温泉脱出作戦④
アサヒ ― 寮の温泉・大浴場 ―
寮の大浴場から出てサウナへ行こうとした時、背後から元気な声が飛んできた。
アキナ「アサコさん待って!!一緒に温泉入ろうよ!!」
振り返ると綺麗な髪を濡らしたアキナが全力で走ってくる。
マカナ「アキナ!!走ると危険だ!!」
マカナの制止は、いつものように届かない。
アキナ「うおっと!足が滑ったぁあ!!」
わざとらしい悲鳴とともに、アキナの手が俺のバスタオルを掴んだ。
バサッ
タオルが落ちる。
アキナが倒れる。
マカナが固まる。
そしてアキナが顔を上げて叫ぶ。
アキナ「わぁあ!!アサコさんごめんなさい!!」
だが俺は平然としていた。
アサコ(アサヒ)「気にしないでアキナ。だけど、走るのは危険だからやめてね?」
アキナとマカナが同時に固まる。
アキナ・マカナ「………」
二人の視線は、落ちたタオルではなく――
俺の身体に巻かれた“もう一枚のタオル”に向いていた。
そう、俺は最初から二重に巻いていたのだ。
アサコ(アサヒ)(この程度の事故は想定済みだ……!タオル防衛戦に抜かりはない……!)
二人がぽかんと口を開けているのを横目に、
俺はそのままサロンへ向かう。
背後でトウカの呆れ声が聞こえた。
トウカ「あいつ、何でタオル二重に巻いてんの?」
アカリが肩をすくめる。
アカリ「知らないわよ」
アサヒ ― 寮の温泉・サウナ ―
サウナの扉を開けると檜の香りと柔らかな熱気がふわりと広がる。室内は焼杉の黒木で統一され、格子天井から落ちる淡い光がゆっくり揺れる空気を金色に染めていた。
座面は滑らかな檜の段差ベンチ。
中央の溶岩石ストーブが静かに熱を放ち、時折 パチ… と石が鳴る音だけが響く。
余計な装飾はなく、静かで凛とした和の空間だった。
だがそこにはミアがいた。彼女は心を読む魔法を使う厄介な存在だ。だから俺は――
無心になった。
頭の中を空っぽにして、“何も考えていません”オーラを全力で出す。
ミアが気づいて手を振ってきた。
ミア「やぁアサコ。温泉に来るなんて珍しいね」
アサコ「ええ」
必要最低限の返事だけしてサウナの端に内股で座った。
ミアが首をかしげる。
ミア「そういえば旧創造神唯一派の件からしばらく休んでいたけど、どうしたの?」
アサコ「森で遭難してた」
ミア「えっ、遭難したの」
アサコ「ええ」
ミアはさらに眉を寄せる。
ミア「……なんでそんな不愛想なの。もしかして心が読まれるのを気にしてるの?」
アサコ「ええ」
ミアは慌てて手を振った。
ミア「安心してよ。日常生活では使わないから」
アサコ「………」
ミア「信じてよぉ~」
ミアが泣きそうになる。だけど無視する。
ミア「無視しないでよぉ~」
ミアが泣きそうな顔で訴えてくる。
だが――
無視した。
ミアが半泣きで揺さぶってくるが、ひたすら無心を貫いた。
こうして精神統一だけでサウナを乗り切った。
アサヒ ― 寮の温泉・水風呂 ―
ミアとのサウナ戦をなんとか生き延びた俺は水風呂へ入った。
アサコ(アサヒ)(ミアは思考を読む。完全にアサコになりきらないと即バレする。ほんと会いたくない相手だ)
冷たい水に肩まで沈みながら、ようやく呼吸が整ってきたところで――
アキナ「もうアサコさん速いよ~!」
アキナの声が響いた。続いてトウカが胸を張って言う。
トウカ「そうだ!そうだ!アキナさまのペースに合わせろ!!」
アカリまで腕を組んでくる。
アカリ「ちゃんと温泉に入らないと駄目よ」
三人の不満顔に俺はため息を吐いた。
アサコ「私はのぼせやすいのよ」
事実ではないが言い訳としては完璧だ。そこへマカナが歩いてきて俺の落ちていたバスタオルを差し出した。
マカナ「アサコ。バスタオルが落ちたままだったぞ」
アサコ「ありがとう」
受け取って身体に巻き直す。もちろん、これは“二重巻き”の外側の方だ。
俺はそのまま静かな寝湯のエリアへと歩いていった。
アサヒ ― 寮の温泉・寝湯 ―
