第7話 クエスト争奪騒動①
静かな朝だった。
粗末な宿の一室に、窓から差し込む朝日だけがやけに眩しい。 その光の下で、ネモは質素なベッドの上に転がり、布団を抱きしめたまま呻いていた。
「頭痛いよぉー……」
「だから飲み過ぎだって言っただろ」
呆れた声で返しながら、ジェラルドは簡易焜炉に火を入れる。 小鍋で湯を沸かし、茶を淹れる手つきは妙に手慣れていた。
「いやぁ……辛さも楽しさも臨界点を超えちゃってさ……つい……」
「ほんとお前、しょうもねぇな」
「しょうもないはこの短期間で何度も言われたので、そろそろ使用禁止にしていただけませんか……」
「知らねぇよ。言われたくなきゃ改めろ」
ジェラルドは湯気の立つ茶をカップに注ぎ、そのままネモに差し出した。 ネモは半死半生の顔でそれを受け取り、ちびちびとすすった。
「うぅ……沁みる……」
「そりゃ結構。で、だ」
ジェラルドは椅子に腰を下ろし、腕を組む。
「これからどう動くか決めたい、ここにしばらく留まるか、すぐ別の土地へ移るか」
「僕は移るべきだと思うよ」
即答だった。
「向こうの神官さんに正体勘付かれたし、黙っててくれそうではあったけど」
「そうだな……」
だが、ジェラルドは顎に手を当てたまま考え込む。
「だが……もし、まだこの近くに炭の棺があるとしたら?」
ネモは茶を飲む手を止める。
「うーん……それは、今のうちに見つけといた方がいいのかなぁ」
「俺もそう思ってる」
ジェラルドは短く息をついてから続けた。
「お前がこの街に来た時、ワイバーンを倒したって言ってただろ」
「うん」
「あれより一回りも二回りもデカい個体が、お前が寺院に潜ってる間に六回来たらしい」
「六回?」
ネモが顔をしかめる。
「大体一日一回のペース、日替わり定食かなにか?」
「定食ならよかったんだがな、種類もバラエティに富んでるらしいからな」
「うへぇ……」
茶化すネモに合わせるジェラルド。
「で、なんでそんなにワイバーンがこの街に流れてくると思う?」
「わかんない」
「少しは考えろ」
ネモは二日酔いで重い頭を抱えながら、渋々考え込む。
「うーん……ワイバーンって基本、その辺りじゃ生態系の上位だし……そいつらがまとめて逃げてくるってことは、もっと上の脅威が出たってことだよね。地殻変動とか大規模火災とか、そういう話は聞かないし……」
そこで、ネモの目が少しだけ細くなった。
「……もしかして、精霊憑きのワイバーン――ドラゴン?」
「正解だ」
ジェラルドは頷く。
「一か月前、東の山で、今まで観測例のない灰色の隻眼のドラゴンが現れた。そいつが縄張りを荒らして、手当たり次第に他のワイバーンを喰ってるらしい」
「へぇ……でも、それ変だね」
「だろうな」
ネモは布団から半分這い出した格好のまま、思案するように呟く。
「普通、ドラゴンって、その土地で元から頭角を現してた強い個体が、長い時間をかけて精霊と同調して変じるものでしょ。急に現れたうえに、そんな目立つ暴れ方するのは……かなり不自然だ」
「しかも龍禍対策院がある。抜けが全く無いとは言わんが、今回みたいな目立つ個体が、前触れもなくぽんと湧くのはまずあり得ねぇ」
「……あぁ。だから炭の棺が絡んでるかも、ってわけか」
「そういうことだ」
ジェラルドはそこで、わずかに口元を歪めた。
「そしてちょうど今、マウントアンダー併設の旅人組合に依頼が来てる。ドラゴンの調査と討伐に当たる政務官への協力依頼だ」
「政務官がギルドに協力依頼って珍しいね」
ネモは瞬きをする。
「でも僕ら、組合登録してないじゃん」
「俺はしてる」
「は?」
「捜索のついでにな。いくつか課題を片付けて、今は準二級組合員だ」
ネモはじわっと感心の色を浮かべる。
「さっすが」
「むしろお前、してなかったのか? 魔法絡みの揉め事や妙な噂を拾うには便利だぞ」
「細かい手続き嫌いだし」
「ほんとお前は……」
呆れたように吐き捨ててから、ジェラルドは立ち上がった。
「まあいい。とにかく今日は、この依頼の詳細を聞きに行く」
「ふーん……じゃあ頑張ってね。僕は二日酔いで頭痛いから、ここで待ってるよ」
ネモは毛布に潜り込みながら、ひらひらと手を振る。
だが次の瞬間、その毛布は無慈悲に剥ぎ取られた。
「来るんだよ、お前も」
「いやぁぁーっ!」
ジェラルドはネモの頭を片手で掴み、そのままずるずるとベッドから引きずり出す。
「ついでに登録も済ませろ」
「あぁーっ! ケダモノッ!」
「ああ、まあ俺はケダモノだな」
ジェラルドは平然と答えた。
「それに、こういうのは少し動いた方が治りが早い。ほら、さっさと行くぞ」
「まだ寝てたいよぉーっ!」
ネモの情けない悲鳴を引きずったまま、二人はマウントアンダーへ向かった。
「おう。昨日はよく飲んだな、二人とも」
マウントアンダーの店主は、相変わらず綺麗な布でグラスを磨いていた。 その声音には、少しばかり面白がる気配が混じっている。
「はい……昨日は世話になりました。特にこいつが」
ジェラルドがそう言って、半ば物体のようになったネモをカウンターの前へ押し出す。
「すいやせん……」
項垂れるネモ。
店主は鼻で笑った。
