山喰いギンジロウ⑤
アキナ ― 森吉山・川沿いの桜並木 ―
ギンジロウさんが、ゆっくりと猟銃を下げた。その動きは“怒りを収めた”のではなく、これから本気で言い合う覚悟を決めた動きだった。
ギンジロウ「お前さんはあのクソガキ共を信じているようだが..……知り合いでもないのになぜ信じることができる?」
アキナ「そっ、それは..……」
言葉が詰まる。理由は…ある。でも、うまく言葉にならない。
ギンジロウさんは構えを解き、私の前に立ちはだかった。その影は大きくて、山そのものが私に問いかけているようだった。
ギンジロウ「どちらが大事かね?世界の為に死んだ少女たちが眠るこの自然か、それを踏みにじる青年たちの命か…」
胸がぎゅっと締まる。どちらも大事で、どちらも捨てられない。私は唇を噛んで、でも目を逸らさずに言った。
アキナ「……どちらかなんて、選べません。だって、どちらも大事だから」
ギンジロウさんの眉が深く寄る。
ギンジロウ「甘いことを言うな。自然か人間か、どちらかを選べ」
アキナ「選びません。選んだら、どちらかが泣くから」
桜の花びらがひらりと落ちる。その一枚が地面に触れた瞬間、胸の奥が熱くなる。
アキナ「桜は、誰かの死を受け止めて咲いています。だから守りたい。でも、人も……間違えることがあるだけで、本当は守られたいんです」
ギンジロウさんが、低く呟く。
ギンジロウ「守られたい?あいつらがか?」
アキナ「はい。誰かが止めてあげなきゃ、ずっと間違えたまま生きてしまう。それは……桜が泣くのと同じくらい悲しいことです」
私は一歩前に出た。
風が頬を撫でる。
桜の影が揺れる。
アキナ「だから私は、どちらも守ります。桜も、人も。そのためなら……私が傷付くくらい、どうってことありません」
その言葉は、胸の奥から溢れた光みたいに、自分でも驚くほどまっすぐだった。
ギンジロウさんの目が細くなる。怒りか、呆れか、試すような光か――
そのどれでもあり、どれでもない。
桜の花びらが二人の間に舞い落ちる。
ギンジロウさんは、ゆっくりとアサコさんへ視線を向けた。
ギンジロウ「アサコはどう思う?」
アサコさんは、無表情のまま私を見る。その瞳には、怒りも悲しみも揺らぎもなかった。ただ、静かで深い湖みたいな“無”があった。
アサコ「アキナのやりたいようにやればいいわ。だけど、もしあの男たちがアキナに危害を加えるなら、あいつらの命の保証はできない」
その声は淡々としているのに、刀を抜く前の静かな殺気のような“強さ”があった。ギンジロウさんが鼻で笑う。
ギンジロウ「ほう?つまり俺と同じであのクソガキ共を殺すことも厭わないと?」
アキナ「アサコさん………」
胸がきゅっと痛くなる。守ろうとしてくれているのは分かる。でも、その言葉はあまりにも冷たくて、あまりにも鋭かった。
アサコさんは変わらず無表情。けれど、その声だけは揺るぎなく強かった。
アサコ「私は、命は不平等だと考えている。この自然と人の想いを踏みにじる人たちと、悲しみを受け止める優しさを持つアキナ。どちらの命が価値があるのかは一目瞭然。高潔な人の命こそ価値がある。だからアキナとトウカに危害を与えるなら排除するだけ」
その言葉は、刃が空気を切り裂くように鋭かった。私は一歩、アサコさんに近づいた。
アキナ「……アサコさん。ありがとう。私を守ろうとしてくれてるのは、ちゃんと分かってる」
アサコさんは無表情のまま、わずかに瞬きをする。
アキナ「でもね……私は、命に価値の差をつけたくない。高潔とか、汚れてるとか、そんなふうに決めたくないの」
アサコさんはまた、無表情のまま瞬きをした。それは、彼女なりの“感情の揺れ”だった。私は桜の影を見上げながら、静かに言った。
