山喰いギンジロウ②
アキナ ― 森吉山・狩猟仮小屋 ―
ギンジロウさんに気に入られてから、私たちはこの狩猟仮小屋へ案内してもらい、焚き火を囲んで休ませてもらっていた。
狩猟仮小屋の中は外の冷たい空気とは違って、焚き火の煙と獣の匂いがゆっくりと漂っていた。
木の枝で組まれた壁は少し歪んでいて、笹と樹皮で覆われた屋根は風が吹くたびにかすかに軋む。その音が、山の呼吸みたいに聞こえた。
毛皮の上に座ると山の匂いが服に染み込んでいくようで、胸の奥が少しだけざわついた。
壁には罠や猟銃が吊るされ、乾いた肉と薬草が整然と並んでいる。どれもギンジロウさんが“生きるために”置いたものだ。
私は毛皮の上に座りながら、ギンジロウさんと仲良くなった経緯を二人に話していた。
アキナ「..……ということで、仲良くなりました」
トウカちゃんは目を輝かせ、まるで祈りを捧げるシスターさんみたいに両手を合わせた。
トウカ「流石アキナさま!!やはりアキナさまには誰もが跪くほどの神聖なるオーラがあるのです!!」
アキナ「はっ、恥ずかしいからやめてよ~………」
頬が熱くなる。焚き火のせいじゃなくて、トウカちゃんの言葉のせい。
アサコさんは小屋の中を静かに見渡し、興味深そうに毛皮や道具の並びを観察していた。
アサコ「小屋を持っているってことは……長くこの山にいるってこと?」
ギンジロウさんは焚き火の前で、串に刺した生肉をゆっくりと焼きながら答えた。
ギンジロウ「ああ。ここに来て二年だな。その前は北海道でヒグマを狩っていた」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がひゅっと縮まった。私は思わず、焚き火の炎を見つめた。炎が揺れるたび、ギンジロウさんの影が大きく伸びる。
アキナ「ヒグマ………」
ヒグマはツキノワグマとは違う。山の王様みたいな存在で、怒らせたら木も岩も人間も全部同じ“障害物”になる。
小さい頃から動物の勉強をしてきたから、その強さは知っている。
前脚の一撃は人間の頭蓋骨を簡単に砕く。
噛む力は鉄のドラム缶をへこませる。
突進されたら車が横転するほどの体重。
焚き火の光がギンジロウさんの横顔を照らす。その影は、山よりも大きく見えた。
ギンジロウ「若い頃からヒグマは狩っていたが、最近のヒグマは身体が細く、弱くなったな」
その声は淡々としていて、串に刺した肉をゆっくりと回しながら炎の色をじっと見つめていた。
アキナ「それは…どうしてですか?」
ギンジロウさんは肉を火から少し離し、煙の向こうで目を細めた。
ギンジロウ「三年前に魔族が大量に日本に住み着いたからだ。奴らは山を開拓し、動物たちの住処を奪ってやがる。そして山にいる動植物を食い尽くし、次の土地へ移動する。ゴミだけを残してな」
焚き火の火の粉がひとつ、空へ跳ねた。
ギンジロウ「このままいけば、日本から山は無くなり、ゴミしか残らないだろうな」
その言葉はあまりにも平然としていて、胸の奥がきゅっと痛んだ。私は勇気を出して、少しだけ声を震わせながら聞いた。
アキナ「その…悲しくはないんですか?」
ギンジロウさんは答えず、焼けた肉の表面をじっと見つめた。その横顔は、山の岩みたいに動かなかった。
やがて、低い声が落ちてきた。
ギンジロウ「自然界は弱肉強食。それは世界も同じだ。このまま山が無くなり、日本が魔族に食い尽くされても、それは日本が弱かったから喰われただけ。それが真理だ」
焚き火の光がギンジロウさんの片目を照らし、その瞳は獣のように静かだった。
トウカちゃんが眉をひそめ、不満そうに腕を組んだ。
トウカ「随分と他人事ね」
ギンジロウさんは肩をすくめ、どこか誇らしげに笑った。
ギンジロウさん「当たり前だ。俺は野獣だ。世界がどうなろうが知ったことではない。ただ本能のまま生きるだけよ」
トウカちゃんはさらに顔をしかめた。
トウカ「そう言って、ただ逃げているだけでしょ?」
ギンジロウ「だははは!!勝手にそう思うがいい。俺は誰かに理解してもらう為に生きているわけじゃない。自分の為に生きている。野獣のように生き、そして死んで土になる。それができれば後はどうでもいい」
その不敵な笑みに、トウカちゃんは頬をふくらませた。
トウカ「むぅ~……」
私はそっと手を伸ばし、トウカちゃんの頭を優しく撫でた。
アキナ「トウカちゃん、よしよし」
トウカちゃんは少しだけ肩の力を抜いて、私の手に頬を寄せた。
アサコさんは袋から取り出した金平糖を指先でつまんでいた。光を受けて、砂糖の粒が小さくきらめく。
アサコ「モグモグ……。そういう器用な生き方ができるのはギンジロウくらいよ。今さら、私たちはそんなふうに生きられないわ」
アサコさんは感心したように言いながら、もう一粒、金平糖を口に入れた。
ギンジロウさんは焚き火の向こうで串に刺した肉をゆっくりと回しながら、アサコさんを面白そうに見ていた。
その視線に気づいたのか、アサコさんは肩をびくっと震わせた。
アサコ「なっ、何か?」
ギンジロウさんは口角を上げ、手をひらりと差し出した。
ギンジロウ「お前さんのその金平糖……一口いいか?」
アサコさんは一瞬固まり、次の瞬間には即答していた。
アサコ「いや」
焚き火の音が妙に大きく聞こえた。
ギンジロウさんは呆れたように眉を上げ、しかしどこか楽しそうに笑った。
ギンジロウ「上手い鹿の肉を食わせてやるのに、金平糖を一個もくれないとはケチだな~」
焚き火の光が、四人の影をゆっくりと揺らしていた。




