ゴブリンの神、秒で処理される
アサコ ー 廃墟の旅館・屋上 ー
廃墟の旅館の屋上。
風が吹き抜けるたびトモエの黒髪がふわりと揺れた。青空の下、彼女の輪郭がやけにくっきりと浮かんで見える。
アサコ「旧創造神唯一派?なにそれ」
思わず口をついて出た言葉に、トモエは肩をすくめた。
トモエ「私の前に創造神をやっていた奴がいてね。そいつしか神を認めない、旧体制派の連中よ。
私が男女平等を掲げた時に結成したの。前の創造神は、大巫女が命懸けで戦っているから女性優遇政策を推進していた。その恩恵を消されて怒っているのよ」
アサコ「女性優遇って何したんだよ」
トモエ「たくさんしてたわ。例えば女性は税金を払わなくていいけど、男性は重税。あと男性には選挙権は無かったし、休日無しの出社と100%の有罪率ね。人権なんて無いわ」
トウカ「当たり前です!男は穢らわしい生き物なんですから!!」
トウカの声が、空気を裂いた。
その瞬間、トモエの睫毛がふるりと震えた。長い黒髪が頬にかかり、彼女の表情を隠す。でも私には見えた。その目が、ほんの一瞬だけ遠い過去を見ていたことが。
トモエ「だけど、その呪いが魔王アサヒを誕生させたのよ…」
声は静かだった。けれど、胸の奥を撫でるような、どこか懐かしい響きがあった。
トモエ「憎しみは連鎖する。誰かを踏みにじれば、次はその誰かが別の誰かを踏みにじる。その果てに残るのは、誰も望まなかった地獄だけよ」
トウカ「そう、ですか?ですが、男に人権を与えると、性的な問題が…」
トモエ「理性が無ければ、変わらないわよ。女も男も。
結局は――見た目なんだから」
トウカ「どうしてですか?」
トモエ「それを教えてくれた子がいたの。男の子だったんだけどね。
その子は、大人たちの奴隷にされて世界を憎んでいた。
子供である自分を、誰も守ってくれなかったから」
そのとき、トモエの声がほんのわずかに震えた。
トウカ「………」
トウカは何も言わなかった。
ただ拳を握ったまま、視線を落とした。その肩が、ほんの少しだけ震えていた。
アサコ(ヤバい、空気が重い…)
さっきまでの会話の余韻が空気を鉛みたいに重くしていた。このままじゃ、誰も口を開けなくなる。だから私はいつもの調子で空気を変えることにした。
アサヒ「しっかし、トモエが平等にしたら反乱って、どんだけ腐ってんのやら。それにトモエを“新しい神”として認めないなんて、前の創造神ってどんな奴だったんだ?」
軽口のつもりだった。でも返ってきたのは想像よりずっと重たい声だった。
トモエ「……クズよ」
トモエの声は冷たかった。けれど、それは怒りというよりも、凍てついた記憶の底から引き上げられた氷柱のような静けさだった。
トモエ「女性優遇社会にすることで女たちに甘い汁を吸わせ、感覚を麻痺させて――
幼い少女を“供物”として捧げさせた。
“大巫女が命懸けで戦っているから”なんて、政策を正当化するための口実にすぎない。旧創造神唯一派は、その快楽の残り香にすがって生きてるだけよ」
その場の空気がさらに冷えた気がした。
アサコ「え?前の創造神ってそんなことやってたの?」
トウカ「それで神造祭が廃止になったんですよね…」
アサコ「神造祭?」
アキナ「創造神が選んだ少女の想像力を利用して、神使を形成する儀式だよ。だけど前任の創造神は面倒だから、少女を生贄にして神使を作っていたの」
アサコ「ただのクズね~。とはいえ、創造神が政治に介入してくるなんて…一体何者だったのかしら?」
トモエ「……あいつの正体なんて、どうでもいいわ。ただ――」
トモエがふと、トウカの方を見た。
トウカ「ト、トモエさま?」
トモエ「トウカ。女として誇りやプライドを持つのはいいわ。
でも、囚われたら――身を滅ぼすことになる。気をつけなさい」
その言葉はまるで刃物のように鋭く、静けさを帯びていた。
トウカ「は、はい…」
トウカの声が、かすかに震えた。
その横でアキナは静かに目を伏せていた。
まるで、何かを思い出すように――
誰にも言えない記憶の扉を、そっと閉じるように。
ドォオオンッ!!
