足跡を追って3
カフェを出てすぐ「気分が優れない、1人で考えさせて欲しい」という言葉を残して帰って来てしまった。
後を追うように「早まったことは、絶対にしないで」と、泣きそうな声で言われたが、美桜には、俺がそこまで追い詰められてるように見えていたんだろうか。
カーテンが開けっ放しの部屋には、陽が落ちても街の明かりが射し込み、闇に包まれることはない。
油絵の具の臭いがするベッドに寝転がり、雨漏りで出来た染みが広がる薄暗い天井を見つめながら、美桜の言葉を反芻していた。
今が大切、未来が大切。
その通りだ。
だが、そうは言っても過去が気にならないわけがないし、同じくらい大切だ。
今、俺の気持ちがグラついてるのは、美桜の言葉が原因ってわけじゃない。
過去を追おうとすればするほど、偽りの記憶しか出て来ないと分かってしまったからだ。
事実を積み重ねれば重ねるほど、虚構で塗り固められた俺の過去が掘り起こされていく。スカスカに穴が空いた俺の過去が。
早く、この虚無を埋めないと、気が狂いそうになるのは当然だろう。
無視なんて出来るものか。
だがいったい、どうやってタチバナ研究所に入ったんだ?
きっかけだと思っていた白痴化が存在せず、カウンセリング堤も虚構だとしたら、俺はどうして、あのベンチに座っていたんだ?
絵を描いて納品した覚えはあるし、子供部屋に飾られているのも見た。
だから利根川さんにスケッチだって見てもらっている……はずだ。
所長に会うきっかけは利根川さんだった。
そういえば、最近、ほとんど彼女を見かけていない。
もしかして、実在しないんじゃないか?
いやいや、絵を納品するまでにメッセージでもやり取りしていて、ログだって残ってる。だから、本物の記憶だし実在するはずだ。
所長が言っていた。
どこまでが、俺の《《本物の記憶》》か知ってからだと。
では、どこまでが偽りで、どこからが真実だというんだ。
この問ばかりが、頭の中をぐるぐると回り続けている。
もっとシンプルに全くの空っぽだったら、楽だったのだろうか。
偽りでも過去の記憶があるから、追い詰められても生きて来られたんだろうか。
過去を知ろうと思う気持ちは変わらないどころか、むしろ強くなっている。
知らなきゃいけないんだ。知らないと、俺が壊れてしまう気がする。
だが、追い求めていた記憶の糸は、手繰れば手繰るほど、ほつれて糸くずに変わってしまう。
俺の過去に真実なんて残ってるのか?
今までに知った事実は、冷酷にも俺の過去が全て偽物だったことを示している。
全部ウソっぱちだったんだ。
もうこれ以上追う必要なんて無いんじゃないか。
偽りの記憶、偽りの過去に価値なんてありはしない。
スカスカだ。
30年以上生きてきたはずなのに、たった4ヶ月くらいしか本物の記憶が無いだなんて。
「俺って……。ほんと薄っぺらいな」
天井に向かって左腕を上げた。
毎日眺めて来た、元IT技術者の画家とは思えないほどに力強い、太い血管と大きな古傷が残る手の甲だった。
古傷?
そういえば、この傷。
いつ、どうして出来たんだっけ?
どうして俺自身のことなのに、分からないことばかりなんだ。
所長が言う知る準備は、これで出来たんだろうか。
何が真実で、何が偽物か分かったんだろうか。いや、まだだ。どこからが怪しそうか分かっただけじゃないか。
所長が言うように、今は行動が必要だ。
こうして、ベッドに転がってうじうじと考えても答えなんか見つかりはしない。
たしかにそうだし、ただ考えていても頭がおかしくなるだけだ。
だが、調べるにしても手がかりが無くちゃ、これ以上は進みはしない。
ヒントは何か無かったか?
そういえば、吉川先生が言っていた。
真実って、見る方向によって全く違う形をしていると。
見る方向……発想の転換が必要ってこと?
違う目的、価値観、好み、時間、手段、方法、方針。
他には……。
立場か?
今日は美桜に付き合ってもらったが、研究所関係者以外の別な情報源をあたるとしたら……俺を知っていそうな誰か。
たしか、あの店主、過去の俺を知っていたような口ぶりだった。
俺を見て、誰だか忘れたが、なんとかさんよぉ、とか言ってたっけ。
問い詰めれば何か分かるかもしれない。
ノスタルジックスペースにヒントがあるかもしれない。
それと、もう1つあった。
過去に実在した坂崎翔画だ。
坂崎翔画という作家名は、俺が思いついた名前だとずっと思っていたが、そうではなかった。
こんな偶然、まずあり得ない。きっと、何か理由があるはずだ。
予定では、明日から新大宮市に住み始めたきっかけや、IT技術者から画家に転向したきっかけなんかを調べるつもりだったがやめた。
目的が決まったら少しだけ気持ちが軽くなった気がする。
「晩飯は、ガッツリしたものにしよう」




