山喰いギンジロウ④
アキナ ― 森吉山・山道の桜並木 ―
ギンジロウ「何かいるぞ…」
ギンジロウさんの低い声が、森の静けさを切り裂いた。次の瞬間、彼は迷いなく猟銃を構える。
トウカちゃんも反射的に拳銃を形成し、アサコさんは刀の柄を握りしめた。
空気が一気に戦闘の匂いに変わる。
でも――
胸の奥に、違う感覚があった。
私は一歩前に出て、声を張った。
アキナ「待ってみんな!」
三人が一斉に振り向く。その視線の中で、私は静かに言った。
アキナ「大丈夫。敵じゃないよ」
森の奥から、地面がゆっくり沈むような音が響いた。
……ぎゅ……
枝が一本だけ折れる。
ぱき……
草が押し分けられる。
さ……さ……
そして――
地面の奥から、心臓みたいな低い響き。
……ド……ド……
急いでいない。
迷っていない。
ただ、まっすぐこちらへ向かってくる。
その“気配”は、
怖さよりも、胸の奥を温かくする何かだった。
白い影が、桜の間からゆっくりと姿を現した。
大きな白い身体。
雪のように透き通った毛並み。
そして額には――
天照が生み出した神使の証、旭光のマーク。
光を宿したような金色の紋が、森の薄暗さの中で静かに輝いていた。
トウカちゃんが息を呑む。
トウカ「あれが、天の寅……」
その声は震えていたけれど、恐怖ではなく、圧倒的な美しさへの震えだった。
天の寅は、ただ立っているだけで、太陽のような温かさを放っていた。
冷たい森吉山の空気が、その周囲だけ春のように柔らかくなる。
ド……ド……
天の寅はゆっくりと、まっすぐ私に近づいてきた。
その瞳は獲物を見る鋭さではなく――
まるで、長い旅から帰ってきた猫が、飼い主を見つけた時のような、柔らかい光を宿していた。
私は自然と手を伸ばしていた。
天の寅が頭を寄せる。その大きな額が私の胸元に触れた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
私はそっと撫でた。
アキナ「待たせて、ごめんね…」
天の寅は目を細め、喉を鳴らすように低く息を漏らした。その仕草は、あまりにも優しくて、あまりにも愛おしかった。
ギンジロウさんとトウカちゃんは、驚きながらも嬉しそうに目を見開いた。
ギンジロウ「驚いた.……天の寅が自ら姿を現し、甘えるとはな。流石、天照さまの化身だな」
ギンジロウさんの声は、感嘆と敬意が混ざっていた。
トウカちゃんは拳銃を消し、胸の前で手を組んだ。
トウカ「この調子なら、天の十二支集めはすぐに終わるわ」
その声は期待と誇らしさで弾んでいた。
アサコさんは――
ただじっと、天の寅を見つめていた。
アキナ「よし…」
私はポケットから、小さな手のひらサイズの鏡を取り出した。
天岩戸の鏡。
神使を封印するための鏡。
鏡面はただの銀色なのに、手に持つと、胸の奥が少しだけ熱くなる。
私は鏡を天の寅へ向けた。
パァア………
鏡が光を放つ。天の寅はその光に導かれるように、一歩、また一歩と進む。
シュンッ
天の寅が鏡の中へ吸い込まれた瞬間、光が静かに収まった。
トウカちゃんが胸を撫でおろす。
トウカ「天の寅、捕獲完了ですね。アキナさま」
私は微笑んだ。
アキナ「うん。これで任務完了だね」
ギンジロウさんもアサコさんも、そしてトウカちゃんも、ほっとしたように息をついた。
ドォンッ!! ガガガガガッ!!
