おまけ 【青天井の『超優良物件』と、鳴り響くサイレン】
お読みいただきありがとうございます。
普門館から帰ってきたあとのひとコマ、佐藤先輩の裏設定を少しだけ滲ませてみました。
どうぞお楽しみください。
普門館からの帰り道、特急あずさを降りた松本駅には、すっかり夜の暗闇が降りていた。
改札を出てロータリーへ向かうと、真由子の父が愛車の運転席から降り、車の横に立って待ってくれていた。
父は娘の姿を認めるだけでなく、同行してくれた宮坂と佐藤に向かって、車の外で深く丁寧な一礼をした。
「先生方、夜遅くまで娘の引率と指導、本当にありがとうございました」
「いえ、お父さん。浅野さんは真剣に演奏を聴いていましたよ。いい経験になったと思います」
宮坂の言葉に、隣に立つ佐藤も「お疲れ様でした」と、背筋を伸ばして極めて礼儀正しく頭を下げる。
その際、車道の街灯に照らされた青年の顔を間近で見つめた父は、心の中で「おや?」と小さな疑問が浮かんだ。
(この青年……どこかで見たことがある顔立ちだな。誰だったか……?)
二人に一礼を返して娘を助手席に乗せ、夜の松本市内へ向けて車を走らせてしばらくした頃。ハンドルを握りながら、父は先ほどの疑問を解くように口を開いた。
「真由子。あのOBの先輩は、もしかして佐藤教授のところの息子さんか?」
「え? 佐藤教授? 確かに先輩は『佐藤さん』だけど……どうしてそんなこと思うの?」
「いや、さっき近くで挨拶させてもらった時にお顔をしっかり拝見してな。あの理知的な面差しと誠実な佇まいが、佐藤教授に非常によく似ていたから、もしかして?と合点がいったんだよ。ご兄弟のどっちだったか……K大を出られた息子さんだったか、それとも……」
「違うよ、お父さん。佐藤先輩は『T大』卒業よ?」
助手席の真由子がキョトンと首を傾げると、父は「やはりT大……!」と息を呑み、視線を前方の夜道へ向けた。
「そう。本当にすごく優秀で、誰よりも尊敬できる最高の先輩なんだから。私が目指している、同じ薬学部の先輩でもあるし、今度、国公立対策の勉強も教えてもらう約束をしてるの」
「……そうか、二人きりで勉強を」
真由子の無邪気な言葉に、父はハンドルを握る手に少しだけぐっと力を込め、娘に聞こえないほどの小さな声で、こっそりと独り言を噛み締めた。
(あの佐藤教授の血筋で、面差しも父君にそっくりな優男。しかもT大の薬学部で、あの礼儀正しさ……! 間違いない、これはとんでもない『超優良物件』だな……! 市場に出れば一瞬で買い手がつく、青天井のブルーチップだ。誰かに取られる前に、さっさとツバをつけさせておくべきか……!?)
だが、次の瞬間、父の脳内に強い『親バカの警報機』がけたたましく鳴り響いた。
(いや! 何を考えてるんだ、わしは! 真由子はまだ高校生だぞ!? どこの骨とも分からん男……いや、骨身はよく知る名家の御曹司だが! それでもわしの可愛い娘を男にやるもんか! 真由子は絶対にやらん! 誰が何と言おうとやらんぞ……っ!!)
一人、脳内で激しく首を振る父。
しかし、先ほどロータリーの至近距離で見た、誠実そのものな深いお辞儀と、どこか憂いを帯びた美しい面差しが脳裏に蘇る。
(……だが。もし、いつか、いつの日か……どうしても真由子を嫁にやらなきゃいかん日が来るとしたら。……その時は、絶対にあの佐藤くんのような男じゃないと、わしは許さんからな……!)
「ん? 何か言った、お父さん? なんだか顔が怖いよ?」
「い、いや! なんでもないよ。そうかそうか、いい先輩に恵まれたな、真由子!」
温かい車内で無邪気に笑う娘の横顔を見ながら、父は「未来の最高の婿候補」の登場と、いつか来るかもしれない親としての覚悟に、密かに冷や汗と微笑みを浮かべるのだった。




