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受容

「美桜……。もう受け入れるしかないよ。俺は坂崎じゃない。水島だ」


 ノスタルジックスペースからほど近い古びたカフェは、まだ夕方だというのに店内は妙に薄暗かった。

 奥まった2人席で安っぽい香りがする代替コーヒーをすすりながら、俺は無条件に全てを認めるつもりになっていた。


これ以上、足掻きようがない。現実なんだ。


そうさ、もうお手上げだ。


「でも、水島刑事としての記憶は無いんでしょ?」


「あぁ、無い。無いけど、たぶん。いや、間違いなく、俺は水島だ。半年前のガサ入れで大怪我して記憶を失い、橘所長に新たな記憶を植え付けられた。だから過去が無い。辻褄だって合ってる」


そうだ。

薄っぺらい……。


「……作られた俺なんだ」


坂崎なんて、この世に存在しない……。


「そんなことない! 過去? 過去の記憶が全て戻ったら、その時、翔さんのままでいるか、水島刑事に戻るか決めればいい。でも今は、その時じゃないでしょ? 今、水島になっても、中身が翔さんのままじゃ、本質がねじ曲げられるだけじゃないの?」


だが、この坂崎翔画はニセモノだ……。


「でも、もう知ってしまった。俺は坂崎じゃないんだって」


「知るのはここからでしょ。本当に水島隼人だったとしても、翔さんは、まだ記憶を取り戻したわけじゃない。忘れていた本名の候補を知っただけ。昨日と何も変わってないんじゃないの?」


「いや、さすがに変わっただろ」


「ショックを受けたのは分かるけど、なに1つ変わってないんじゃない?」


「変わった……。変わって……ないのか?」


「わたしの目には何も変わってないように見えるけど?」


 美桜は、それだけ言うと澄ました顔してティーカップを手に取った。



「……?」


 そのままカップを両手で包み込むようにして香りを楽しんでいる。


 なんだよ、そのあっさりした反応は。

俺なんて、どうだっていいってのか。



 いつも通りの美桜を眺めていると、一瞬だけ感じた憤りがスッと消えてゆく。


 あぁ、分かってるとも。どうだっていいわけじゃないんだ。

今までもずっと、坂崎翔画としての俺に真正面から向き合ってくれていた。


 この感覚、今、感じているこの感情は、諦めたというより、納得出来たという方が正しい気がする。


 1人で諦めて、感傷に浸っていた俺が馬鹿みたいじゃないか。




「美桜、悪かった」


「ん? どうして急に謝るの?」


「いや、何でもない。それより最近思うんだ。俺さぁ……。いつも美桜に言いくるめられて、ほんと、情けなくなるくらいに単純だよな」


「違うよ。裏表が無くて純粋なのが翔さんのいいところ」


「それって、『薄っぺらい』をオブラートに包んだだけなんじゃ?」


「なに言ってんの。いい意味で言い換えたの」


「なんか、納得いかない説明だが? でも、よく分かったよ。もし、完全に記憶がまっさらだったら、この坂崎という人格も無い。過去と今の俺、どっちにしようか? なんて選択も出来なかったんだよな」


「過去にしがみつくしか無かったでしょうね。今の翔さんっていうパーソナリティがあるから、不安を感じても押し潰されず、無茶な暴走をすることもない。そういうこと」


美桜は、言いながらバスクチーズケーキをフォークでひと口サイズにカットした。


「てことは、今回も橘所長の見立てと下準備が正しくて……。またしても俺は手の平の上だったってことか」


「どこまで行っても、所長が打った先手に出くわすなんて、やっぱりただ者じゃないよね」


 バスクチーズケーキは、表面の黒さとは裏腹に、中はトロッとした食感で昔から人気がある。

美桜は、じっくり眺めてから、パクッと頬張った。


「本当だよ。あぁいうのを天才って言うんだろうな」


「そうだ、翔さん。1つだけ変わったところがあるよ」


「なんだよ。せっかく納得したってのに」


「知る準備、出来たんじゃない?」


「美桜、まさか今の会話……。誘導してたのか」


「ふふん。どうでしょうね」


 美桜は、もうひと切れ頬張ると、目を細めて味わっている。

さも満足そうに。


「あぁ、もう。完敗だよ。美桜にも、橘所長にも」


 これで、よく分かった。

新大宮に来る前に住んでいたアパートが、名前はおろか、どこだったのかすら思い出せないのは、忘れてしまったわけじゃない。

そもそも、そんな事実がなかったんだ。


美桜が言うように記憶が消えて行く白痴化なんて病気は存在しないんだ。


では、妻が亡くなったのは?

IT技術者だったというのは?


これも、やっぱりニセモノの記憶ってことでいいんだよな?


「翔さんさぁ。吉川先生にアポ取ってもらった方がいいんじゃないかな」


「たしかにそうだ。じゃぁ、今のうちに……」


「今日、何曜日か知ってる?」


「?」


「日曜よ。明日の朝イチにね」




◇◇◇




 中途半端な時間だったのだが、早々に美桜と別れ帰宅の途についた。

水島刑事のことを調べたかったからだ。

 ノスタルジックスペースの店主に聞いてもいいんだが、具体的な話はしてくれないだろう。

 警察に聞きに行っても、そんな個人情報、開示してくれるわけがないし、それ以前に、見た目がそっくりな以上、どんな騒ぎになるか分かったもんじゃない。


 今は行くべきじゃない。


 現時点では、オールドネットを探るしか手はないだろう。




 手近な循交乗り場まで美桜を送り届けた後、再び新大宮バザールを抜けてアパートへと向かう。




 ショートカットのつもりで、薄汚れた裏路地を通ってシャッターが閉まった商店街へと向かった。


 狭い路地に足を踏み入れると、塀の高い、立派な門構えの民家が連なっていた。30年前までは、富裕層が多く住む住宅街だったのだろう。

 今は見る影もなく、アスファルトの割れ目からツンツンとした雑草が生え、いつの時代とも分からない錆びたジュースの空き缶が転がっている。


 何軒かに1件は、門から玄関まで続く飛び石周辺だけ雑草が生えておらず、辛うじて住人がいることを示していた。


 自宅の玄関先すら汚れるに任せる無気力な住人たちが暮らす町。

新大宮市に限らず、日本中で見られる光景だった。


 荒れ放題の庭が続く住宅街を眺めていると、心が荒んでくる。

トゥルーと名乗るテロリストたちが見ていた鬱屈した世界は、これだったんだろう。


ふぅ……。


 ため息を吐いて顔を上げると、古びた民家の向こうに高層ビル群が見えた。

 中でも、屋上に円形のドームが3つ並んだ、50階建てのビルがひときわ目立っている。三権移転で新大宮市に割り当てられた、司法を司る高裁ビルだ。


 そんな司法のお膝元だというのに、警察官は行方不明になり、テロリストが潜伏している。

 何とも救いの無い世界が、どこかの遠い国ではなく、すぐ足下に広がっていたわけだ。


「これが現実か……」



 コツコツ、パタパタと背後から音が聞こえ、思考が中断した。

 庭を眺めるふりをしてチラッと目を遣ると、10mくらい後ろから数人の男が歩いて来る。


この薄汚れた町を散歩する人などいない。


しかも男が数人だ。

何か目的があって行動しているとしか思えない。


まさか……。


 鼓動が急激に高鳴り、徐々に、手が汗ばんでくる。

後頭部から背中の神経に、じんじんと痺れるような感覚が走る。



 距離を保ったまま、気付かない振りをして歩き続けて……、それからどうする!?


 くそっ。こんな時、水島刑事だったらどう行動するんだ?



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