光のない世界
アキナ ― 水上公園 ―
私はヒマリちゃんと手分けしてトウカちゃんを探していた。
水面が揺れていた。
風もないのに、まるで私の心だけが震えているみたいに。
探しているはずなのに、
足はどこへ向かっているのか分からなかった。
アキナ(バレちゃったんだ……)
胸の奥が、静かに沈んでいく。
水の底に落ちていくみたいに。
アサヒ君を愛していたことも。
創造神を倒したのが私だったことも。
全部、隠していたはずなのに。
全部、言わないでいられると思っていたのに。
でも、もう無理だった。
ユミコさんの真似をしていれば、私は“英雄”でいられると思っていた。そうすれば、この地獄のような世界を見なくて済むと思っていた。
高木ユミコ。
五年前、小学五年生でありながら大邪神から創造神を守った英雄。
小さな体で、誰よりも大きな敵に立ち向かった女の子。
世界は彼女を讃えた。
みんなが彼女を見上げた。
私も、その一人だった。
ユミコさんは、“少女が世界を救う”という証明だった。
だから私は、彼女の真似をしていれば自分も強くなれると思っていた。そうすれば、誰かがそばにいてくれる気がした。
トウカちゃんの言葉は、胸の奥に刺さったまま抜けなかった。
アキナ(そうだよ……私は軟弱者だ)
その事実を認めた瞬間、胸の奥で小さな音がした。氷がひび割れるような、でも誰にも聞こえない音。
スニーアの言葉も、痛いほど正しかった。
アキナ(私は……この世界に絶望している)
少女というだけで戦わされて、
少女というだけで消えていく。
そんな世界に、希望なんて持てるわけがない。
でも――
寂しいのは嫌だった。
そして私は、ユミコさんの真似をしていた。
ユミコさんの笑顔を真似して、
ユミコさんの強さを真似して、
ユミコさんの生き方を真似して。
そうすれば、この現実から目を背けられた。
みんな、そうだった。
誰も本当の痛みを見たくなかった。
でも――
その現実と向き合った子がいた。
春風アサヒ君。
彼は、私が背けていたものを全部見て、それでも前に進んでいた。
「ただ…救いたかった」
その言葉を思い出した瞬間、胸の奥で何かが静かに崩れた。
アキナ(違う……私は……
救われたかっただけなんだ)
その本音が形になった瞬間、世界の色が一段階、薄くなった。
水面に映る自分の顔が、知らない誰かみたいに見えた。
スニーア「だったら私が救ってあげる」
その声は水面に落ちる一滴のように静かで、でも逃げられない波紋を広げた。
バッ、と反射的に距離を取る。
振り返ると、スニーアが立っていた。
さっきまで後ろにいたはずの髪喰いお婆ちゃんは、いつの間にか消えていた。
アキナ「どうして……スニーアが……?」
声が震えた。自分でも驚くほど弱い声だった。
スニーアは微笑む。優しいのに、どこか冷たい笑み。
スニーア「アキナにはマーキングをしていたの。でも安心して。今日は戦いに来たわけじゃない。それに今の私は分身体で弱いしね。
私はただ――あなたの望みを叶えに来ただけ」
アキナ「私の……望み……?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥のひびが、ゆっくりと広がった。
スニーアは、私の心の奥を覗き込むように微笑む。
スニーア「アキナは気づいているはずよ。本当の自分の願いに」
世界が静かになった。風も、水音も、鳥の声も消えた。
胸の奥で、何かが“ぱきん”と割れた。
音はしない。でも、確かに壊れた。
スニーアの言葉は水面に落ちた一滴みたいに静かだったのに、私の心には大きな波紋を広げた。
スニーア「アキナとアキナが持っている天の巳。そして旧創造神唯一派の機械があれば、過去へ行って人生をやり直せるの」
世界が一瞬だけ明るくなった気がした。でもそれは太陽の光じゃない。もっと冷たくて、もっと甘い光。
スニーア「だから天の巳を渡して、ついて来て。アキナなら、アサヒの未来を変えられるわ」
胸の奥がぎゅっと縮む。
アキナ(過去を……変える?そんなこと……)
アキナ「だっ、駄目だよ!!過去を変えるなんて……!」
でもスニーアは、まるでそれを待っていたかのように、ゆっくりと手を差し伸べてきた。
その手は温かくも冷たくもなく、ただ“現実から切り離された色”をしていた。
