第7話 硝子港の決闘⑥
白鴎会の本邸は、港を見下ろす坂の中腹にあった。
白い石造りの館。
門柱には、翼を広げた鴎の紋章。
窓には淡い色硝子が嵌め込まれている。
美しい建物だった。
だが、門を守る男たちの目つきは、街の景色ほど穏やかではない。
アルゴに案内され、ネモたちは館の奥にある応接室へ通された。
厚い絨毯。
壁には帆船の絵と、古びた決闘用の剣。
卓上には茶と菓子が用意されている。
ブラドはシオンの足元へ伏せ、菓子の匂いに鼻をひくつかせていた。
アルゴはネモたちの正面へ座ると、改めて頭を下げた。
「先ほどの狼藉、重ねてお詫びいたします」
「謝罪はもういいよ」
ネモは椅子に腰掛け、足を組んだ。
「それより、血硝試合って?」
アルゴは顔を上げた。
「ベルクリフに古くからある、組織間の決闘制度です」
「決闘制度?」
シオンが首を傾げる。
「はい。組織同士の争いが全面抗争へ発展すれば、港も商館も賭場も商売になりません。そこで双方から一名ずつ代表者を立て、その勝敗によって争いを決着させる」
アルゴは指を一本立てた。
「どちらかが降参するか、戦闘不能になるまで戦う。それが血硝試合です」
「死んでも?」
ジェラルドが尋ねる。
「敗北として扱われます」
アルゴは平然と答えた。
その口ぶりに、シオンの表情がわずかに曇る。
「今回の係争品は、こちらです」
アルゴが卓上へ一枚の紙を置いた。
そこには、黒い宝石のような物体が粗く描かれている。
ネモとジェラルドの目が細くなった。
「現在、この魔導器は血硝試合に用いられる封印櫃へ収められています」
「封印櫃?」
「係争品を閉じ込める為の古い魔法具です。試合前に双方の代表者が血を捧げ、魔力を封印櫃へ預けて契約を結ぶ。勝敗が確定すれば、櫃は勝者の前で開かれます」
「勝った組織が、中身を得る」
ネモが言った。
「その通りです」
「白鴎会も、それが欲しいの?」
シオンが尋ねる。
アルゴは迷わなかった。
「当然です」
穏やかな声だった。
しかし、その目は笑っていない。
「黒錨組も我々も、あれを手に入れるために、既に多くの金と血を使いました。今さら退くつもりはありません」
「なんで、そこまで欲しがるのさ?」
「原理までは分かりません。ただ、使用者の魔法出力を大幅に引き上げる力がある」
アルゴは薄く笑った。
「最初に手にしたのは、黒錨組の魔法使いでした。力に任せて随分と横暴を働き、方々で魔導器を自慢しましてね」
「それで、白鴎会も欲しくなった?」
「ええ」
アルゴは悪びれずに頷いた。
「そこからは暗殺、強奪、何でもありの奪い合いです。さすがに街を巻き込む規模になりかけたため、血硝試合を取り仕切る中立の管理者が、魔導器を封印櫃へ収めました」
ジェラルドが眉をひそめる。
「ろくでもないな」
「否定はいたしません」
アルゴは足元から革箱を持ち上げ、卓上へ置いた。
留め具を外す。
箱の中には、金貨が隙間なく詰め込まれていた。
朝の光を受け、鈍い輝きが室内へ広がる。
シオンが小さく息を呑んだ。
金に詳しくない彼女にも分かる。
一般人なら、一生を変えられるほどの大金だった。
「こちらが前金です」
「これで前金?」
ネモが尋ねる。
「勝利後には、この四倍をお支払いいたします。それに滞在中の宿、食事、何ならその後の観光のガイドまで、全て白鴎会が負担させていただきます」
「目が眩みそうな待遇だね」
「眩ませるための待遇です」
「なるほどね」
アルゴは箱の蓋を閉じた。
「ただし、封印櫃の中身は白鴎会のものとなる。あなたがたへ支払うのは、あくまで代表を務める報酬です」
「まあ、そりゃそうだね」
ネモは笑った。
アルゴも薄く笑みを返す。
ジェラルドは金貨へ目も向けず、腕を組んでいた。
「一つ聞きたい」
「何でしょう」
「この街には、他にも腕利きがいるはずだ。なぜ、着いたばかりの俺たちへ頼む?」
アルゴの笑みが消えた。
短い沈黙の後、口を開く。
「本来、代表者は決まっていました」
「なら、なぜ俺たちに?」
「一昨日、殺されました」
シオンが目を見開く。
「本邸へ向かう馬車の中で、額を撃ち抜かれていました。護衛は四人。馬車は走り続けていたにもかかわらず、誰一人として射手を見ていません」
ネモの表情から、軽薄な色が消えた。
「銃声は?」
「聞いていないそうです」
「弾は?」
「見つかっていません。額に、小さな穴が一つ残っていただけです」
ネモとジェラルドが、わずかに視線を交わした。
だが、アルゴの前では何も言わない。
「黒錨組の仕業?」
ネモが尋ねる。
「そう考えています。しかし、証拠はありません」
ジェラルドが目を細める。
「代わりの候補は、他にいなかったのか?」
