第6話 白雪姫の潜入作戦⑥
昼下がり。
木々の葉と寺院の装飾が陽光を跳ね返し、辺り一面をきらきらと照らしていた。
そのまばゆさの裏で、寺院の裏口では二人の人影が声を潜めて向かい合っている。
「はいっ。お願いします」
ネモは、啜り梟が生み出した薄い本を、食事のたびに自分を叱っていた三級神官へ差し出した。
「これを上手く使えば、被害に遭った女性たちの助けになるはずです……どう使うかは、貴方次第ですが」
「すまんな……ソフィ君……いや……白雪姫、と呼んだ方がいいのかな」
ネモは少しだけ困ったように笑う。
「バレてましたか……」
「人目を避けて我々の懐を探る、若くして超一流の氷魔法使い……そう聞けば、思い当たる者もいるさ。生きていたとは思わなかったが……」
「…………そうですね」
三級神官は、手の中の本を見下ろしたまま言う。
「君たちにあのようなことをした我々を……こうして救ってくれる。そんな君に、私はどう向き合えばいいのか……私のちっぽけな価値観では、まるでわからん」
「僕だって、わからないです」
ネモは寂しげに笑った。
「でも……笑える人が増えること。それが一番いいんじゃないですかね……」
その言葉に、三級神官はゆっくりとうなずく。
「そうだな……せめて、せめて君に幸福が訪れることを願う」
「……私のことはいいんです。でも、その分もフェリスさんたち……今回の被害者たちを、気にかけてほしいです……」
「……ああ。わかった。神に誓おう」
「…………」
ネモは右耳のサファイアの耳飾りを外し、そっと彼へ渡した。
「その本と一緒に、これも……彼女たちの役に立つ形で使ってほしいです。何人かの一生くらいなら、助けられる価値はあるはずです」
「約束しよう……どんな形であろうと、私が彼女たちの人生を良い方へ向けていく……そして……本当にありがとう。君のおかげで、ここの醜悪さに気づくことができた……」
「……よかったです」
「本当に……私たちが君たちにした仕打ちに……」
言いよどむ神官に、ネモは苦笑して言った。
「貴方は何も悪くない……ヤズマ元最高神官」
三級神官――ヤズマは目を見開く。
「知っていたのか……」
「貴方の魔力を見れば、嫌でもわかります……ここで一番強いのは貴方だ。でも教会内の派閥争いで足を引かれて、三級に落とされた……そんなところかな、と」
ネモは続ける。
「ズルや搦め手が苦手な貴方でも……その梟の本に書かれた情報と、貴方自身の魔力があれば、さすがに教会の中でも上手く立ち回れるでしょう。さっきも言った通り、どう使うかは貴方次第ですが」
ヤズマは深くうつむいた。
「かないませんな……白雪姫様には」
「ふふっ……やめてください……」
「死んでも貴方様のことは他言しますまい……受けた恩が多すぎる」
その言葉を受け、ネモはやわらかく、けれどどこか寂しげに微笑む。
「ありがとうございます……でも、ご自身の身の危険を避けるためであれば、遠慮なく他言してくださいね?」
「…………そうさせて頂きます……きっと貴方は……私が痛みを受けることを、自分が痛みを受けることよりも、苦しく感じる方なのでしょうから……」
「ははっ……買いかぶりすぎです……それでは、もう行きますね。連れを待たせておりますので……」
そう言って、ネモは踵を返した。
去っていくその小さな背中を見送りながら、ヤズマはひとり呟く。
「氷雪の女王、魔王の懐刀、白雪姫、魔王軍四大将、裏切り者……異名も悪名も数知れず、か……」
彼は空を仰いだ。
「世の中……いったい何が真実なのか……わからなくなってきたよ」
寺院を離れた街道を、ネモはうつむきがちに歩いていた。
その沈んだ肩を、隣を歩くジェラルドが遠慮なくばんばん叩く。
「元気出せ!」
「…………出すべきなのは、わかってんだけどさ……」
ひどく寂しそうな声だった。
ジェラルドはそんなネモを横目で見て、ふんと鼻を鳴らす。
「ふーん……まあ、そりゃ元気も出ねえよな。だがな、お前が元気なくしてても誰も元気にはならんぞ」
「……うん」
「特に俺がちょっと元気なくなっちまう」
「……」
ジェラルドは獅子の顔に似合わぬ、どこか茶目っ気のある口調で続けた。
「だからマウントアンダーでまた一杯やろうぜ。飲んで振り切っちまおう、そのむしゃくしゃ」
そう言うとジェラルドはネモの肩をバシバシと叩く、揺さぶられながらネモは思わず吹き出す。
あえて明るく振る舞って、自分を気遣ってくれている。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
けれど、素直に礼を言うのは少し悔しい。
だからネモがひねり出した言葉は、結局ひとつだけだった。
「ジェラルドの奢りだからね!」
「おう、任せろ!」
「ほんとに?」
「ほんとだ!」
「じゃあ遠慮しないよ?」
「うーん……やっぱり割り勘でいくか」
「おい」
ようやく、ネモは少しだけいつもの調子で笑った。
そんなネモを見て、ジェラルドも満足げに笑う。
二人はそのまま、マウントアンダーへ向かって歩き出した。




