山喰いギンジロウ③
アキナ ― 森吉山・狩猟仮小屋 ―
焚き火のぱちぱちという音が、森吉山の静けさに溶けていく。
鹿肉の香ばしい匂いが鼻をくすぐり、私はもきゅもきゅと口を動かす。自分では普通に食べているつもりなのに、トウカちゃんは隣でスマホを構え、目を輝かせていた。
トウカ「キャアアア!!アキナさまの食べ方可愛いィイイイ!!」
思わず肩が跳ねる。そんなに可愛いかな…?と疑問に思いながらも、トウカちゃんの嬉しそうな顔を見ると何も言えなくなる。
ギンジロウさんは豪快に笑いながら、私たちを順番に見た。
ギンジロウ「だはは!アキナは子鹿だな!そしてトウカは小狐!」
その声は焚き火の熱と同じくらい温かくて、思わず笑ってしまう。けれど、アサコさんに視線が向いた瞬間だけ、空気が変わった。
ギンジロウさんの瞳が、鋭く細くなる。
ギンジロウ「アサコは…狼、だな」
アサコさんは肉を噛みながら、口元だけで笑った。
アサコ「私だけ可愛くないわね。金平糖をあげなかった当てつけ?」
軽口のように聞こえるのに、どこか張り詰めた響きがある。
ギンジロウさんも同じように笑ったが、その目は笑っていなかった。
ギンジロウ「いいや。お前が俺の弾丸を斬った時の目…あの目だけはアキナとトウカとは違う。今まで生きていてあの鋭い眼光を見たのは初めてだ。そして幾多の修羅場を潜り抜けた強者の匂い。俺の鼻はよく当たる。お前は、狼だ」
焚き火の赤い光が、アサコさんの横顔を照らす。アサコさんは、ゆっくりと視線を落としながら言った。
アサコ「狼じゃないわ。狼は群れを守るもの。私は違う。自分の為に生きている」
その言葉は淡々としているのに、胸の奥に重く沈んでいく。
ギンジロウさんは満足そうに鼻を鳴らした。
ギンジロウ「やはり、狼だな」
アサコさんは何も返さない。ただ、焚き火の向こうを見つめていた。
アキナ(狼…)
私はその横顔を見つめながら、胸の奥がきゅっと締め付けられる。焚き火の光が揺れ、アサコさんの影も揺れた。
その影は、私の知らない深い森の奥へ続いているように見えた。
アサコ「そんなことより、ギンジロウは天の寅を見た?全身白くておでこに旭光のマークがあるんだけど」
その声は、私の胸の奥に沈んでいた疑問や不安を一瞬で吹き飛ばすほど、まっすぐだった。まるで焚き火の炎を手で払ったみたいに、場の空気が切り替わる。
ギンジロウさんは肉を噛みながら、低く唸るように答えた。
ギンジロウ「ああ。奴を何度も見ている」
アキナ「本当!?」
私は反射的に立ち上がっていた。
体が勝手に動いた。
胸の奥が熱くなる。
ギンジロウさんは髭を触りながら、記憶を探るように目を細めた。
ギンジロウ「一年くらい前か?奴はこの山を何度も回っている。まるで誰かを待っているかのようにな」
アサコさんが、焚き火の向こうをぼんやり見るように呟いた。
アサコ「誰かを、待っている?」
その声は、焚き火の火の粉みたいに小さくて、でも耳に残る。
トウカちゃんが、呆れたように肩をすくめた。
トウカ「アキナさまとトモエさまのことだって。トモエさまが言っていたでしょ?天照大神さまの転生者にしか現れないって。それならこの二人しかいない」
ギンジロウさんが、じろりと私たちを見る。
ギンジロウ「天照さまの転生だと?」
その視線は、獣のように鋭い。でも、どこか確かめるような優しさも混じっていた。
ギンジロウ「確かに、神聖なものを感じるが…」
トウカちゃんは胸を張って、得意げに言う。
トウカ「それこそ、アキナさまが天照大神さまの化身である証。今後はアキナさまへの身の振り方には気を付けて」
アキナ「だから、そういうの恥ずかしいって〜」
私が顔を赤くすると、トウカちゃんはさらに熱を上げた。
トウカ「何をおっしゃるんですかアキナさま!アキナさまは破壊神であるのですから、もっと自信を持って胸を張って下さい!!」
破壊神……
胸を張れと言われても、どうしたらいいのか分からない。でも、トウカちゃんの言葉は不思議と嫌じゃなかった。
アサコさんは、焚き火の炎を見つめたまま静かに言った。
アサコ「私たちはその天の寅を保護しに来たの。あれは元々、天照大神のもの。要はアキナとトモエのもの。だから目撃した場所まで案内してくれないからしら?」