アキナ「だって……もし誰かが間違えてしまったなら、その人は“守られなかった痛み”を抱えてるだけかもしれない。桜を折る人だって、本当は誰かに止めてほしいのかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、アサコさんの口元がほんの少しだけ、柔らかくなった。
アサコ「それなら、確かめにいけばいい。彼らがその痛みを抱えているのかを」
その微笑みは、アサヒ君が時々見せた、あの優しい笑みに似ていた。
アキナ「うん。行って来るよ。きっと、分かってくれると思うから」
胸の奥に灯った小さな決意を抱えて、私は川沿いへと駆け出した。
トウカ「アキナさま!お待ちください!私も行きます!!」
トウカちゃんの声が背中に届く。振り返らなくても分かる。彼女は必死に私を追いかけている。その足音は、まるで「一人にしません」と言ってくれているみたいだった。
アサヒ ― 森吉山・川沿いの桜並木 ―
桜並木の影が静かに揺れ、アキナとトウカの背中が遠ざかっていく。その姿を見送りながら俺はゆっくりと息を吐いた。
ギンジロウが木に胡坐をかき、獣が獲物を観察するような目で俺を見た。
ギンジロウ「いいのか?付いて行かなくて」
その声は軽い調子なのに奥に鋭い探りがあった。俺はアキナとトウカの背中を見つめたまま答えた。
アサコ(アサヒ)「俺がいたら、心強くなるでしょ?それじゃあ、駄目なの」
そう言って俺も木の根元に腰を下ろした。
ギンジロウが眉をひそめる。
ギンジロウ「何故駄目なんだ?お前はアキナとトウカを守るんだろ?」
アサコ(アサヒ)「そう。だからこそ、彼女たちにはこの世界は複雑だと理解して欲しいの」
ギンジロウの視線が鋭くなる。
ギンジロウ「複雑?」
俺は桜の枝を見上げながら静かに言葉を続けた。
アサコ(アサヒ)「罪の重さを理解できなければ人は同じ過ちを繰り返す。
人は自然を生き抜く為に、自分たちの秩序を作った。だから生活をすることができる。しかし、その秩序を崩すものが現れれば、排除されるのは当たり前。バランスを維持しなけば、人は生きていけない」
ギンジロウの目が細くなる。俺の言葉を噛みしめるように。
アサコ(アサヒ)「アキナの優しさは正しい。だけど、それだけでは人は救えない。単純な方法では、人を救うことはできない。それを理解して欲しい」
ギンジロウはしばらく黙り、やがて口角を上げた。
ギンジロウ「なぁるほど。お前さんのことが分かったぞ」
その笑みは、獣が獲物の正体を見抜いた時の笑みだった。
ギンジロウ「お前..……春風アサヒだろ?」
俺は肩をすくめ、呆れたように笑った。
アサコ(アサヒ)「何を言っているの?そんなわけないじゃない。それに、アサヒは男よ?」
ギンジロウは鼻で笑う。
ギンジロウ「誤魔化しても無駄だ。それに、俺は嘘を見抜くことが得意だ。
特にお前が俺の弾丸を斬った時から変だった。男と女は肩と腰の使い方が違う。お前さんは普段、女の動きをしている。だが刀を抜いた瞬間、腰の入り方が男のそれだった。あれは鍛えた男の動きだ。誤魔化せねぇよ」
その言葉に、ふっと笑った。
周りにはアキナもトウカもいない。
ギンジロウと二人きり。
ならば――隠す必要はない。
俺はゆっくりと顔を上げ、本来の声で言った。
アサヒ「随分と目がいいな。流石は山喰いギンジロウ。長拓少佐の報告通り、卓越した観察眼だ」
ギンジロウの目が見開かれる。
ギンジロウ「その顔…やはり春風アサヒか」
俺は立ち上がり、桜の影の中で静かに微笑んだ。
アサヒ「ご名答。俺が――春風アサヒだ」
桜の花びらがひらりと落ち、二人の間に静かに舞った。




