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シンクロニシティ―青い調和(ハーモニー)―〜二度目の人生、モラハラ夫から逃れ、不器用で重たい愛に全てを上書きされるまで〜  作者: 滝丸
【第二楽章:間奏曲(INTERLUDE)】

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第三十四話 二〇〇三年夏【狂わぬ秒針と、芽生えた命】

真由子がシャワーを終えてバスルームから出ると、リビングから香ばしいコーヒーの匂いが漂ってきた。

ソファの横には、すでに身支度を整え、いつものように二つのマグカップを用意している誠の姿があった。昨夜の激しい嵐など幻だったかのような、穏やかな朝のルーティーン。


(でも、幻なんかじゃない……)

真由子は、さきほどバスルームの鏡に映った自分の身体を思い出し、耳の後ろが熱くなるのを感じた。

肌のあちこちに残された、生々しいほどの赤いマーキング。いつもは理性の塊である誠が、本能のままに熱をぶつけ、健二の痕跡をすべて焼き尽くそうとした、激しい独占欲の証だった。


「絶対に、あいつの元へは行かせない。君を幸せにするのは僕だ」


言葉には出さずとも、その強い愛のメッセージが真由子の全身に深く刻まれていた。彼が気絶するように眠るほど消耗していた理由を肌で思い知り、真由子は胸の奥がじんわりと温かい涙で満たされるのを感じながら、彼の隣へと腰を下ろした。


温かい琥珀色の液体を一口飲むと、誠がぽつりと口を開いた。

「真由子ちゃん。今度の休み、少し出かけよう」

その穏やかな声の裏で、誠の胸中には静かで強固な決意が満ちていた。


人生で初めて、己の理性が本能に敗北した夜。常に「人間計算機」として完璧なコントロール下にあった誠にとって、それは戸惑いを伴う未知の経験であった。しかし、彼はその事実から決して逃げなかった。自分の理性を吹き飛ばすほどに彼女を求めたという事実は、そのまま彼女への底知れない愛情の証明であり、同時に「彼女のすべてにきちんとした責任を持つ」という覚悟を確固たるものにしていた。



その夜。真由子の携帯が鳴った。美穂からだった。

真由子の身体を心配する声と共に告げられたのは、県大会の審査結果だった。


『金賞、県代表。九月の頭に東海大会出場だよ! しかもね、ダントツのぶっちぎり一位で、満点もたくさんあったの!』


電話越しの美穂の声は興奮していた。


長野県の一般バンドは実力が伯仲しており、常念松本吹奏楽団も代表の座を勝ち取れるかどうかは毎年ギリギリの戦いだった。

実際、一度目の人生において、この年の結果は東海大会へ進めない「ダメ金」だったはずなのだ。

歴史が変わった。誠の揺るぎない包容力と、健二の暴力的なまでの自己顕示欲。二人の相反するベクトルがぶつかり合い、奇跡のようなアンサンブルを生み出した結果だった。



次の休日。

誠の運転で向かった先は、岡谷市の「やまびこ公園」だった。二年前の秋、彼が初めて真由子に想いを告げ、二人でハート型の諏訪湖の夜景を見下ろした、始まりの場所である。


夏の瑞々しい緑の風が吹き抜ける展望台で、誠は真由子に向き直り、丁寧に包まれた箱を取り出した。

中に入っていたのは、婚約指輪ではなく、ペアの腕時計だった。

日本の職人技術の結晶であり、究極の精度を誇る名機。洗練された銀色の文字盤の上で、凛とした青い針が静かに、そして正確に時を刻んでいる。


「……誠さん、これは」

「婚約指輪は、君が本当に好きなデザインのものを一緒に選びたいからね。これは、僕からの決意の証だ」


誠は真由子の左手を取り、華奢な手首に、狂いなく時を刻むその時計をそっと着けた。


「この時計は、正確で、決して狂わない。……僕たちのこれからの未来と同じだ。健二というイレギュラーも、過去のどんなバグも、もう二度と僕たちの間には入り込ませない。君が刻むこれからの時間は、僕がすべて守り抜く」


そう断言してから、誠はジャケットの内ポケットから綺麗に三つ折りされた数枚の紙を取り出した。


「真由子ちゃん。実はこの秋に、T大に博士論文を提出する。大詰めの作業が残っているけれど、来年の春には、僕はT大の研究室に戻ろうと思っているんだ」

「え……東京に?」

「ああ。そしてこれは、都内の大学病院や中規模の調剤薬局のリストだ。東京に行っても、真由子ちゃんが薬剤師としてしっかり経験を積んでいけそうな就職先を計算してピックアップしておいた」


驚く真由子にその紙を握らせ、誠は彼女の目を真っ直ぐに見つめた。


「真由子ちゃんが、結婚しても仕事を辞めず、自分の足で立ちたいと強く願っていることは分かっている。ただ男に養われるだけの人生じゃなく、自分の力で社会に立っていたいという君の芯の強さを、僕は誰よりも尊敬しているよ。だから、君の夢を僕の都合で奪うような真似は、絶対にしたくなかった」


そこで一度言葉を切り、誠はふっと自嘲するように微笑んだ後、時計を着けた真由子の左手を両手でひどく大切に包み込んだ。


「君さえ良ければ、一緒に東京に来てくれないかな。……いや、ごめん。訂正する」


いつも完璧に計算された言葉を紡ぐ彼が、今日だけは少しだけ、その声に微かな震えを孕ませていた。


「僕が、君に来て欲しいんだ。君が自分の足で立って歩いていくその道を、一番近くで見ていたい。君が隣にいない未来なんて、僕にはもう計算できない」


誠はその低い声にありったけの誠実さと、隠しきれない熱情を込めた。


「僕と、結婚してほしい」


その言葉は、一度目の人生で健二から言われたような、強引で打算的なものではない。ただ純粋に、真由子という人間を尊重し、生涯かけて愛し抜くという、一人の男の揺るぎない誓いだった。

真由子は涙を溢れさせながら、何度も何度も深く頷き、誠の胸へと飛び込んだ。



二人が両家への挨拶を無事に済ませ、本格的に結婚の準備と「最短距離での東京帰還」のスケジュールを進めようとしていた矢先のことだった。


真由子の身体に、明らかな変化が訪れた。

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