静寂の密談②
アサヒ ― 神祓高等学校・教室 ―
キトリはプリントを指で軽く叩き、物理の問題を説明するような口調で言う。
キトリ「ここ、間違えやすいところよ。それと、神術総監と神術監の会議でアサコが旭軍のスパイ、もしくは“アサヒ本人”の可能性があるとして神祓特務隊全員に監視対象として目をつけられているわ」
声は小さい。だが、補修の説明に紛れて自然に聞こえる。俺はノートに式を書き込むふりをしながら返す。
アサヒ「監視対象?……俺がアサヒだと断定していないのか」
キトリ「ええ。三年間、正体も旭軍も完璧に隠し続けたから慎重になっているわ。女アサヒクローンやカツヤなんて嘘なのに、まだ信じているみたいよ」
アサヒ「カツヤ爺さん役をゴウゲン閣下がやったんだよな~。ゴウゲン閣下の演技の上手さには驚いたな~」
俺はペンを止めずに小さく笑う。実はアサコとして語ってきた“過去”はすべて演技だ。生い立ちも、家族も、苦労話も、涙を誘うように作られた“設定”にすぎない。アキナもトモエもその物語を疑いもしなかった。
キトリ「そんなこと言ってる場合?あなたの正体がバレるのも時間の問題なのよ。もし捕まったら――旭軍は崩壊するわ」
アサヒ「安心しろ。逃げる算段はできている。メッセージは読んだだろ?」
キトリ「ええ。おかげでこちらの疑いは晴れて、監視の目はアサヒ――あなたの方へ行ったわ。助かったけど……本当に大丈夫なの?」
アサヒ「そんなに心配ならさっさとトモエのパソコンのデータをUSBにコピーしろ。どうせパスワードは俺の誕生日なんだから」
俺はプリントをキトリへ渡す。
キトリ「どうして分かるのよ」
キトリが赤ペンを胸ポケットから出してプリントの丸付けを始めた。
アサヒ「六年前からトモエは俺のことが好きで一時期ストーカーをしていた。それほど執着しているんだ。パスワードを俺の誕生日にしてるに決まってる」
自分で言っていて少しだけ顔が熱くなる。だが事実だ。キトリはプリントを俺に渡した。
キトリ「……分かった。早く終わらせるようにするわ。だから――バレないように頑張りなさいよ」
俺は帰る支度をして補修が終わった生徒のように立ち上がる。
アサヒ「お互いにな」
教室は静かだ。だが、その静けさの裏で世界規模の作戦が動き始めていた。
キトリ「なにどさくさに紛れて帰ろうとしてるのよ。補修がこれだけで終わるわけないでしょ」
キトリが完全に“教師の声”で言った。作戦会議の緊張感が一瞬で吹き飛ぶ。
アサヒ「そうだよな……」
俺は小さくため息をつき、再び席に座り直した。世界の命運を左右する作戦の最中でも、補修は補修らしい。
アキナ ― 神術団体総司令部・会議室 ―
トウカちゃんと寮へ戻った後、急にトモエさんから呼び出しがあった。
胸がざわつく。嫌な予感だけが、足を速くさせた。
鬼神へ変身し、夜の街を駆け抜ける。総司令部に着くと誰にも見られないように変身を解き、そのまま会議室へ走った。
扉を開けた瞬間――
みんなの視線が一斉に私へ向いた。
アキナ「メッセージに書いていたこと! 本当なの!?」
声が震えていた。でも、聞かずにはいられなかった。
トモエさんは静かに頷く。
トモエ「本当よ、アキナちゃん。邪神王が日本とローズノヴァと旭軍のことで話し合いたいの」
マカナちゃんが低く唸る。
マカナ「無論、条件は付けるだろう?」
トモエ「ええ。ただその前に……」
トモエさんの視線が私を貫いた。その目は、私の心の奥まで覗き込むようで――
逃げ場なんてなかった。
トモエ「アキナちゃん。アサコの様子はどうだった?やっぱり……アサヒだったかしら?」
空気が重く沈む。みんなの視線が、私の返事を待っていた。
私は息を吸い込んだ。胸が痛い。でも、言わなきゃいけない。
アキナ「……ううん。彼女はアサヒ君じゃなかった。部屋で裸を見たけど……女の子の身体をしていたよ。それと旭軍のスパイでもなかった」
