温泉脱出作戦⑤
アキナ ― 寮の温泉・寝湯 ―
アサコさんがジェットバスへ歩いていく背中を見送った瞬間、胸の奥がふっと沈んだ。
アキナ「う~ん……上手くいかない」
トモエさんからにもらった“スパイマニュアル”。みんなにも協力してもらって、
勇気を出して、
何度も何度も挑戦しているのに――
どうしても距離が縮まらない。
アキナ「ごめんね、ヒマリちゃん。協力してもらったのに」
声をかけると、ヒマリちゃんは唇を押さえたまま、ぽつんと座っていた。
アキナ「ヒマリちゃん、どうしたの?」
ヒマリ「えっ!?ごめんねー!私、もうそろそろ温泉から出るね!」
笑ってはいたけれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
アキナ(……キス、初めてだったから……恥ずかしいのかな?)
胸の奥が少しだけ痛くなる。でもそれは嫌な痛みじゃなくて、なんだか大切なものに触れた時のような、そんな不思議な感覚だった。
トウカ「アキナさまー!どこですかー!!」
トウカちゃんの声が響く。その声に、私はそっと立ち上がった。
アキナ(次は、ジェットバスだ)
湯気の向こうに消えていくアサコさんの背中を思い浮かべながら、私はトウカちゃんのもとへ歩き出した。
胸の奥に、小さな灯りがぽっと灯るような気がした。
アサヒ ― 寮の温泉・露天風呂 ―
ジェットバスをなんとか乗り切った。
アサコ(アサヒ)(もう二度とやりたくない……)
そう心の中で呟きながら湯気の向こうへ歩いた。
腕を組んでタオルを固定し、泡の水流を読んで位置取りしてお尻の力で踏ん張って……
アキナたちが不自然そうに見ていたけど何も言わなかったからセーフだ。
アサコ(アサヒ)(……危なかった……)
そんな俺の心境とは裏腹にトウカは元気いっぱいだった。
トウカ「次はお待ちかねの露天風呂ですよアキナさま!!」
アキナ「わーい!!楽しみぃー!!」
アキナは子どものように跳ねる。その姿を見て俺は小さくため息をついた。
アサコ(アサヒ)(次は露天風呂か。逃げ場が、あるといいんだけどな)
露天風呂へ続く扉に手をかける。木の取っ手はほんのり温かくて指先にしっとり馴染んだ。
湯気の向こうには広い夜空がそのまま落ちてきたような景色が広がっていた。
アサコ(アサヒ)(……トモエはいないな。よし)
周囲を確認してからそっと湯に浸かる。肩まで沈むと夜風が頬を冷やし、湯の温かさが胸の奥までゆっくり染み込んでいく。
虫の声が遠くで響き、星がひとつ、またひとつと瞬いていた。
アサコ(アサヒ)(……綺麗だな)
忙しさに追われて忘れていた感覚が、湯気の中で少しずつ戻ってくる。
アサコ(アサヒ)(こんな景色、いつぶりだろう)
星空と湯気が混ざり合う光景は懐かしくて、少し胸が痛くなるほど綺麗だった。
そんな静けさを破るように――
アキナ「すごーい!!」
アキナの弾む声が響いた。
トウカ「アキナさま。実はですね……天気が良ければここから富士山が見えるんですよ!」
トウカが胸を張って説明する。
アキナ「ほんと!?」
アカリ「初耳なんだけどそれ…」
アカリが呆れたように眉をひそめる。
三人は湯気の中で大はしゃぎしていた。静かな景色と、騒がしい仲間たち。
その対比が、なぜか少しだけ心地よかった。
湯気の向こうで笑っている少女たちを見ながら、胸の奥に小さな痛みが走った。
神に選ばれた少女。
そして神になった少女。
けれど、こうして温泉で騒いでいる姿は、どう見ても普通の女の子だ。
アサコ(アサヒ)(……だからこそ、戦わせるのは間違ってる)
彼女たちを見るたびにその思いは強くなる。俺の革命が正しいのだと、確信を持てる。
そんな時――
ミネコ「温泉〜温泉〜ぽかぽっかぁな温泉〜」
聞き覚えのある歌が出入口から聞こえてきた。
アサコ(アサヒ)(……え?)
