温泉脱出作戦⑥
アサヒ ― 寮の温泉・脱衣所 ―
ガラガラッ!
温泉から出た瞬間、脱衣所は湯気と女子たちでぎゅうぎゅうだった。
アカリ「凄い混み始めたわね」
アカリが呆れた声を出し、トウカは首をかしげる。
トウカ「おかしいですね。この時間帯なら空いてくるはずですが……」
アキナも不思議そうに辺りを見回した。
アキナ「一年の子たち、多いね?」
アサコ(アサヒ)(……確かに。なんで一年がこんなに……?)
それぞれ自分の籠のある棚へ向かう。その時だった。
一年の女子たちがこちらを見た瞬間――
空気が変わった。
一年女子A「キャアアア!!アサコさまよ!!」
一年女子B「アサコさまが温泉に入ってた!!」
一年女子C「アサコさまが肌を出すなんて超レア!!」
一斉に俺へ殺到してくる一年生たち。
アサコ(アサヒ)(まさか……俺の裸が見たいのか!?いやいやいや、やめてくれ!!)
慌てて周りを見ると――
アキナ、トウカ、アカリ、マカナ、ミネコ、ヒマリまでじーっと俺を観察していた。
アサコ(アサヒ)(……え?なんで全員そんな目で……)
そして気づく。
アサコ(アサヒ)(そうか……!これもアキナたちの“作戦”か!!)
アキナが諜報員だという事実を俺は完全に忘れていた。一年生の熱狂、仲間たちの視線、このタイミングの良さ。湯気の中、脱衣所は戦場のように騒がしくなっていった。
アサコ(アサヒ)(だが、甘い!!)
無策でここに来たわけじゃない。ここさえ突破すれば、あとは自室に逃げ込むだけだ。
アサコ(アサヒ)「ふんっ!」
俺は濡れたバスタオルを大きく振り回した。水しぶきが弧を描き、周囲の女子たちの顔へ飛ぶ。
トウカ「うがぁあああ!?目がぁあああ!!」
トウカが奇声を上げてのたうつ。
マカナ「みっ、見えない!!」
マカナが壁に手をつく。
一年女子A「ぐおぉおお!!染みるぅうう!!」
一年女子Aが床にしゃがみ込み、
一年女子B「いっだぁああああ!!」
一年女子Bが涙目で転がった。
アサコ(アサヒ)(よし……!今だ!!)
周囲が全員目を押さえている隙に俺は乾いたバスタオルを掴み、全身を高速で拭き上げる。そしてほぼ一瞬で服を着た。髪をしっかりと一つ結びにしてーー
アサコ(アサヒ)「それじゃあさようなら!!」
叫ぶと同時に俺は脱衣所を飛び出した。湯気の向こうでアキナたちがぽかんと口を開けているのが見えた。
だが振り返らない。
今はただ――
99号室へ全力疾走するのみ。
(アサコ(アサヒ)(今日の温泉……命がいくつあっても足りない……)
廊下を駆け抜けながら俺は心の底からそう思った。
アサヒ ― 神祓高等学校・寮 99号室―
アサコ(アサヒ)「ふぅ~、乗り越えた………」
脱衣所の地獄から逃げ切った俺は99号室の扉を閉めた瞬間、全身の力が抜けた。しかし休む暇はない。机に向かい、パソコンを開く。画面に映った“違和感”にすぐ気づいた。
アサコ(アサヒ)(……トモエめ。やりやがったな)
微妙なカーソル位置。触った者にしか分からない“痕跡”が残っている。
おそらく――
露天風呂へ行ったと見せかけて途中で抜け出し、寮長からマスターキーを借りて侵入したのだろう。そして何らかの方法でパスワードを割り、中身を調べた。
アサコ(アサヒ)(短時間でパスワードを解読……相変わらず無茶苦茶な奴だ)
だが俺も馬鹿じゃない。この程度はすでに想定済みだ。本物のパソコンはタンスの下段。二重底のさらに奥。誰にも気づかれない場所に隠してある。トモエが見たのは、“囮”のパソコンだ。旭軍の情報は一切入っていない。ただの空箱。
アサコ(アサヒ)(……これでトモエは一旦引いたはずだ)
とはいえ油断はできない。
温泉での俺の挙動――
あれを見てトモエが何も感じないはずがない。
アサコ(アサヒ)(必ず何か仕掛けてくる。ピンチだが……チャンスでもある)
俺はスマホを取り出し、暗号化されたメールを打ち込む。宛先は、神祓特務隊に潜り込んでいる“もう一人のスパイ”。
暗号化されたメッセージの意味は
『計画を第二段階へ移行。
俺が注意を引いている間に、
天の十二支を集める理由を探れ』
画面が暗くなる。
アサコ(アサヒ)(トモエは真面目な子だ。無駄なことは絶対にしない。天の十二支を集めるのには何か重大な理由があるはずだ)
だからこそ、俺はここにいる。
女装なんて大嫌いだ。
二度としたくない。
できるなら今すぐ脱ぎ捨てたい。
だが――
アサコ(アサヒ)(それでも、俺には果たすべき野望がある)
迷っている暇はない。甘さも、弱さも、全部捨てた。世界を変えるには、あらゆる手段を使わなければ勝てない。それが現実だ。
俺は椅子にもたれ、深く息を吐いた。
湯気の温もりはもう消えていた。残っているのは、冷たい決意だけだった。
扉が開いた瞬間、アキナが全身から湯気を立てながら飛び込んできた。
アキナ「わっ!やっぱりアサヒさん髪乾かしてない!!」
アサコ(アサヒ)(……見つかった)
