1-6 罵倒、梟、炭の棺
静まる大聖堂、大聖堂の壁に開いた巨大な穴から月明かりが注ぐ。
その光は砕けたステンドグラスと漂う氷の結晶にキラキラと乱反射する。
気絶し泡を吹くアルバトロスを無視してネモはフェリスに歩み寄り、頭を下げる。
「フェリスさん……ごめんなさい……」
ネモはフェリスに謝罪する。
今まで騙していたこと、救うのを躊躇ったこと、フェリス本人が知りもしないのを承知で、自身の溜飲を下げるために頭を下げる。
しかしそんなネモの気持ちを全て見透し汲むようにフェリスは優しく笑い語りかける。
「ソフィ……きっと……貴方の事情は私には解らない……解らないけど……貴方は……私と一緒にご飯を食べて、私と笑ってくれて、そして私を助けてくれた、私は貴方が今までもこれからも大好きよ……だから……そんな辛そうな顔しないでよ……」
涙腺に溜まる涙を押し止めるネモ。
「…………ありがとう……ございます……大好きだよ……フェリスさん……」
「こちらこそ……ありがとう……楽しかったよ」
二人は涙目で見つめ合う。
「フェリスさん……皆を連れて、宿舎に戻って下さい……そして何も知らないフリをしていて下さい、ここの事は忘れて下さい……ここは私が場を収めます、迷惑も絶対にかけない様に致します…………そして、これから見せる私の振る舞いを……私は貴方に見せたくない…………」
「わかったわ……ありがとう、ソフィ……また……一緒にご飯食べようね……」
走り去るフェリスと八人の女性たち。
その背中を見ながらネモは呟く。
「はい……是非」
「辛い思いをさせちまったようだな……」
ジェラルドはネモの肩をポンポンと叩く。
「ほんとだよ……こういうの、私みたいなのには凄い辛いよ……」
「…………本当に……本当に済まなかった……俺も浅慮だったよ……でも……今はやるべき事を成そう」
「ごめんね……そうだよね……」
ジェラルドの拘束魔法で縛り上げられた二級神官達を尻目にネモはうつ伏せで気絶したアルバトロスに歩み寄る。
「おい、起きろ」
ネモはその側頭部を蹴り上げる。
「ぐふぁ! これは……いったい」
その目に映るは水色と青の少年騎士、一気にその敗北の記憶が蘇る。
「貴様! 私に……この様な狼藉を働いて、どうなるのか解っているのか!」
「煩い」
ネモはしゃがみ込みアルバトロスの頭を鷲掴みにすると顔面を軽く地面に叩きつける。
「自慢の魔法を一発で粉々にされて……いまどんな気持ち?」
「……っ! このクソガキっ!」
(なんだこの握力、それに何だったんだあの強大な魔法……一体何者なんだコイツ……)
メシりミシりとネモはアルバトロスの頭骨を徐々に強く締め上げる。
まるで万力のように静かにゆっくりと力が強まっていく。
「があっ……やめろ……貴様一体何が目的だ、……全ての要求に答えてやる……だから……だからやめろぉ!」
「やめろ? 答えてやる? 言い方をわきまえようよ、出涸らし負け犬卑怯者、それともまたあのご自慢のポンコツ魔法で反撃でもする?」
「……ぐぅ……ぬぅ……このガキがぁ……」
自身の半分程しか生きていなそうな人間に敗北を認め懇願する事は、プライドだけは高いアルバトロスにとって最大の屈辱だ。
「ふーん……猿の子供に大差つけて負けるくらいのカスみたいな判断力だね、今僕は、お前の服従敗北宣言以外の言葉を聞く気はないよ」
一層握力が強まる。
「ぐぁっ! このぉっ! おのれっ、おのれぇっ! クソガキがあぁあ!」
「そっか、じゃあ」
その握力が繊細かつ確実に強まっていく。
「………があぁぁっ……解ったぁっ! 全ての要求に応える! こたえるぅっ!」
「解りました、全ての要求に応えさせて頂きますどうかお慈悲を、だね」
「ぐあぁっっ……ぎぃぃぁあっ!……解りました! 全ての要求に応えさせて頂きます! どうかお慈悲をぉっっ!」
屈辱と屈服を吐き出すようにアルバトロスは叫ぶ。
その言葉を聞いたネモはその万力の様な力を緩める。
「はぁ……はぁ……」
アルバトロスは一旦の平穏に安堵し面を上げる。
そこに凍り果てるほど薄ら寒い声一つ。
「言ったな……屈服の言葉……」
アルバトロスの眼前にはまるで昼間の猫の目の様な鋭い瞳孔をしながら自身を覗き込み睨め付けるネモの顔。
その艶のある唇から吐き出される冷たい吐息がアルバトロスの鼻を擽る。
その様相はネズミを目にした飢えた肉食獣の様な様相だ。
「ひいっ!」
そして永久凍土を想起させるような冷たくつややかな声でネモはアルバトロスの耳元に近づき囁く様に魔導詠唱を始める。