空が裂けた。
雷でもない、爆発でもない。
ただ、何かが“落ちてきた”――そんな音だった。
アサコ「なに!?」
思わず声が出た。風が逆巻き、瓦礫が跳ね、空気が一瞬で変わる。
トウカ「この感じは、ゴブリンの魔力!?」
トウカの声が震えていた。
トモエ「チッ……生き残りがいたのね」
トモエの舌打ちが冷たく響いた。
ズン――
地面が心臓の鼓動みたいに揺れた。土煙が舞い、視界が白く霞む。その向こうから何かが歩いてくる。
そして、現れた。
神の仮面を被った、異形の巨人。
白金の鎧に包まれたその身体は、まるで神像のように荘厳だった。けれど鎧の隙間から滲み出す黒い瘴気と、どろりとした肉のようなものがその“神性”を内側から腐らせていた。
顔の中央に浮かぶ金色の仮面。“神の涙”を模した文様が淡く光を放っている。でもその奥、仮面の隙間から覗いたのは――
醜悪な、ゴブリンの顔だった。
背中には六枚の翼。けれどそれは羽根ではなく、神使の残骸を模した金属の羽根。ゆっくりと動くたび、空間が軋むような“神聖なノイズ”が走る。
その姿は美しくも荘厳でどうしようもなくおぞましかった。まさに神の姿を模して作られた“贋作”。その内側から腐臭が滲み出している。
アサコ「三メートルあるな……バグモンスターみたい」
私はぽつりと呟いた。驚きも恐怖もなかった。ただ、またか――という、うんざりした気持ちだけがあった。
アキナ「アサコさんとトウカちゃんは離れて!」
アキナの声が鋭く空気を裂いた。
アキナ「こいつからは神聖の魔力を感じる!!二人では敵わないから下がって!!」
トウカ「神聖?どうしてゴブリンが、神の魔力を?」
トウカの声が震えていた。その目に浮かぶのは、恐怖と理解の追いつかない混乱。でも私は特に動じなかった。だってもう慣れた。この世界ではゴブリンが神になっても不思議じゃない。
そして異形の巨人が口を開いた。
ゴブリンゴッド「わが名はゴブリンゴッド……ゴブリンの神である」
アサコ「名前のまんまかよ」
私はため息まじりに言った。
アサコ「ていうかゴブリンのバリエーション多すぎでしょ。次は何?ゴブリン議員やゴブリンVtuberが出て来るの?」
土煙の向こうで巨体がゆっくりと姿を現す。
白金の鎧。六枚の金属の翼。
神の仮面。
でもその隙間から覗くのは、どう見てもゴブリンの顔だった。
ゴブリンゴッド「…我を軽んじるな、小娘。ゴブリンの名を冠していようと、我は“神を超えた存在”だ。貴様のような者が、我の真価を測れると思うなよ」
ズゥゥゥ……ン……ギチ……ギィィ……ザザ……
空間が軋む音がした。でも私は眉ひとつ動かさなかった。この手の“威圧”は、もう何度も経験している。
トウカ「な、なんなの圧力…!立ち上がれない…!」
トウカが膝をついた。その肩が細かく震えている。
アキナ「トウカちゃん、大丈夫?」
アキナが駆け寄ろうとする。
トモエ「アキナたちは早く下がりなさい」
トモエの声がすっと空気を切った。
トモエ「こいつは私一人で十分よ」
アキナ「だけど……」
アキナが不安そうにトモエを見つめる。その視線にトモエはふっと笑みを返した。その笑みは穏やかで、どこか楽しげで――
これから始まる“破壊の音”を、心の底から待ち望んでいるようだった。
トモエ「心配しなくていいわ。この程度、紙をシュレッダーにかけるくらい簡単だから。アキナたちは、そこで静かにしていなさい。
……これは、私の仕事よ」
私はその背中を見つめながらふっと息を吐いた。“ああ、また始まるんだな”って。この世界の理不尽さに少しだけ笑えてしまった。
アサコ「なんか余裕そうだし、トモエの邪魔になりそうだから早く離れよう」
私はそう言ってアキナの袖を軽く引いた。トモエの背中からはまだ何も始まっていないのに、空気がピリピリしていた。あれはもう、戦う前から勝ってる顔だ。
アキナ「そうだね。トモエさんが大丈夫なら、安心かな」
アキナは少しだけ微笑んで私の隣に並んだ。
私たちはゆっくりとその場を離れ始めた。背後で風がざわりと鳴る。