ミネコが湯気の中から現れ、そのまま俺の隣に入ってきた。
彼女は神術監の中でも大人しい子で人を詮索するタイプではない。だから警戒心は少しだけ緩む。
ミネコ「そういえば、アサコさんに聞きたかったことがあったんです」
アサコ(アサヒ)「何かしら?」
ミネコは湯に肩まで沈みながら少しだけ首をかしげた。
ミネコ「アサコさんって、よく女性にナンパ……してますよね?」
アサコ(アサヒ)「ええ。可愛いからね」
即答したらミネコが一瞬固まった。
ミネコ「それなのに、どうして温泉では裸を見せたり見たりするのを避けるんですか?」
アサコ(アサヒ)(うっ……核心を突くなぁ……)
適当に誤魔化すしかない。
アサコ(アサヒ)「それは私が紳士だからよ。裸ではなく、心で判断しているのよ」
ミネコは目をぱちぱちさせた。
ミネコ「そっ、そうですか……」
アサコ(アサヒ)(……よし、納得してくれた。助かった……)
胸をなでおろす。
本当は俺がちょっかいを出すのは不安そうな子や暗い子がいたら元気づけたくてしていることだ。
ただ、元気づけ方が分からない。
だから、かつての師匠――
サイモリというスケベジジィの真似をしているだけ。
結果、全部ナンパになってしまう。
アサコ(アサヒ)(……俺、ほんと不器用だな)
湯気の向こうでアキナたちの笑い声が響いていた。その声が少しだけ胸に沁みた。
アサコ(アサヒ)「それにしてもミネコが歌ってた曲。変な曲ね」
アサコ(アサヒ)(俺が作った曲だけどな……)
内心で自分にツッコミながらミネコに話す。
ミネコ「中学一年生の夏合宿の時です。温泉に入る時、ある男の子が歌っていたんです」
ミネコは懐かしむように目を細めた。
アサコ(アサヒ)(……ああ、あの頃か)
アサコ(アサヒ)「もしかしてアサヒって子?確か神術中学にいたってアキナに聞いてたけど…そんなの歌っていたなんて意外ね」
ミネコ「そうですね。だから……
アサヒさんにも、普通に過ごしていた時があったんです。だけど、何かあったから……世界を敵に回したんだと思います」
湯気の中でミネコの声は静かだった。俺は、あえて冷たく返す。
アサコ(アサヒ)「どんな理由があろうともアサヒは敵よ。巫女政治を打倒すると宣戦布告してたでしょ?
つまりあいつはトモエとアキナを倒し、権力を自分のものにするのよ?
そんな奴に同情するの?
それでこの国を、そしてこの世界を守れるの?」
ミネコは少しだけ目を伏せた。
ミネコ「……分かっています。アサコさんの言う通りです。
ですが……相手の痛みも理解しないと、戦いは終わらないと私は思います。
だから私は、旭軍の方々や魔族を“完全な悪”とは思いたくないんです。
きっと何かあったから、そうせざるを得なくなったんだと思います」
アサコ(アサヒ)(……甘いな)
アサコ(アサヒ)「ミネコ、貴女は甘すぎるわ。
その甘さは平和が訪れた時にしなさい。
今は戦乱の世。
いつか自分を不幸にするわ」
ミネコ「わ、分かりました……」
ミネコはしゅんと肩を落とした。
俺は呆れたふりをしたけれど、胸の奥では、ほんの少しだけ温かいものが広がっていた。
アサコ(アサヒ)(……優しい子だな)
湯気の向こうでアキナたちの笑い声が響いている。
俺はそっと夜空を見上げた。
星がひとつ、またひとつと瞬いている。その光はどこか遠くて、どこか懐かしい。
アサコ(アサヒ)(革命の果てに……
彼女たちのような子が生きていれば、世界は必ず平和になる)
だからこそ――
アサコ(アサヒ)(大巫女も、魔法少女も死なせない。
世界を変えるのは俺だ。
そして……俺と旭軍は、その礎となるんだ)
平和な世界に、俺たちの居場所はない。




