帰宅
「先輩が記憶を失ってる理由は分かりませんが、当時の状況が分かれば、何かのヒントになるかもしれません。聞いてみますか?」
「聞いていいのか迷っていたんだ。是非、聞かせてもらえないだろうか」
「では、先輩が行方不明になった埼玉ダイイチビル突入、通称『七〇二号作戦』の様子をお話いたします」
黒田は軽く息を吐いて座り直し、俺の目を正面から見据えながら話し始めた。
「私は出入口の封鎖と逃走経路の遮断を任務として、裏口に陣取っていました。先輩は5人編成の突入チームの陣頭指揮です。
埼玉ダイイチビルは、10年以上、放置された廃ビルです。
裏口の錠は簡単に破壊され、突入チームは何なく侵入していきました。私が最後に見たのは、薄暗い廊下に突入していく後ろ姿でした。
そこから先はヘッドセット通話とボディカム映像が全てです。
非常階段を何の抵抗もなく3階まで上ったところでトゥルーの構成員と遭遇し、偶発戦闘が発生。相手はテロリストとはいえ、素人に毛が生えた程度ですから、すぐに制圧、拘束されました」
「それが2人?」
「そうです。確保したのは後にも先にも、この2名のみです。
となりの部屋で武装した幹部4名を発見。投降を呼びかけるも拒否され睨み合いに。幹部の1人がいきなり発砲して戦闘になりました。
ボディカム映像では、戦闘の最中、荒川京介が手に持ったスイッチを押し、直後、上階で爆発があって天井が崩落……。通信はここで途絶え、先輩は、そのまま行方不明に」
「結果は、怪我をした構成員2名を確保、幹部クラスは全員逃走。突入チームは重傷2、行方不明1」
「その後、幹部の足取りを追ったものの荒川京介は発見されず。ダイイチビルでの救助活動では誰も発見できず」
「俺と荒川は生きてるはずだが、行方不明だったと」
「そういうことです。ところで、どうして画家なんですか? 画家としてトゥルーに潜入してるんですか?」
「いや、潜入なんかしていない。だけど、なんと言ったらいいんだろう。警察組織とは別方向から、同じ目的で、駒として動かされている気がする」
「それって、味方という意味で良いんですか?」
「分からない。でも、敵か味方かという単純化はできない立場だと思う」
「手段が違うから、ぶつかる可能性があると言いたいんですね」
「今までの俺の行動は、すべて手の平の上だった。だから、君らとの接触も何かしら仕組まれていたんだと思う。そして、この先についてもだ」
「では、今はいったい何をされてるんですか?」
「ここ3ヶ月半のことについて話そう……」
俺は、これまでの出来事をかいつまんで聞かせた。
絵が認められて、タチバナ研で研究者として仕事を受けていること。記憶の回復治療を受けていること。
自分の足でも、記憶の断片を辿ろうとしていること……。
「だから何を言われても、たいして驚きもしなかったんですね」
「驚き疲れたんだよ。ここ1週間が激動過ぎたから」
「話は戻りますが、先輩は画家として新たな人生を手に入れていて、これから独自に動いていこうとしてるんですか?」
「違う。と言いたいけれど、俺に3ヶ月半より過去の記憶は無いし、君らにこうして出会ったタイミングも出来すぎだ。明日、俺の記憶について聞こうとしてる矢先だぞ。好むと好まざるとに関わらず、すでに仕組まれたレールを走らされている感覚だよ」
「敗北宣言ですか? 先輩らしくない」
「そうじゃない。まずは真実を知って、記憶を取り戻さないと動けないと言っている。
すまないが黒田、時間をくれ。
あと、話がややこしくなるだけだから、今は署に報告しないでもらいたい。勝手な言い分だってことは分かってる。だけど俺は記憶を取り戻したいんだ」
「分かりました。署には報告しません」
「次は俺が記憶を取り戻したら連絡する。店主に声かけてから店を出て、フラついてればオマエらが見つけてくれるんだろ?」
「任せてくれっすよ! でも逃げ切らないでくださいよ」
紺ジャージが笑って答えた。
「振り切らないように手加減してやるよ。ところで報告って? 話せないってことでいいのか?」
「いや、この状況だとお伝えしておいた方が安全ですね」
黒田の人なつっこい優しい雰囲気から一変。鋭い刑事の目つきになる。
「実行部隊トゥルーのリーダー格、荒川京介は消息不明のままです。他の実行犯は全員捕捉出来ているのにです。これだけだったら特に報告する必要も無かったんですが、何か企んでるらしく、実行部隊の動きが活発になり始めました。近々、テロに及ぶと予想されます」
「テロ……。標的とか、日時とか、何か他に具体的な情報は無いのか?」
「今のところは。申し訳ありません」
「いや、話してくれてありがとう。記憶が戻らなくても、引き続き情報共有してもらえると助かるのだが」
「分かりました。私も先輩の動向が確認出来るし、潜入よりも正確な情報源のようですし。この関係は続けていきましょう」
「あぁ。もちろんだ。テロについても情報を得たら連絡する」
2人はガッチリと握手を交わした。
何かを思い出すかと思ったが、特に何の感情も湧き上がらない。
そんなもんだろうな……。
「さて。俺は、そろそろお暇するよ」
「分かりました。店主には、顔を出したらすぐに知らせるよう伝えておきます。それでは、大通りまでお送りしましょう」
「うぐっ!」
不意に腹に強い衝撃を喰らって倒れ込み、ホコリまみれの床でくの字になった。黒田の拳が鳩尾に食い込んだと気付いたのは、床に転がった後だった。
ジャージコンビに引き摺られ、屋敷の表門から大通りに放り出された。
コンクリートパネルの上を転がり、仰向けで腹の痛みに呻いていると、背後から怒声が追い打ちを掛けてきた。
「次からは入る家を間違えないこったな!」
「殺されなかっただけありがたいと思え!」
バタンと盛大な音を立て、背後で門が閉じた。
ふと目を遣ると、近くの女性はあからさまに目を背けた。
軒先に椅子を出して座っていた老人も、こちらを見ないように遠い目をしている。
絶対に、コソ泥かなにかだと思われてるだろう。
口の中に血の味を感じながらよろよろと立ち上がると、ホコリを叩いて、何食わぬ顔をして歩き出した。
「手荒いお見送りだ……」
そのまま真っ直ぐ帰るのは、なんとなく抵抗感があり、1ブロック遠回りして帰宅した。
まったく酷い目に遭った……。
部屋に入ると、そのままシャワーを浴びた。
殴られた腹は色が変わりはじめている。明日には青あざになるに違いない。
これは、しばらく痛みが残りそうだ。
「黒田め、殴る前にひとこと言えってんだ」
この痛みが情報の代償だとしたら、ずいぶん安上がりだな。
もちろん分かってるさ。ただの強がりだ。
声には出さず、腹をさすりながら思ったのだった。