アサコ「トウカ貴女なにジッとしているのよ。ふざけてないで早く離れるわよ」
トウカ「ふざけてないわよ!ゴブリンゴッドのプレッシャーに負けてるのよ!!アキナさまとトモエさまは神さまだから分かるけどなんでアサコは動けるのよ!!」
アサコ「トモエの方が怖いからに決まってるだろぉおおお!!それに比べればこんなプレッシャーなんてカスみたいなものだよ!!!」
トウカ「まさかの恐怖の上書きによるプレッシャーブレイク!?」
アサコ「仕方が無い。私が運んであげよう」
私はトウカの脇に手を入れ、ぐいっと持ち上げ――
そのまま、肩に乗せた。
アサコ「よし、肩車だ」
トウカ「なんで肩車!?」
トウカが絶叫する。でも暴れる余裕はなさそうだった。
アサコ「お姫様抱っこは腕が疲れるし、おんぶは背中が痛い。だから肩車が最適解。合理的だろ?」
トウカ「合理性の方向性が間違ってるのよ!!」
アキナ「……楽しそうだね」
アキナがぽつりと呟いた。その声はどこか遠くを見ているようで、ほんの少しだけ温かかった。
トウカ「あっ……はい!!楽しいですぅ!!」
トウカは一瞬きょとんとしたあと、慌てて笑顔を作って答えた。私はその様子を見ながら、ふっと思う。
アサコ(トウカはアキナが喜ぶなら何でもいいんだな)
そのまま私たちはトモエから距離を取った。背後ではまだ何も始まっていないのに、空気が――音もなく、張り詰めていた。
ゴブリンゴッド「……フン。この状況で、笑い、ふざけ、肩車とはな。貴様ら人間という種は、つくづく理解に苦しむ」
仮面の奥から注がれる視線はひどく冷たかった。感情の色がない。虫の生態を観察する学者のような“知的な無関心”だけがそこにあった。
トモエ「よく言うわね」
トモエがふっと笑った。
トモエ「魔王アサヒがいなくなったから、好き勝手できるようになったくせに」
彼女はゆっくりと髪をかき上げた。その仕草はどこか“残酷な余裕”を感じさせた。
トモエ「でも残念ね。あなたが今ここにいるってことは――
“アサヒがいない今なら勝てる”って、そう思ったんでしょ?
甘いわよ。
アサヒがいなくても私がいるの。
創造神・桜山トモエが、ね」
一歩、前に出る。それだけで空気がビリリと震えた。風が止まり、音が消え、世界が一瞬だけ静止する。
私はその背中を見つめながら思った。
アサコ(相変わらずの挑発的な態度…いつ見ても怖いなぁ)
ゴブリンゴッド「この国にいるゴブリンが死に絶えた時、絶滅を防ぐために邪神王が我を作り出した。丁度良い。貴様を母体にすれば、再びゴブリンは繁栄するであろう」
ゴブリンゴッドの声は、どこまでも無機質だった。“繁殖”という言葉に倫理も感情も必要ないとでも言いたげに。
トモエ「日本にいるゴブリンがいなくなったところでまだ世界に腐るほどゴブリンいるじゃない」
トモエは肩をすくめた。
トモエ「どうせまたゴキブリみたいに勝手に増えるんだから気にしなくていいわよ。寧ろ私たち人間の方が少ないんだから、希少価値はこちらがあるわ」
ゴブリンゴッド「我が誇り高き戦士たちの命を愚弄するか。ならば楽には殺さぬぞ」
トモエ「“誇り高い戦士”……?」
トモエが小さく首を傾げた。
トモエ「なるほど。無抵抗な市民を嬲り殺すのが、あなたたちの誇りなのね。
……ずいぶんと下劣な神話だこと。そんなもののために命を語るなんて――
あなたたちの存在そのものが、地球にとってのノイズだわ」
一歩、さらに前に出る。その足元から淡い光が広がっていく。
トモエ「やっぱり、ゴブリンは絶滅させた方が地球のためね」
その言葉は慈悲の仮面をかぶった死刑宣告だった。
トモエ「――光命転環」
淡い光が旭光に変わる。それはまるで夜明けのような美しさだった。
ゴブリンゴッド「デウス・ウィスパー」
ゴブリンゴッドが手を突き出し、魔法陣を展開する。
トモエデウス・ウィスパー…?ああ…確か、神ですらも逆らえない強力な命令系魔法だったかしら?」
トモエは首を傾げ、まるで古いレシピを思い出すように呟いた。
トモエ「だけど、残念」
ドゴッ!!