アサコ(アサヒ)「タオルで拭いたから大丈夫よ」
アキナ「駄目だよ!!長い髪は根元が乾きにくいんだから!しっかりドライヤーで乾かさないと!!」
アサヒ「嫌よ、面倒くさい」
アキナ「駄目!!」
返事を聞く気ゼロの声だった。気づけば俺はアキナの化粧台の椅子に座らされていた。そしてアキナがドライヤーを構えていた。
ゴォオオオオッ
温風が背中に当たる。アキナは真剣な顔で俺の髪を手ぐしで持ち上げながら乾かしている。根元に風を入れ、左右に振りながら乾かすその手つきはまるで美容師だ。
アキナ「アサコさん、じっとしててね。根元から乾かさないと駄目なんだから」
アサコ(アサヒ)(……完全にプロじゃないか)
湯気の残る部屋でドライヤーの音だけが響く。
アキナ「ねぇアサコさん」
優しく名前を呼ばれ、思わず俺も同じトーンで返してしまう。
アサコ(アサヒ)「何?」
アキナは風の音に負けないように少しだけ声を張った。
アキナ「アサコさんは、どうして髪を伸ばしてるの?短くすれば洗うの簡単だよ?」
アサコ(アサヒ)「それは、そうだけど……」
言葉が濁る。
アキナ「アサコさんって、着替えるのはすっごく早いのに、髪を結ぶ時だけは……すごく丁寧だったよね。なんか、大事な意味があるの?」
アサコ(アサヒ)(……見られてたのか)
あの一瞬の動作を。誰にも気づかれないようにしていたつもりだったのに。アキナの指が乾きかけた髪をそっとすくう。その優しさが、逆に胸の奥を締めつけた。
アサコ(アサヒ)(……でも、髪型は別に秘密にする必要はないか)
アサコ(アサヒ)「アキナ。貴女のマネよ」
アキナ「私の?」
アサコ(アサヒ)「ええ。実はアキナと初めて会う前からずっと貴女に憧れていたの。魔王を倒した有名な英雄だからね」
言いながら鏡に映る自分を見つめる。
そこにいるのは“アサコ”だ。
けれどその奥にいるのは――
幼い頃、俺を庇って死んだ少女に似た“誰か”。
アサコ(アサヒ)「だから貴女のように強くなりたいの。ポニーテールをするとね……アキナになった気がして、勇敢になれる」
アキナは静かに聞いていた。
アサコ(アサヒ)(俺は基坂少尉と同じだ。いや、旭軍のみんなも同じだ)
少女たちのように勇敢になりたい。
けれど――
その少女たちを俺たちは何度も見殺しにしてきた。
その罪悪感が、今も胸の奥で腐り続けている。
アサコ(アサヒ)(俺は、ポニーテールで誤魔化してるだけだ)
それでも――
アサコ(アサヒ)(前に進めるなら、それで構わない)
アキナはドライヤーを止めて小さく息を吸った。
アキナ「私は、強くもないし勇敢じゃないよ」
その声は震えていた。
アキナ「だって……私はアサヒ君がいないと、何もできないんだもん。生きる意味も、失う。そんな弱くて臆病な人間なんだよ」
アキナは続ける。
アキナ「本当に強くて勇敢なのは、アサヒ君だよ。私たちが戦う世界を変えるために、現実に立ち向かっている。私にその勇気が初めからあれば……彼を戦わせずに済んだかもしれないのに」
その言葉は刃のように胸に刺さった。
俺は笑った。
自分を嘲るように。
アサコ(アサヒ)「どうでしょうね。臆病者かもよ」
その笑いは、どこか壊れた音がした。
アキナ「そうだよね。その通りだよ」
アキナの声がさっきまでの穏やかさとは違っていた。
アキナ「私だってそう思うよ。だからこそ力になりたい。助けたい。救いたい」
その言葉は優しいのに、どこか危うい熱を帯びていた。
アキナ「だけど、それはアサヒ君を苦しめるだけ。だって彼はそれを否定する為に戦っているんだもん。私たちが普通に暮らせる為に」
アキナの声が震える。
アキナ「だから私たちが戦えば、アサヒ君は救われない。あ………」
ガタンッ
ドライヤーが床に落ちた。
アサコ(アサヒ)「アキナ?」
呼びかけるとアキナはゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、まるで何かの“答え”に辿り着いた人間の目だった。
アキナ「そっか……そういうことだったんだ」
アサコ(アサヒ)(……は?何が?俺、何か言ったか?)
アキナは一人で頷き、一人で納得し、一人で結論に到達していた。
アキナ「変わった世界なら……」
アサコ(アサヒ)「変わった世界?」
意味が分からない。いや、本当に分からない。アキナは俺の言葉なんて聞いていないように勢いよく振り返った。
アキナ「アサコさんありがとう!何だかいい事思い付いたから!!」
アサコ(アサヒ)「えっ、ちょっ――」
言い終わる前にアキナが俺を後ろから抱きしめた。
ぎゅうううううっ
アサコ(アサヒ)(な、なんだ!?何が起きてる!?何を思い付いたんだこの子は!!)
背中に感じる体温と耳元で弾む呼吸。アキナは完全に“スイッチが入って”いた。
アサコ(アサヒ)(やばい……
この勢い……
絶対ろくでもない……!!)
俺の心臓は戦場よりも速く跳ねていた。