「まあ、あの見事な踊りに免じて許してやるよ」
「いやあぁーっ!!」
両手で顔を覆って悶絶するネモを横目に、店主はジェラルドへ視線を戻す。
「今日は飲みに来たって顔じゃねぇな」
「ああ。こっちの用だ」
ジェラルドは懐から、槍の装飾が三本刻まれた銀時計を取り出して見せる。
「組合員として受けたい依頼がある」
「路銀稼ぎかい? まあ、最近かなり金を使ってくれたしなぁ。そりゃ減りもする」
「……まあ、そんなところだ」
ジェラルドは曖昧に流した。
「で、例のドラゴン絡みの依頼を受けたい」
その言葉に、店主の手が一瞬だけ止まる。
「……ああ、市政の連中から来てる、妙に金払いのいい仕事か」
歯切れの悪い言い方だった。
ジェラルドが目を細める。
「何かあるのか?」
「あるっちゃある」
店主は頭を掻いた。
「こういう金のいい仕事は、近場の荒くれ魔法使い連中が半ば独占しててな。あまり素直にはいかんと思うぜ」
「それでいいのか?」
「俺が決められる立場なら、そんな真似はさせねぇよ」
店主は肩をすくめる。
「だが俺は、あくまでギルド併設酒場の店主だ。受付も手伝っちゃいるが、最終的に誰へ仕事を回すかの権限は別だ。そこの、コネで座ったボンクラが握ってる」
顎で示した先には、酒場の片隅に設けられたこぢんまりとした受付があった。 その中では、気弱そうな青年が書類に埋もれるようにして筆を走らせている。
「話せばすぐ分かるさ」
店主は低く言った。
「面倒を避けたいなら、この依頼そのものを諦めた方がいい。路銀稼ぎなら、安いがもっと楽なのもある」
「そうもいかんのでな」
「……路銀以外の理由がありそうだな」
「まあな」
そう言ってジェラルドは席を立つと、そのまま受付へ向かった。
「君がここのギルド長か?」
「ひぇっ……あっ、は、はいっ」
俯いて書類と格闘していた青年は、ジェラルドの厳つい風貌にあからさまに怯えた。
ジェラルドはわざと周囲に聞こえる程度の声量で、銀時計を見せながら言う。
「例のドラゴン調査の依頼を受けたい。なんなら報酬は半分でいい。ぜひこちらに回してほしい」
その一言で、酒場の空気がぴんと張った。
「あ……は、ひ……あの、その依頼は……」
青年は見るからに狼狽える。
そのときだった。
「いけねぇなぁ、獅子顔の旦那ぁ!」
背後から響いた大声に、酒場の視線が一斉にそちらへ向く。
現れたのは、二メートル近い巨体のスキンヘッドだった。 軽鎧をまとい、背には大斧。いかにも荒事慣れした風体である。
「何がいけないのかな?」
ジェラルドは振り返り、あくまで穏やかに問う。
「その依頼は、うちのチームが受けることになってんだよ。横取りは困る」
「ふむ」
ジェラルドは小さく頷く。
「ギルドの依頼というものは、本来、希望者の中から担当者が総合判断で選ばれるものだと思っていたが?」
スキンヘッドは胸を張り、周囲へ聞かせるように声を張った。
「それは俺たちが、この辺りで一番強くて実績もあるからだ! 選考の余地なんざねぇ! この辺の仕事は俺たちが回してんだよ!」
なるほど、とジェラルドは内心で笑う。 随分と分かりやすい構図だった。
「そうか。それは素晴らしいな」
わざと感心したように頷いてから、続ける。
「だが我々は報酬半分で受ける。それだけでも、十分選考材料になるはずだ。なあ、ギルド長」
突然話を振られた青年は、びくりと肩を跳ねさせた。
「ま、ま、まあ……その……はい……」
「それに」
ジェラルドは、さらに一歩踏み込む。
「我々の方が、そちらより遥かに強い」
酒場の空気が凍りついた。
スキンヘッドの顔がみるみる赤くなる。
「何だと、てめぇ!」
だがジェラルドは意に介さない。
「半額で請ける強者より、満額で請ける弱者を選ぶ。そんな真似をするギルド長は、きっと上から色々言われるだろうな。違うか?」
「は……はひぃ……」
青年はもはや泣きそうな顔で頷くしかない。
「てめぇ……!」
とうとうスキンヘッドは大斧を抜き放ち、ジェラルドの首筋へ突きつけた。
「弱者だぁ? 聞き捨てならねぇな。表出ろや、獅子顔。そこの青髪の連れも一緒だ。俺たちのチームを舐めた落とし前、きっちりつけさせてやる」
その刃先を前にしても、ジェラルドは微塵も怯まなかった。 むしろ、少しだけ楽しそうですらある。
「おいおい、いきなり暴力とは穏やかじゃないな」
上辺だけのセリフ、内心で別のことを考える。
(この手の連中は、本当に扱いやすいぜ)
障害を望み通りに踊らせ、転ばせ、踏み越える。 その感覚は、かつて魔王軍の軍師として幾度も味わった快楽。
その快楽にジェラルドはとうに脳を焼かれている。
その獅子の顔の口角が僅かに吊り上がる。
そんなジェラルドの様子を、ネモは少し離れた席から横目で見ていた。 手には迎え酒代わりの赤ワインがある。
「獅子軍神、悪意の人形使い、混淆獣帝、魔王を嗤わせる作劇家……ほんと、食えない男だねぇ」
ひっそりこっそり呟くとネモは迎え酒の赤ワインをクイッと飲み干す。
「いや……流石にジェラルドの旦那に怒られねぇかネモちゃんよ……」
ジェラルドを取り巻く事態とネモの意識は混迷を深めていく……。




