逃げるが勝ち
アキナ ― 宇都宮駅・売店エリア ―
アサコ「やる気満々なところ悪いけど、トウカ。ここは逃げるわよ」
アサコさんの言葉はあまりにも突然で、私とトウカちゃんは同時に声を上げてしまった。
アキナ・トウカ「え!?」
ヒマリちゃんも首を傾げる。
ヒマリ「それはどうしてかな?私たち4人なら、マヤとナミカに勝てると思うんだけど」
アサコさんは静かに首を振った。
アサコ「確かにそうだけど。旧創造神唯一派は第二特別部隊を壊滅させた。そんな連中が不意打ちだけして終わりなんて考えられない。他にも何か策がある可能性が高いわ」
その声はいつもの軽さとは違って、どこか冷静で、鋭かった。
アサコ「それに、ここには怪我をした民間人が多くいる。戦場にするわけにはいかない。ここは撤退して、立て直すべきよ」
そこまで言ってアサコさんは一度俯いた。そして顔を上げ、私たちの顔を順番に見て――
アサコ「何よりも……
正直なところ、めちゃくちゃ痛いので早く休みたいです」
その瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
アキナ(……やっぱり強がってたんだ)
呆れた気持ちと安心した気持ちが同時に押し寄せてくる。
アサヒ君は、
痛くても笑って、
痛くても強がって、
痛くても誰にも言わなかった。
でもアサコさんは――
ちゃんと「痛い」と言える。
それが、
少しだけ嬉しかった。
トウカちゃんがため息をつく。
トウカ「我慢して戦いなさいよ」
アサコ「無理無理ぃい……
さっきの女性みたいに悲鳴上げたいぃい……」
ヒマリちゃんがくすっと笑う。
ヒマリ「アサコは正直者だねー」
トウカちゃんは呆れていたけど、ヒマリちゃんは優しく受け止めていた。
トウカ「ふざけてるだけですよ」
ヒマリちゃんは首を振る。
ヒマリ「だけどアサコさんの判断は正しい。ここは逃げるが勝ち、だよ」
私は不安を口にした。
アキナ「でも、どうやって逃げるの?マヤちゃんとナミカちゃんは、簡単には逃してくれないよ?」
その時だった。
アサコさんが腕を組み、妙に得意げな笑みを浮かべた。
アサコ「ふっふっふ」
トウカちゃんが眉をひそめる。
トウカ「どうしたのよ」
アサコ「なぁに、髪喰いババァの出番かなってね」
トウカ「どうしてそこからお婆さんが出てくるのよ」
アサコ「おめぇ、髪喰いババァを馬鹿にするなよ!?
こいつは新幹線より速いんだ!この髪喰いババァに掴まってこの場から離脱する!!」
トウカ「馬鹿でかい声で作戦内容を叫ぶな馬鹿!!」
二人のやり取りは、
こんな状況なのに、
まるで日常の延長みたいで――
胸の奥が、
ほんの少しだけ温かくなった。
アキナ(……大丈夫。まだ、みんな一緒にいる)
その温かさが、私の不安をそっと包み込んでいった。
マヤ「逃げる算段をしていたみたいだけど、残念。もう増援は来たよ」
マヤちゃんが手を掲げた瞬間、黒い影が次々と飛び込んできて、私たちを囲んだ。
フードを深く被った、小さな影。その動きは、まるで人形みたいに無機質で――
息を呑むほど不気味だった。
ナミカちゃんが冷たく命じる。
ナミカ「ガラクタ人形たち。アキナさまは動けないほど痛めつけて。それ以外は……殺しなさい」
不気味な子供たち「かしこまりました。ご主人さま」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が凍りついた。
聞き覚えのある声。
忘れられるわけがない声。
子供たちが黒いコートを脱ぎ捨てた。
その顔を見た瞬間――
世界が、音を失った。
アサヒ君の顔が、
たくさん、たくさん、たくさん。
トウカ「まさか…!この子たちって!!」
トウカちゃんの声が震える。ヒマリちゃんは、苦しそうに目を伏せた。
ヒマリ「アサヒクローン……まだ作っていたんだね」
アサヒ君の過去。
ヒサジロウ博士。
実験。
絶望。
アサヒ君が魔王になった理由。
全部が一気に胸に押し寄せてきて――
アサヒ君のクローンが、私を見た。
その瞳が、あの日のアサヒ君と重なった瞬間。
右手に、
温かい血の感触が蘇った。
私が――
殺した。
アキナ「ヒッ……ヒィイ!!」
声にならない悲鳴が漏れ、私は尻餅をついた。
視界が揺れて、
呼吸ができなくて、
胸の奥から黒い泥みたいな感情が溢れ出す。
アキナ「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
自分でも止められなかった。
トウカちゃんは、
ただ立ち尽くしていた。
どう声をかければいいのか分からない――そんな顔で。
ヒマリちゃんは、
静かに、深く、怒りを燃やしていた。
ヒマリ「ああ……最低な気分だなー。死んでもまだ、アサヒを弄ぶんだ……」
その声は震えていて、悲しみと怒りが混ざっていた。
彼女は山吹色の狐を召喚し、
神仏合体――九尾となって、白無垢を纏った。
狐耳と尻尾を揺らす。
その姿は、
美しいはずなのに、
怒りで歪んでいた。
ヒマリ「もういいよ。マヤもナミカも殺すから」
空気が張り詰める。
殺し合いが始まる――そう思った瞬間。
アサコ「ババァ!!」
アサコさんの叫びが響いた。
髪喰いババァさんが私とトウカちゃん、ヒマリちゃんの袖を掴み、ものすごい勢いで外へ引きずり出した。
ヒマリ「アサコ!?」
アサコ「可愛い女の子たちの殺し合いなんて、趣味じゃないのよ!
ここは私が納めるから、しばらく気持ちを落ち着かせてなさいな!!」
その声は――
笑っていて、
暖かくて、
強くて、
優しくて。
地獄の中に差し込んだ、
一筋の光みたいだった。
胸の奥で、
張り詰めていた何かが、
少しだけ緩んだ。
アキナ(アサコさん……)
涙がこぼれそうになった。