鈍い音が響いた。トモエの拳が、ゴブリンゴッドの腹にめり込んでいた。
ゴブリンゴッド「ゴフッ!?」
ドゴォン…
ゴブリンゴッドが膝から崩れ落ちる。仮面が傾き、苦悶の声が漏れる。
ゴブリンゴッド「な、何故、我の魔法が効かん…」
ゴブリンゴッドが腹を抑えたまま苦しそうにしていた。
トモエ「光命転環は、相手の魔力と寿命を奪いつつ、自分の寿量に変化させて力にする大神術。余った魔力は結晶化させればいいから、パンクすることもない。だから――貴方の“デウス・ウィスパー”で発生した魔力は、光命転環によって私の寿量としておいしく頂いたわ」
トモエは微笑んだ。それは勝利を確信した者の笑みではなかった。ただ当然の結果を確認しただけの、神の表情だった。
ゴブリンゴッド「ばっ馬鹿な!!かつて創造神は我ら邪神王の直轄神の中では最弱!!そんな無能の力を継いだ小娘が、何故これほどの力を!?」
トモエ「私が強いから。ただそれだけよ」
トモエの返しはあまりにもあっさりしていた。“説明”も“誇示”もなかった。ただ事実を述べただけの声だった。
ゴブリンゴッド「図に乗るなよ、下等生物が…!」
ゴブリンゴッドが立ち上がり、魔法陣を展開しようとする。けれどそれは一瞬で霧散した。
ゴブリンゴッド「武器を出すこともできないのか!?うぐっ……!」
胸を押さえ、ゴブリンゴッドが苦しげにうずくまる。その巨体がまるで崩れかけた像のように揺れていた。
トモエ「寿命を奪っていると言ったでしょ?」
トモエが静かに歩み寄る。
トモエ「だけど、時間がそれほど経っていないのにもう死にそうになるなんて……最弱なのは貴方じゃないかしら?」
そしてふっと息を吐くように言った。
トモエ「――さて、旭道初段」
紫のオーラがトモエの身体を包み込む。空気が震え、光が揺れる。その中心に立つ彼女は、まるで“処刑の女神”だった。
トモエ「次の仕事があるから、さっさと終わらせるわ。じゃあね」
ゴブリンゴッド「ま、待て……我は……まだ……消えたく……ない……!そっ、そうだ!!我と手を組もう!!我も邪神王が気に入らなかったのだ!どうだ!?共に邪神王を倒そうではないか!!」
ゴブリンゴッドが地を這うように、トモエに縋りつく。その姿にかつての“神”としての威厳はどこにもなかった。
アサコ(まぁ、ゴブリン風情にそんなものあるわけないけど…)
私は心の中で肩をすくめた。
トモエは冷めた目で彼を見下ろしていた。その瞳には怒りも憐れみもなかった。“価値のないもの”を見つめる視線だった。
トモエ「……情けない。
愛する人たちを守るために、汚名を背負って死を受け入れた男の子がいたというのに……」
その言葉に空気が一瞬だけ沈んだ。トモエの中にある“記憶”が、ふと顔を覗かせた気がした。
ゴブリンゴッド「そ、そうだ!我は……我は本気を出していなかっただけだ!お前を試していただけだ!な?な?なぁ……!?」
トモエ「命乞いをしてきた人たちを殺しておいて、自分だけは助かろうって?これだからゴブリンは、下等魔族なのよ」
トモエがふわりと宙に浮かび、右手を掲げた。その手が、ゆっくりと振り下ろされる。
ズバァンッ!
空気が裂ける音がした。ゴブリンゴッドの身体が、まるで紙を裂くように――
真っ二つに、静かに割れた。
ドチャ…
血の音が遅れて耳に届いた。
トモエ「ふぅ…気持ち悪かった」
トモエは淡々と呟き、旭道初段と光命転環を解いた。そしてこちらに向かって歩いてくる。その足取りは“仕事を終えた帰り道”のように軽やかだった。
トウカ「流石トモエさま!ゴブリンの神ですらも圧倒的な力差で勝つなんて凄いです!!邪神王にも勝てるのでは!?」
トウカが目を輝かせて叫んだ。彼女は子供がヒーローを見上げるような純粋さに満ちていた。
アサコ「全くだね。頼りになるよ」
私も素直にそう思った。
あの圧倒的な力。
あの冷静さ。
あの美しさ。
恐怖も皮肉も全部吹き飛んで――ただ感心するしかなかった。
でもトモエは――
どこか、哀しそうな顔をしていた。
トモエ「ありがとう」
その声は少しだけ遠くを見ていた。
トウカ「どうか、されたんですか?」
トウカが心配そうに尋ねる。
トモエは、ふっと笑った。その笑みはいつものように余裕を含んでいたけれど、どこか、誰にも触れられたくない傷を隠すような静けさがあった。
トモエ「ちょっと、昔のことを思い出していただけ」
トウカ「もしかして…さっきゴブリンゴッドに言っていた、男の子のことですか?」
トモエ「ええ…」
トウカの声が少しだけ震えた。それでも彼女は聞かずにはいられなかった。
トウカ「その男の子とは、一体どういった関係だったんですか?」
トモエはゆっくりと振り向いた。そして、空を見上げた。広がる青空に、何かを重ねるように――
まるで、そこに“もういない誰か”を探すように。
トモエ「愛してたの」
その言葉は風に溶けるように静かだった。でも、確かに届いた。胸の奥に、そっと火を灯すような温度で。
私は何も言えなかった。
ただ、空を見上げる彼女の横顔を、見つめていた。