スニーア「何を言っているの、アキナ?」
スニーアの声は、優しいのに、どこか底が見えなかった。
スニーア「あなたは今までずっと頑張ってきた。だったら報われるべきよ」
胸の奥で、ひび割れたガラスが軋むような感覚がした。
スニーア「それに……あなたは気づいたはず。本当の願いに」
アキナ「本当の……願い……?」
その言葉が落ちた瞬間、世界の色が一段階、薄くなった。
水面の光が滲んでいく。
風の音が遠ざかる。
自分の影が揺れて、形を失っていく。
全身の細胞が震えているのが分かった。
寒いわけじゃない。
怖いわけでもない。
ただ――
“戻れなくなる予感”だけが、
静かに胸の奥で脈打っていた。
---
スニーアは微笑む。
優しくて、残酷な微笑み。
スニーア「ええ。
あなたはアサヒを救いたいんじゃない。
アサヒを“自分のものにしたい”だけ」
胸の奥のひびが、ゆっくりと広がっていく。
アキナ「白馬の王子様みたいな彼を手に入れて、自分だけを見てほしかった。
そう……あなたはただの夢見る少女だったのよ」
その言葉は、痛いほど正しかった。
アキナ(ああ……そうか……)
アサヒ君と一緒にいると、私はこの世界にいていいと思えた。
でも彼がいないと、私はどこにも立てなかった。
アキナ(私は……アサヒ君を独り占めしたかったんだ)
その本音が形になった瞬間、胸の奥で最後の“支え”が折れた。
音はしない。
でも、確かに壊れた。
スニーアの手が、
すぐ目の前にあった。
スニーア「大丈夫。
あなたは十分頑張ってきた。
少しくらい、願ってもいいのよ。
悪いことをしても許される。
むしろ……あなたに全部押しつけた世界の方が悪いの」
世界が静かになった。
水音も、風も、鳥の声も消えた。
胸の奥に残っていた“最後の光”が、
ゆっくりと消えていく。
スニーア「だから――
一緒に堕ちましょう、アキナ」
私は、
その手を取った。
スニーアが嬉しそうに微笑んだ。
悪魔のように、でもどこか救いのように。
でももう、どうでもよかった。
世界がどうなっても。
誰がどう思っても。
私はただ――
アサヒ君に会いたかった。
過去に戻って、
もう一度だけ。
あの光を、取り戻したかった。
トウカ ― 水上公園 ―
アキナとスニーアの声が、水面に落ちる波紋みたいに揺れていた。
木陰に隠れているのに、二人の言葉は胸の奥に直接落ちてくる。
トウカ(やっぱり……そうなんだ)
アキナは過去に戻るつもりだ。アサヒが死なない世界を作るために。
胸の奥が、ひどく冷たくなった。
トウカ(それなら……私も)
拳を握る。
指先が白くなるほど強く。
トウカ(私も過去に戻って……アサヒを殺す)
アサヒがいなければ、誰も壊れなかった。だったら最初から――
チカッ
その瞬間、草むらの奥で小さな光が瞬いた。レンズの反射のような、冷たくて、乾いた光。
トウカ(……誰?)
私は音を立てずに近づいた。そこには、地面に伏せて何かを覗き込んでいる影があった。
カズオだった。
彼の目は、
真実を切り取ろうとする冷たい光を宿していた。
カズオ「これは……いいスクープになるぞ……」
その声は、少女の痛みを他人事のように扱う、乾いた響きをしていた。
胸の奥で、黒い感情が静かに膨らんでいく。
トウカ(またか…邪魔……)
私はカズオに銃口を突き付けた。まだバレてはいない。引き金を引こうとしたその瞬間――
風が裂けるような音がして、カズオの姿がふっと揺らいだ。
草むらの奥から、聞き慣れた奇妙な声が響く。
髪喰いババァ「髪ィンッ!!」
次の瞬間、カズオの体が影に引きずられるようにして消えた。
まるで髪喰いババァが、彼を“別の場所”へ連れ去ったみたいに。
カズオ「えっ、ちょ、何だよ!?やめっ……!」
声はすぐに遠ざかり、風に溶けて消えた。残ったのは揺れる草むらだけだった。
トウカ(……髪喰いババァが……助けた?)
理解できない違和感が胸に残る。
トウカ(どうして……?あの存在が……カズオを?)
理由は分からない。でも、どうでもよかった。世界はもう、私の知っている形をしていない。
トウカ(関係ないわ)
私は空を見上げた。雲がゆっくりと流れていく。
トウカ(だって……過去を変えるのは私なんだから)
胸の奥で、黒い光が脈打った。