言葉は平然としていた。でも、心は震えていた。みんなの目が、疑いの色を帯びる。
トモエ「……本気で言ってるの?アキナちゃん」
アキナ「うん」
嘘をつくのが苦しい。胸の奥が、じんじんと痛む。トモエさんはヒマリちゃんへ視線を向けた。
トモエ「実はね。ヒマリがアサコをアサヒだと言っているの」
ヒマリちゃんは唇を噛みしめていた。その瞳は揺れていて、泣き出しそうだった。
ヒマリ「アサコと不意にキスをした時の感触……あれはアサヒの唇だった。私、アサヒとキスをしたことがあるから……分かるの」
胸が、ぎゅっと締めつけられた。息が苦しい。でも私は、笑顔を作った。
アキナ「だけどアサコさんはアサヒ君のクローンだから……唇も似ているんじゃないかな?」
ヒマリ「……アキナは……本当に……アサコがアサヒじゃないって……言うの……?」
その声は泣き声でも怒りでもなくて、ただただ“苦しい”声だった。
私は、また嘘をついた。
アキナ「うん。違うよ」
ヒマリちゃんの表情が一瞬だけ崩れた。
ほんの一瞬。
でも、確かに。
胸の奥で、
何かが折れる音がした。
それでも彼女は、私を信じようとした。
ヒマリ「……分かったよ。アキナのこと……信じるよ」
その言葉は、自分の心を犠牲にして絞り出した、痛い痛い“優しさ”だった。
ミアちゃんが腕を組む。
ミア「どちらにせよ女性の身体をしているならアサヒじゃないね」
ミネコちゃんが頷く。
ミネコ「ということは旭将軍が本物のアサヒさんということですかね?」
アカリちゃんが静かに言う。
アカリ「そういうことになるわね」
マカナちゃんが机を叩いた。
マカナ「いや!私はアサヒだと断言する!!」
アカリさんが呆れたようにため息を吐いた。
アカリ「マカナ。あんたそう言ってアサヒクローンを何人ぶっ壊したのよ……」
話が進んでいく最中、トモエさんがじっと私を見つめていた。
その視線は、痛かった。
胸の奥を、鋭く刺した。
アキナ「嘘じゃないよ!?本当だよ!?」
私は必死で惚けた。
大丈夫。
私は今までトモエさんたちに嘘をついたことがない。
だから――きっと、みんな信じてくれる。
トモエさんが、ゆっくりと頷いた。
トモエ「そうね。元々私がアキナちゃんを選んだもの。アキナちゃんは嘘を吐かない子。疑ってごめんなさい」
トモエさんが微笑む。その笑顔は優しいのに、どこか壊れていた。
私は笑った。笑うしかなかった。
アキナ「大丈夫だよ!気にしていないから!!」
――謝るべきなのは、私だ。
みんなに嘘を吐いて、
騙して、
裏切って。
最低なのは、私。
でも。
アキナ(それでも……)
アサヒ君を救えるなら。
私は――。
その瞬間、トモエさんの声が、冷たく響いた。
トモエ「それなら邪神王に出す条件は、アサヒを生きたまま捕らえ、こちらで処刑をすることにするわ」
アキナ「……え?」
世界が、止まった。
マカナちゃんが立ち上がり、机を叩く。
マカナ「処刑だと!?殺すのか!?アサヒを!?」
トモエさんは静かに首を振った。
トモエ「安心して。処刑は嘘。アサヒクローンを身代わりにすればバレないわ。世間にはアサヒが死んだと嘘の発表をし、裏で私が監禁するわ」
ミアさんが眉をひそめる。
ミア「日本にいる魔族と魔物の全員退去を条件にしなくていいのかい?」
トモエ「それは天の十二支の捜索の邪魔だから排除していただけよ。人々が苦しもうが関係ないわ。永祈の儀をすれば世界は救われるんだもの。最優先はアサヒよ。みんなもそれを分かっていて私について来たのでしょう?」
誰も反論しなかった。
ただ、暗い顔で頷いた。
その沈黙が、胸に重くのしかかった。
トモエ「そうしたら、私は邪神王とローズノヴァの会議の準備をするわ。みんなは引き続き魔族と魔物狩り。そしてアキナは天の十二支の捜索をお願いね」
一同「了解」
会議は終わった。
でも――
胸の奥の痛みは、終わらなかった。
だけど信じてる。
アサヒ君を救うことは、みんなを救うことになるって。




