温泉脱出作戦①
アサヒ ― 神祓高等学校・寮 99号室 ―
女風呂という最大の死地に向かう準備をしながら、俺は震える心臓を必死に押さえ込んでいた。
アサコ(アサヒ)(落ち着け……大丈夫だ……大丈夫じゃないけど大丈夫だ……)
策はある。
けれど成功率は、宝くじの当選確率より低い気がする。
そんな俺の背中に、気まずそうな声が落ちてきた。
アキナ「アサコさん……?」
振り返るとアキナが指先をもじもじさせて立っていた。
アサコ(アサヒ)「何かしら?」
アキナ「パンツ……貸して?」
パンツゥウウウウウウウウッ!?
脳が一瞬でフリーズした。
アサコ(アサヒ)(待て待て待て!!パンツ貸すって……つまり俺が履いたパンツを履くの!?
いやいやいやいや!!無理だろ!!いやでもアキナをノーパンで歩かせるわけにもいかない!!
でも俺のパンツを履かせるのも嫌だ!!でも洗濯したし……いやそういう問題じゃない!!
考えるな!考えたら死ぬ!!)
思考が爆発しそうになった結果――
俺は棚から、“個人的に一番可愛いパンツ”を差し出していた。
アキナの顔がぱぁっと明るくなる。
アキナ「わぁあ!赤いリボンが可愛いね!!
アサコさんってカッコイイ女性だから、大人っぽいの履いてるのかと思ったよ!!」
嬉しそうに抱きしめるな!!
それ俺のパンツだぞ!!
精神が削れる音が聞こえる!!
アサコ(アサヒ)(女風呂に入る前にこんなに疲れるとは……先が思いやられる……)
でも――
アキナは俺のパンツを見ても嫌がらない。むしろ喜んでいる。
普通、男が履いたパンツなんて女性にとっては災厄だ。それを笑顔で受け取るということは……
アサコ(アサヒ)(アキナはまだ俺を“アサコ”だと思ってる……!
つまり、バレてない!!)
胸の奥でかすかな希望が灯る。
アサコ(アサヒ)(このまま……乗り越えてやるぜ!!)
女風呂という地獄の門が開く音が、聞こえた気がした。
アサヒ ― 寮の温泉・脱衣所 ―
ムワッ――
脱衣所に足を踏み入れた瞬間、熱気が顔にぶつかってきた。
アサコ(アサヒ)(うわ……本当に混んでる……!なんで今日に限って満員なんだよ……!)
周囲からは運動部らしい元気な声が飛び交っていた。
女子A「今日の筋トレ、マジでキツかった~!」
女子B「ねぇ見て、肩まわりちょっと締まってきてない?」
女子C「ほんとだ!でも明日絶対筋肉痛だよ~」
女子D「アイス食べたい……風呂上がりのアイス……」
健康的で明るい声。
普通の男なら天国だろうが、俺にとっては地獄の鐘の音にしか聞こえない。
なぜなら――
この敵地のど真ん中で俺も“裸になる”必要があるからだ。
アサコ(アサヒ)(ここで全員を欺けなければ……終わる。終わるどころか人生が詰む……!)
そんな俺の腕をアキナが容赦なく引っ張る。
アキナ「凄い混んでるね。さすが大人気の温泉!さぁ!早く入ろう!アサコさん!!」
笑顔がまぶしい。
天使のような笑顔……のはずなのに、今の俺には“地獄へ誘う悪魔”にしか見えない。
アサコ(アサヒ)(やめろアキナ……!その純粋な笑顔で俺を女風呂に連行するな……!俺は今、人生最大の危機なんだ……!)
さらに、近くの運動部らしき女子たちがこちらを見てひそひそ話す。
女子D「ねぇ、あの人、アサコじゃない?噂の王子さま。スタイル良くない?」
女子E「わかる。きれい……」
女子F「てか肩幅しっかりしてるのに細いってどういうこと……?」
アサコ(アサヒ)(やめろおおおおおお!!核心に迫るな!!肩幅はどうしようもないんだよ!!)
アキナはそんな俺の心の叫びなど知らず、楽しそうにタオルを抱えている。
アキナ「アサコさん、早くしないと洗い場空かなくなっちゃうよ!」
アサコ(アサヒ)(……覚悟を決めるしかない。ここを乗り越えなきゃ、俺の平穏は戻らない……!)
俺は震える手でタオルを握りしめた。
収納棚に辿り着いた瞬間、アキナがぱっと振り向いた。
アキナ「それじゃあ、着替えよっか!!」
アサコ(アサヒ)「そうね……」
声だけは落ち着いて返す。
心の中では、もう戦場に向かう兵士のように鼓動が鳴り響いていた。
アサコ(アサヒ)(やるぞぉおおお!!やってやるぞぉおおおお!!ここでビビったら終わりだ……!)
アキナが服を脱ぎ始める。俺は視線を逸らしつつ、平常心を装いながら――
服を、全部脱いだ。
そして、準備していた“切り札”を発動する。
ぎゅっ、と。
アキナ「それじゃあ、行こ……」
アキナが固まった。
完全に固まった。
目がまん丸になって、俺を見つめている。
アキナ「アサコさん……どうしてバスタオルを……?」
そう……既に俺はバスタオルを身体に巻いていたのだ。
周囲では運動部の子たちがわいわい話している。
女子G「ねぇ、あの人タオル巻いてるよ」
女子H「珍しいね、ここタオル巻き禁止じゃないけど……」
女子I「でもあれ、逆に目立つよね」
女子J「確かに……」
アサコ(アサヒ)(やめろぉおおお!!目立つとか言うな!!俺だって分かってるんだよ!!)