「骨の髄と心の髄、肉欲で練り鍛えしローズマリーの卑しき嘴、虚勢で飾し血糊塗れの頭蓋を剥がせ……我に記せぬ闇は無し…………百識啜り梟」
ネモが詠唱を終えたその瞬間、深々とした闇の中から、てくてくと、どこからともなく可愛らしい梟が現れる。
おどろおどろしい詠唱から現れたその梟、アルバトロスは困惑しながらその梟と見つめあう。
そしてその瞬間、梟は絶叫する。
「キエェエェエエエアァァ!」
「ぎゃあああっ!」
梟の金切り声、アルバトロスの絶叫。
開いた嘴の中には無数の触手がうねり踊る。
梟はその気味の悪い触手と嘴を振りかぶりアルバトロスの額に突き刺した。
「いぎゃああぁひぃっっ!」
梟と揉み合いながらアルバトロスは絶叫する。
もみ合う内に徐々に徐々に、その揉み合いの上に紫色に光るエネルギー体が形を成す。
「ああぁあっっああっあっあっっ!」
悶え苦しみ痙攣するアルバトロス、そのエネルギー体はさらに実体感を増す。
「ほら、ネモ」
ジェラルドはネモに大聖堂にあった聖典を投げ渡す。
「ありがとっ……よっと!」
ネモは、その聖典を開きそのエネルギー体を挟み込むように閉じ込んだ。
その瞬間聖典は形を変え、薄い本となる。
「ホッホー……」
それを見届けた梟は静かに消えゆく。
「ふーっ、いい感じっ! しかしまあ歳の割にうっすい本だ事」
「なんなのだ……いったいなんなのだそれはぁあ!」
額から血を流しながらアルバトロスは質問する。
ネモは教壇に脚を組みながら座り、薄ら笑いを浮かべながら説明を始める。
「この魔法はね……魂から情報を引き出してその情報を本にする魔法なんだよ」
「そんな高度な魔法……一体何物……」
「この魔法なら、多分貴方の目指す天支神官なら軽ーく出来るよ、多分」
「は……あ……」
アルバトロスが項垂れる。
「あと、一つ謝っとくね……この魔法は強烈な屈服感や多幸感を感じてる状態じゃ無いと情報を底まで読み込めないんだ……だから煽り倒して貴方の全霊全力を引き出すことが重要だったんだよ、やたら悪口言ったり大きな魔法使ったのはそのため、ごめんね」
「うぐぅっ……私は……踊らされて……まんまと」
「……啜り梟を使わないのであれば速攻魔法であっさり叩きのめしても良かったんだけど、ちょっとこっちも事情があってね」
「あがぁ……いひぃ……くそおぉっっ!」
床を半狂乱で叩き付けながらアルバトロスは悶絶、
あり得ないほどの力の差を眼前に突きつけられ自我を保てなくなっている。
そんなアルバトロスを尻目にネモはジェラルドとその薄い本を読み耽る。
若干ネモの表情が歪む。
「え……何でちょっとポエム形式なのこれ」
「新しいフォーマットだな……」
「ちょっと読んでみたくなるじゃん」
「ふーむ」
「うわ……」
「いやそれは急すぎるだろう……」
「いやぁぁ……そんなんキモいに決まってるじゃん」
「当然とは言え振られちまったな……可哀想に……」
「…………」
「…………」
「じゃなくて! コイツが棺持ってるか早く見ないと!」
「そ……そうだったな」
ネモは比較的本の最後の部分に目を通す。
「……ジェラルド、やっぱりコイツの錫杖だ……持ち手の宝石の裏側にある」
ジェラルドは錫杖を砕き指示された箇所を探す。
「これだな……」
真っ黒な真珠の様な物体をジェラルドは中指と人差し指で摘んで眺める。
「手に取るとツクモ様の魔力を感じる……間違い無い」
それを見たアルバトロスは血相を変えジェラルドに懇願する。
「やめてくれ! それだけは! それがなければ……私は……」
必死の形相、まるで我が子を奪い去られそうな程の悲壮感だ。
ネモは哀れな者を見る目でアルバトロスに語りかける。
「これは貴方に過ぎる物、一体何なのか解って使っているの?」
「それを拾ったときから! 私の、私の暗い人生は変わったのだ! それだけは渡さん! 返せっ! 返せぇぇ!」
「ジェラルド、眠らせてあげて」
「……」
ネモの指示でジェラルドはアルバトロスを当身で気絶させる。
なんとも言えぬ表情でネモはアルバトロスを見つめながらジェラルドに語りかける。
「……【炭の棺】見せて……私も見たい」
その炭の棺と呼ばれた漆黒の真珠を愛おしそうに、優しく指で転がしながら、ネモはジェラルドに語りかける。
「やっぱ、僕達の最大最後の目的の為にも、この人みたいに力に踊らされる人を出さないためにも、棺は回収しなきゃね……」
「あぁ……そうだな」
ネモは棺を砕けたステンドグラスから覗く満月の中心にかざしながら静かに呟く。
「早く……復活してよね、魔王様」
序章終了、続きは気が向いたら描きます。