寝湯のエリアに入ると、そこだけ空気がふっと静まり返っていた。浅い湯は波ひとつ立たず、天井の灯りを鏡のように映している。黒い石畳はしっとり濡れて光り、縁には丸い自然石が並んでいた。触れればひんやりして、湯の温かさがいっそう際立つ
アサコ(アサヒ)(区切られてる。これは安全地帯)
俺が入るとちょうど満席になった。アキナたちが来ても、ここには入れない。
アサコ(アサヒ)(やっと、ゆっくりできる)
横になって等間隔に置かれた石の枕に頭を預けると、背中からじんわりと温もりが染み込んでくる。檜の香りがふわりと漂い、静かな湯の音が遠い川のせせらぎのように耳に届く。
横には小さな庭があり、石灯籠の明かりが淡く揺らめいていた。
アサコ(アサヒ)(そういえば、温泉に入るの、三年振りだな)
旭軍を創ってからは忙しさに追われてシャワーばかりだった。自分が温泉好きだったことすら忘れていた。
気づけば、口が勝手に動いていた。
アサコ(アサヒ)「温泉〜温泉〜ぽかぽっかぁな温泉〜………」
小さい頃、家族旅行で作った曲を小さな声で歌う。父さんと母さんと三人で、笑いながら歌った。
もう、あの二人はいない。
湯の温かさが、胸の奥の冷たいところに触れた気がした。せっかく温まったのに、心だけが少し冷えていく。
アサコ(アサヒ)「………もう出よっかな」
しんみりした気持ちを抱えたまま身体を起こそうとした、その時だった。
アキナ「わっ!満席?」
アキナの声が湯気の静けさを一瞬で吹き飛ばした。
アサコ(アサヒ)(うわっ……来た……!)
アサコ(アサヒ)「安心なさい。私もう出るから」
そう言って逃げようとしたのに――
アキナ「大丈夫だよ!とうっ!!」
アキナは勢いよく俺の横に滑り込んできた。寝湯の“区切り”なんて完全に無視だ。
アサコ(アサヒ)「ちょっと!もう出るって言ったじゃない!!」
アキナ「ええ!!そんなの勿体ないよ!!せっかく温泉にいるんだからもっと楽しもうよ!それにアサコさん水風呂に入ったからまだ身体が冷たいよ?このままじゃ風邪ひくかも!」
アサコ(アサヒ)「いや、そういう問題じゃなくて!ここは一人用なんだから入って来ては駄目!!」
アキナ「こうすれば大丈夫だよ!!」
アキナがそのまま抱きついてきた。
アサコ(アサヒ)「そういう問題じゃないでしょ!?」
寝湯の静けさは完全に消え失せ、俺の心拍数だけがやたらと響く。
そこへ――
ヒマリ「おやおや!楽しそうですねお二人とも!!」
ヒマリが満面の笑みで現れた。
アサコ(アサヒ)「!?」
ヒマリは迷いなく、そのまま俺の寝湯に入ってきた。
アサコ(アサヒ)「ヒマリまで!?」
ヒマリ「仲間に入ーれーて!!」
満面の笑みで抱きついてくるヒマリ。両手に花……と言いたいところだが、そんな余裕は一ミリもない。寝湯は一人用。そこに三人も入れば、当然ぎゅうぎゅうだ。
しかも二人ともトモエほどではないが、胸が大きい。余計に窮屈だし、何より圧死しそう。その分、物理的に圧がすごい。
アサコ(アサヒ)(狭い!!圧が!!息が!!)
ヒマリ「も~狭いよ~!もっと詰めて!」
アキナ「もっとアサコさんにぎゅっとしないとね!」
アキナの足が、危うく俺の股に触れそうになる。
アサコ(アサヒ)(やめろぉぉぉ!!そこはマズい!!男だとバレる!!)
俺は慌てて内股になり、二人の腕をなんとか振りほどこうとした。
アサコ(アサヒ)「貴女!ふざけるのも..……」
その瞬間だった。
ヒマリ「!?」
ヒマリの顔が近づきすぎて不意に俺の唇に触れた。
ほんの一瞬の、事故。
アキナ「えっ……キスしちゃった」
アキナがぽかんと呟き、ヒマリは固まったまま動かない。
アサコ(アサヒ)(今だ!!)
俺はその隙に寝湯から脱出した。
アサコ(アサヒ)「二人が抱きつくからでしょ!?まったく!!」
湯気の向こうでアキナとヒマリがぽつんと取り残されている。
アサコ(アサヒ)(……はぁ……命が縮む……)
俺は距離を取りながら心の中で静かにため息をついた。




