答え合わせと、その先へ
10日ぶりに会う美雪とミューキーは、それまでと何ら変わることなく、じゃれるミューキーと、その姿を目で追う美雪のままだった。
変わらないと思っていたのだけど、声をかけるたびに、ミューキーがきょとんとした表情になるのは、無意識のうちに声のトーンが下がってるからだと気付いたのは、少し経ってからだった。
「所長と話をするなら、サポート役の私も同席するのが当然でしょ?」という強い意志の乗った視線に追い詰められ、拒否権を失った俺は、自分から中西美桜に同席をお願いしたのだ。
別案件を遂行する様子を見せるには良い機会なんだろうが、猫と遊び、子供をあやす様子を、すぐ隣で見ていられるのは気恥ずかしいもので、柄にもなく緊張が声のトーンを落としていたのである。
「猫と戯たわむれる翔さん、はじめて見た。意外と様さまになってるよ」
「からかわないで欲しいな。これでもマジメに仕事中なんだからさ。それに『意外と』は余計だよ」
堂々としていればいいんだって頭じゃ分かっちゃいるが、俺は何を意識してるんだろうか。
◇
「遅れてすまん!」
約束の時間から15分が過ぎた頃、ドアが開くより早くタチバナ波動物理研究所所長 橘たちばな玲樹れいじゅの声が飛んできた。
ひょろっとした体系、いつもの白衣、そしてボサボサの髪を掻き上げながら中年男性が扉をくぐってくる。所長も相変わらずだ。
そして、所長の視線が俺を捉えるなり、何かを含んだような笑みが顔中に広がるのが見えた。
「坂崎君! なかなか良い面構つらがまえになったじゃないか。決定的な新事実を見つけたかね?」
「所長、お忙しいところありがとうございます。はい、いろいろ分かったことがあります。急ぎ、ご報告させて頂きたく。それと、1週間サポートしてくれた美桜にも同席してもらおうかと」
「そうか問題無い。早速、報告してもらおうじゃないか」
「分かりました。では、そちらのテーブルへお願いします」
テーブルに向かいながらチラッと所長を見ると、目が合うなり心底楽しそうな、ニヤッとした笑みが返ってきた。
「所長、楽しんでますね?」
「フフフ、まぁな。だが、これから行うのは答え合わせだ。期待してるぞ」
「答え合わせですか……」
本当に、この人はどこまで知っているんだろう。
笑顔の後ろに何か恐ろしいものが秘められている気がして、背中に冷たい物を感じる。
3人で席に着くと、ここ1週間の美桜との探索、黒田との一件を、順を追って報告した。
ずいぶん長い話になったが、所長は口を挟まず黙って最後まで聞いていた。
◇
「よく調べたな。白痴化なんて病気は存在しない。正解だ」
「カウンセリング堤も、同級生だと思っていた神経科医の片山も存在しなかった時点で気付くべきだったんですが、美桜に言われるまで、疑いもせずで……」
「中西君を付けて正解だったようだな。彼女なら、すぐに分かるだろうと思っていたよ」
「でも、どうして俺が白痴化を罹わずらってるだなんて言ったんですか?」
「簡単な話だ。過去を覚えておらず、フラッシュバックする見知らぬ記憶のインパクトを和らげるためだ。もうちょっとネーミングそれっぽくしようかと思ったんだが、怪しい方が分かりやすいだろ」
「たしかに美桜は一発で分かったそうで……お恥ずかしい限りです」
「当然です。なんたって元本職ですので」
楽しげに話す美桜。この笑顔に何回救われたことか。
「それから、ノスタルジックスペースで水島刑事と呼ばれました。黒田刑事にも。俺は水島隼人という刑事なんですか?」
「坂崎君自身は疑っている。そうだな?」
「えぇ、まぁ。そんな急に信じられませんよ」
目を伏せたまま答えた。
「現状、君は坂崎翔画という画家だ。近い将来、水島隼人という刑事になるだろう。しかしそれは、時が来れば否応なしにそうなるしかないだけだ」
顔を上げると、橘所長は俺を真っ直ぐに見据えていた。
じっと見られていると、心の奥のさらに奥まで見透かされそうで、また目を伏せてしまった。
目が合った瞬間に背中を襲った鳥肌は、しばらくの間、収まりそうにない。
「それに、その時までは、しっかり生き残ってもらわねばならん」
「はっ、生き残る? んな、大げさ……すぎやしませんか?」
あまりの予想外な話に、おかしな言葉遣いになってしまった。
耳が熱くなってくる。
「今回は、遭ったのが運良く、後輩の刑事と自警団だっただけだ。ちゃんと、そこを理解してるか?」
「旧市街に他の知り合いなんていませんよ」
「考えてもみたまえ。アジトに突入して来た刑事が女連れでフラフラと旧市街をほっつき歩いている。テロリストの立場だったらどうしたい? 過去に因縁を持つヤツだったら? 他にも……」
「分かりました。分かりましたよ! ボーッとしてたら、いつどんなヤツに襲われるか分かったもんじゃないのは理解しました」
「まぁ、いいだろう。合格だ。君が知らない事実を伝えよう。これ以上何も知らずにほっつき歩かれると冗談抜きで命に関わるからな」
「水島刑事には敵が多いってことですよね。全く、迷惑な人だ」
「ハハハ、自分の過去を迷惑者扱いとは。そんな冗談はともかく、聞く覚悟は出来たな?」
無言で頷いた。
「先ほど、坂崎君が話してくれた、トゥルー幹部を一斉検挙するための作戦。七〇二号作戦には間違いがある」
「間違い?」
「荒川京介が使った爆弾で天井が崩落し、そのまま行方不明になった。そう装って潜入したと言っていたな? 事実は違う。君はトゥルーに拉致されたのだ。我々の私設部隊がトゥルーの拠点の1つを強襲した時、たまたま薬漬けにされた君を見つけた」
「!!!」
「傷を負い、全身を拘束され、記憶を失っていたが、所持品とDNAからテロ対策班の水島刑事だとすぐに判明した。身体の怪我は1ヶ月もすれば治った。組織回復用のマイクロドローン技術は、タチバナ研が世界トップレベルだから全治6ヶ月程度の怪我ならすぐに修復できる」
「そんなに大怪我だったんですか?」
「銃痕が4箇所、骨折も数カ所、内臓にもダメージ、顔も整形外科医が努力しなくてはならないくらいにな」
この傷もか?
手の甲にある古傷に目をやった。
「だが君の記憶は1ヶ月経っても戻らなかった。ヤツらは、君の記憶を上書きし、ヤツらのいう格差社会を平らにする思想とやらを植え付けて二重スパイにしようと考えていたんだろう」
「記憶を失ったのはヤツらのせい……」
「だから君には記憶が無いのだ。運良く、危険思想を導入される前に救出出来たと言ってもいいかもしれない」
「運良くだって? この……」
美桜が俺の肩にそっと手を置いた。
体温を感じると同時に、冷静さが戻って来た。
苛立ちをぶつける相手は所長じゃない。
「我々には、美雪の記憶定着に関する治験があった。過去の記憶を作り、仮想人格を与えて導入した。それが君。画家、坂崎翔画なのだ」
沈黙が続いた。
思考がグルグルと頭の中を巡り、また振り出しに戻ってくる。
俺は誰なんだ? 何をすれば? 何が真実なんだ?
それより……。
「……俺はいったい、これからどんな顔して生活していけばいいんですか」
「心配することはない。記憶はいずれ戻る」