突然、山全体を揺らすような爆音で、音楽が鳴り響いた。
トウカちゃんが耳を押さえながら叫ぶ。
トウカ「うるっさ!!せっかく気持ち良く任務が終わったのに台無しじゃない!!」
私たちは反射的に耳を塞ぎ、音のする方向へ顔を向けた。
アキナ(確か、あの方向は川沿いだったはず)
森吉山の静かな空気が、一瞬で乱される。桜の花びらが震え、枝がざわつく。
ギンジロウさんが眉間に深い皺を刻み、低く唸った。
ギンジロウ「..…あいつらだな。また俺の縄張りに勝手に入りやがって」
その声は、怒りを押し殺した獣のようだった。
次の瞬間――
ギンジロウさんは猟銃を構え、地面を蹴って走り出した。
アキナ「ギンジロウさん!?」
私は慌ててその背中を追いかける。桜の花びらが舞い散り、足元で跳ねる。
トウカちゃんが叫びながら走り出す。
トウカ「アキナさま!!待って下さい!!」
アサコさんも刀を握りしめ、無言で駆け出した。
アキナ ― 森吉山・川沿いの桜並木 ―
川沿いの桜並木は、朝の光を受けて淡い桃色の影を落としていた。
静かな水面に花びらが流れ、風が吹くたびにひらりと舞い上がる。
その穏やかな景色の中で――
場違いな笑い声が、桜を汚すように響いた。
川沿いの桜並木にいたのは、六人のごろつきたち。
桜の枝を揺らしながら、若い男たちが川べりに陣取っていた。
ごろつきA「うぇーい! 花見パーティー開幕〜!」
スピーカーを肩に担いだ一人目の男が、桜の根元にドンと置く。低音が地面を震わせ、川の静けさを乱暴にかき消した。
コンビニ袋から溢れたお菓子のゴミが風に流されていく。
ポテチの袋、チョコの包み紙、ストローの袋。
拾う気配はまったくない。
ごろつきB「おい、これ食えよ」
二人目の男は開けたばかりのスナック菓子を仲間に投げる。受け損ねた袋は地面に落ち、男は面倒くさそうに足で踏みつけた。
三人目の男は缶ビールを片手に、花びらを散らすように枝をバシバシ叩き、騒ぎながらスマホで動画を撮っている。
ごろつきC「すげー!桜シャワーじゃん!」
四人目の男は一人は川に向かって石を投げ、子どもじみた声を上げる。
ごろつきD「おっしゃー!4回跳ねたー!!」
五人目の男は桜の幹に背を預けていた。
ごろつきE「ここ、マジ映えスポットじゃね?」
そして六人目のリーダー格らしき男が、桜の根元に置かれた注意看板を足で軽く蹴る。
ごろつきF「桜に触るな?いやいや、触れなきゃ楽しめねぇだろ〜」
薄く笑いながら缶を地面に放り投げ、自撮りを繰り返す。
桜並木の影に身を潜めながら、私たちはごろつきたちの乱暴な振る舞いを見ていた。
アキナ「酷い……」
胸がぎゅっと締め付けられる。
あの桜は――死者を弔い、祈りを受け止める桜。
誰かの痛みと願いが根に染み込んでいる桜。
それなのに、あんなふうに乱暴に扱われているのを見ると、胸の奥が痛くて、息が詰まりそうになる。
トウカ「ギンジロウ!?何をやっているの!?」
トウカちゃんの声に反応して、私はギンジロウさんを見た。
ギンジロウさんは――
猟銃を構え、ごろつきたちを狙っていた。
ギンジロウ「静かにしろトウカ..……バレたら逃げられる」
その声は低く、獣のように研ぎ澄まされていた。
私は息を呑む。
アキナ「もしかして、彼らを殺すんですか」
ギンジロウ「そうだ」
迷いのない返答だった。
アキナ「そんな!確かに、自然を汚すのは悪いことですが…何も命を奪わなくてもいいじゃないですか!!」
ギンジロウさんは眉をひそめ、短く息を吐いた。
ギンジロウ「俺は一度、あのクソガキ共に注意した。
二度目で警告をした。
次は命はないとな。
そして今回は三度目だ。
仏の顔も三度までというだろ?」
その声は怒りではなく、“決めたことを実行する者の声”だった。
でも――
私は引けなかった。
アキナ「それでも、人殺しはよくありません!!」
ギンジロウさんの視線が、鋭く私を射抜く。
ギンジロウ「何..……?」
その目は、獣の目だった。でも私は負けずに見返した。
アキナ「桜は、誰かの死を受け止めて咲いています。その桜の下で命を奪ったら、花が泣いちゃいます」
私がそう言った瞬間、ギンジロウさんの目が、獣のように鋭く細くなった。
怒りというより――
“自分の流儀を否定された男の目”。
桜の花びらがひらりと落ちて、二人の間の空気が張り詰める。