その声は、焚き火の熱よりもずっと強くて、まっすぐだった。
ギンジロウさんは、肉を噛みながら不敵に笑った。
ギンジロウ「天照さまの化身が困っているなら見て見ぬふりはできんだろ。いいだろう。協力してやる。肉を食べ終えたら出発するぞ」
その笑みは、山の男らしい豪快さと、どこか頼もしさを含んでいた。
アキナ ― 森吉山 ―
ギンジロウさんの後を、私たちはついて行く。桜の花びらがひとつ、私の肩に落ちた。それは春の柔らかい風ではなく、森吉山の冷たい空気に乗って静かに舞い降りたものだった。
10年前だろうか?6歳の頃に自由研究で桜がある地域を調べたことがあった。だから、森吉山には桜が無いことは知っていた。
それなのに桜が咲いていた。ギンジロウさんの背中を追いながら、私はずっと気になっていたことを口にした。
アキナ「ギンジロウさん」
ギンジロウ「何だ?」
振り向かず、山道を進む足は止まらない。
アキナ「森吉山には桜は無いよね?それなのに、どうしてここにあるの?」
ギンジロウさんは、少しだけ歩幅を緩めて答えた。
ギンジロウ「北秋田市で死んだ神術士を弔う為に、市民が桜を移植したんだ」
その言葉は、冷たい山の空気よりもずっと重く、胸の奥に沈んでいく。
トウカちゃんが首を傾げる。
トウカ「神術士って、神使に選ばれた少女たちのこと?」
ギンジロウ「そうだ」
ギンジロウさんは立ち止まり、満開の桜を見上げた。焚き火の赤ではなく、淡い桜色が彼の横顔を照らす。
ギンジロウ「神術士は大巫女と違い、神使に選ばれただけだ。だから創造神に選ばれた大巫女よりも寿量の出力が弱く、神仏合体ができない。そのせいで、戦死する子が多かった。当時の創造神さまはケチだったからな」
その声は、怒りでも悲しみでもなく、ただ事実を語るように静かだった。
ギンジロウ「今の創造神さまみたいに、適性のある少女たち全員に力を与えれば、多くの子供が死ぬことはなかった。まぁ、見殺しにしてきた俺たちも同罪だろな。だから、せめてもの罪滅ぼしで市民たちが桜を植えたんだ。とはいえ、こんなものただの自己満足だがな」
風が吹き、枝が揺れ、花びらが一斉に舞った。その光景はあまりにも綺麗で、あまりにも悲しかった。
アキナ(この桜は…綺麗だけど…)
ギンジロウさんの言葉が、胸の奥で重く沈む。
アキナ(死んだ子たちのための桜…
自由研究で調べた時は、
“森吉山には桜はない”って書いてあったのに…
こんなにたくさん咲いてるのは…
誰かが、誰かのために植えたからなんだ)
花びらが舞うたびに、胸の奥がぎゅっと縮まる。
アキナ(この桜の下で…
どれだけの子が…
どれだけの痛みを抱えて…
どれだけの人が泣いたんだろう)
息が少しだけ詰まる。胸の奥が熱くなるのに、冷たい風が頬を撫でていく。
私は桜の木を見上げた。
その花は、ただ綺麗なだけじゃない。
誰かの痛みと、誰かの祈りと、誰かの後悔が混ざって咲いている。
アキナ「……っ」
声にならない声が漏れた。自分でも驚くほど、静かで弱い音だった。
トウカちゃんが心配そうに覗き込む。
トウカ「アキナさま…?」
私は首を振った。泣いている理由を誤解されたくなかった。
アキナ「違うの…悲しいんじゃなくて…
……綺麗すぎて、苦しいの」
言葉にすると、胸の奥がさらに熱くなる。
桜の美しさが、痛みみたいに刺さる。
花びらがまたひとつ落ちて、頬を撫でた。
その瞬間、涙がもう一筋、静かに落ちた。
アキナ(こんな桜、知らなかった…
こんな桜、見たくなかった…
でも…
見なきゃいけなかったんだ)
森吉山には桜がない。
6歳の頃、自由研究で調べた時にそう書いてあった。
でも今、目の前には――
誰かが誰かのために植えた桜が、こんなにも咲いている。
風が吹き、枝が揺れ、花びらが舞う。
その光景は、綺麗すぎて、胸が痛くなる。
ふと横を見ると、アサコさんは何も言わず、ただ桜を見上げていた。
その横顔は――
誰かの痛みを静かに背負っているように見えた。
その姿が、
アサヒ君が最後に見せた、あの静かな強さと重なってしまう。
胸の奥がまたきゅっと締まる。




