
恩を返した時、やっと
「大巫女を嫌いでいていい」
「面頬仮面を好きでいていい」
そう思える。
本当の自分に戻れる。
そう思うことで、この混沌とした心の蟠りを解き放てる気がした。
俺の少女たちへの恩送りは、贖罪や武士道のような綺麗なものじゃない。
ただ――
自分を信じるための儀式だ。
胸の奥が熱くなる。
息が荒くなる。
洞窟の冷気が肌を刺す。
俺は面頬仮面の人形をポケットにしまい、石化したトウカが倒れないように、岩と岩の隙間へ慎重に固定した。
石の冷たさが指先に残る。その感触が、妙に胸の奥を締めつけた。
ギンジロウは猟銃を肩に担ぎ、洞窟の出口へ向かって歩き出した。
ギンジロウ「さて、奴はおそらくアキナの方へ向かっただろう。さっさと戻るぞ」
アサヒ「アキナの方へ? 何故そう思う」
ギンジロウは振り返らなかった。ただ、洞窟の暗闇を睨むように前を見据えたまま答えた。
ギンジロウ「猟師の勘ってやつだよ」
その声は湿った洞窟の空気を切り裂くように低く響いた。
アサヒ「……あいつも、そろそろ俺との決着をつけたいと思っている筈だ」
ギンジロウの眼光が鋭く光った。洞窟の出口から差し込むわずかな光が、その瞳に獣のような輝きを宿す。
俺はその背中を見つめた。大きく、荒々しく、そしてどこか寂しげな背中だった。
ギンジロウはゆっくりと振り返り、俺を真っ直ぐに見た。
ギンジロウ「終わりにしようじゃないか」
ギンジロウの表情は覚悟を決めた男のそれだった。
怒りでも悲しみでもない。長い年月をかけて積み重ねた“決着”を、ついに迎える者の顔。
戦いの終わりを告げるように感じられた。