俺は恥じらいを隠しつつ、気不味そうにアキナに答える。
アサコ(アサヒ)「ほら……私、太ったって言ったでしょ?それに胸も無いし、スタイルもどちらかといえば男よりでしょ?だから、あまり肌は見せたくないの」
自分で言ってて胸が痛いが、これしか言い訳が思いつかなかった。
アキナは、ぱっと目を丸くして、すぐに首を横に振った。
アキナ「そんなことないよ!!アサコさんは可愛いよ!!ほら、腕細いし、肌も綺麗だし……全然気にすることないよ!だけど、無理に見せなくていいよ?」
アサコ(アサヒ)「ありがとう、アキナ」
微笑んで返す。
だが内心は――
アサコ(アサヒ)(やったぁああああああああ!!何とか誤魔化せたぁあああああああああ!!!)
心の中でガッツポーズ。
勝利のファンファーレが鳴り響いていた。
……その瞬間。
トウカ「いやいや、変ですよアキナさま?」
背後から聞きたくない声が降ってきた。
アサコ(アサヒ)(来やがった……!!最悪のタイミングで来やがった……!!)
トウカは腕を組み、完全に“正論モード”で俺を見下ろす。
トウカ「いつも温泉に入らないアサコがいたので、心配になってこっそり話を聞いていたら……
タオル巻いて温泉に入るなんて誰もやりませんよ?
周りを見て下さい。みんな裸です。
それに衛生面も考えたら駄目ですよ、アキナさま」
アサコ(アサヒ)(うるせぇええええええ!!アキナがいいって言ってんだからいいんだよ!!なんでこういう時だけアキナの言うこと聞かないんだよ!!)
心の中で机をひっくり返したい勢いだった。
アキナは困ったように眉を下げる。
アキナ「トウカちゃん……アサコさんが恥ずかしいって言ってるんだから、いいんじゃないかな……?」
アサコ(アサヒ)「そうよトウカ。ほら、アキナがいいって言ってるんだからさ」
トウカは眉を吊り上げ、完全に“教師モード”で俺を指さした。
トウカ「アキナさまは優しいから許してるだけです!アサコ、あなたはもっと自覚を持ちなさい!」
アサコ(アサヒ)(自覚持ってるよ!!誰よりも持ってるよ!!だから命がけでタオル守ってるんだよ!!俺が裸になったらいろんな意味で全部終わるんだよ!!)
心の中で土下座しながら叫んでいた。
アキナは困ったように笑い、トウカをなだめようとする。
アキナ「トウカちゃん、そんなに怒らないで?アサコさん、恥ずかしいだけなんだよ」
しかしトウカは胸を張り、堂々と宣言した。
トウカ「恥ずかしいならなおさらタオルを外すべきです!慣れれば平気になります!」
その胸が、主張するように揺れた。
アサコ(アサヒ)(外せるかぁあああああああ!!!お前みたいに自信満々な人間と一緒にするな!!その胸のメロン潰すぞ!?)
そこへ――
アカリ「どうかしたのアキナ、トウカ」
新たな影が差し込んだ。
アサコ(アサヒ)(今度はアカリかよ!!もうやめてくれ……俺の心臓が死ぬ……)
しかし次の瞬間、俺は目を疑った。
アカリは――
バスタオルを巻いていた。
しっかり、堂々と、自然に。
トウカはさっきまでの勢いが嘘のように弱まり、恐る恐るアカリに尋ねた。
トウカ「その……身体にタオルを巻くのは、駄目だと思いますが……」
アカリは一瞬だけ目をそらし、頬を赤くしながら言った。
アカリ「しっ、仕方ないじゃない!!みんな胸が大きいのに……私だけ、胸無いし……」
その声は小さくて震えていた。
トウカは一瞬で黙り込む。
トウカ「そっ、そうですか……すみません」
さっきまでの強気はどこへやら、心苦しそうに頭を下げた。
アサコ(アサヒ)(よし……!トウカの正論砲が止まった!アカリ、お前は今日の救世主だ!!)
俺は思わずアカリの肩に手を置いた。
アサコ(アサヒ)「……ありがとう」
アカリ「えっ!? な、何よ急に!!べ、別にアンタのためじゃないし!!」
アサコ(アサヒ)(いやでも助かったよアカリィィィィ!!)
心の中で土下座して感謝した。
トウカは二人を見比べ、ついに観念したようにため息をつく。
トウカ「……もう分かりました。アキナさまとアカリさまが良いと思うなら、私は何も言いません」
アサコ(アサヒ)(よし!!勝った!!タオル防衛戦、第一ラウンド突破!!)
アキナはほっとしたように笑った。
アキナ「よかった。じゃあ、みんなで入ろっか」
アカリも小さく頷く。
トウカはまだ納得していない顔をしていたが、もう何も言わなかった。
アサコ(アサヒ)(ふぅ……危なかった……
でもまだ“本番”はこれからだ。
どこでタオルが危機に陥るか分からない)
俺はタオルを握りしめながら、女風呂の扉を見つめた。
アサコ(アサヒ)(ここからが……地獄の第二ラウンドだ……!!)