「黒錨組の武闘派を相手に勝ち目のある者は、白鴎会にも片手で数えるほどしかおりません」
アルゴは苦々しく答えた。
「ところが、その者たちもここ数日で事故や失踪が相次ぎました。残った者も、どれだけ金を積んでも首を縦に振りません」
「それで、港中から代役を探していた」
「はい。試合の延期には限度があります。代表を出せなければ、白鴎会は係争品だけでなく、縄張りと面子まで失う」
アルゴはジェラルドを見る。
「その矢先、部下四人を傷一つ負わせず制圧する方が現れた。声をかけない理由がありません」
「なるほど。では、黒錨組の代表は?」
「実は、そちらも変更されていまして」
アルゴの顔に、わずかな苛立ちが浮かぶ。
「当初の代表は、バロッサという用心棒でした。黒錨組では三年無敗と呼ばれていた男です」
「なぜ交代した?」
「数日前、黒錨組と縁のある男が大男を連れてきたそうです。その男が、バロッサを一撃で倒した」
ジェラルドの耳が、ぴくりと動いた。
「名前は?」
「ザイード・シン。現在は、彼が黒錨組の代表です」
一瞬。
ネモとジェラルドの動きが止まった。
シオンは、二人の空気が変わったことに気づく。
「港では聞かない名前です。どこの出身か、何者なのかも分からない。ただ、バロッサを一撃で倒した。それだけは確かです」
「なるほどな」
ジェラルドは低く答えた。
「ルールを詳しく聞かせてくれ」
アルゴは頷く。
「開始の銅鑼が鳴った後は、降参か戦闘不能まで禁じ手なし。ただし、武器の持ち込みは禁止。魔力は試合前に没収されます」
「魔力を没収?」
シオンが聞き返す。
「試合前、代表者は自身の血を捧げ、魔力を封印櫃へ預けます。それが契約の一部です」
アルゴは卓上の図を指した。
「契約が成立すると、封印櫃が契約者本人の魔力回路を拘束します。試合が終わるまで、契約者は魔法を使えず、魔力による肉体強化も強制的に解除される」
ジェラルドが自分の拳を見る。
生来の肉体は残る。
だが、理魔法による補強は使えない。
神域纏装も呼び出せない。
「己の肉体と技術だけで戦う。そのための決闘です」
「相手も同じ条件?」
「当然です」
ネモが卓を指先で軽く叩く。
「外からの妨害は?」
「禁止されています。発覚した時点で、妨害した側の敗北です」
「防ぐ仕組みは?」
アルゴは一瞬だけ黙った。
「試合場の周囲には、双方の見張りを配置します」
「つまり、規則で禁止しているだけ」
「……そうなります」
ネモは薄く笑った。
「規則を守る連中なら、君たちの代表は殺されてないよね」
アルゴは答えなかった。
しばらくして、ジェラルドが口を開く。
「三人で相談させてほしい」
「承知しました」
アルゴは立ち上がった。
「隣室でお待ちしております。返答は本日中にお願いいたします」
金貨の入った革箱を残し、部屋を出ていく。
扉が閉まった。
足音が遠ざかる。
ネモはしばらく黙っていたが、やがて息を吐いた。
「代表を撃ったのは、バンキッシュだろうね」
「俺もそう思う」
ジェラルドが即答する。
「走る馬車の中。額に穴が一つ。銃声も弾もなし。しかも、ここは奴の故郷だ」
「……街一つ飛び越えて撃てる人」
シオンが呟く。
ネモは頷いた。
「第九席、バンキッシュ・ガンデスペラード。ほぼ間違いない」
ジェラルドは眉間に皺を寄せる。
「それに、黒錨組の代表がザイード・シン」
ネモが乾いた笑いを漏らした。
「現・天支神官第十席も――」
「ザイード・シンだな」
「三年無敗を一撃で倒した大男。同姓同名の別人とは思えない」
シオンの顔が強張る。
「……天支神官が、二人?」
「そういうことになるな」
ジェラルドが低く答えた。
「おそらく、バンキッシュがザイードを連れてきた。白鴎会の代表を殺し、代役を探させた」
「そこへ、僕たちが来た」
ネモは椅子の背へ身体を預ける。
「随分と情熱的な歓迎だね」
「偶然じゃねえ」
ジェラルドが低く言った。
「魔導器の噂と、カイガ島からの距離。俺たちがここへ来る可能性ごと利用された」
ネモの視線が、卓上の魔導器の図へ向かう。
「僕たちを血硝試合へ引きずり出すための罠だろうね」
「断る?」
シオンが尋ねた。
ジェラルドは黒い魔導器の図を見下ろす。
「本当なら、一度引くべきだ」
「同意見」
ネモも頷いた。
「でも、ここで引けば、炭の棺はまず間違いなく黒錨組へ渡る。その先にいるのは、ザイードとバンキッシュだ」
「放ってはおけねえな」
ジェラルドが言った。
「うん。罠だと分かっていても、回収する必要がある」
「でも……試合場では魔法が使えない」
シオンはジェラルドを見る。
「ジェラルドも、いつもより……」
「脆くなる」
ジェラルドは認めた。
「素の肉体まで失うわけじゃねえ。だが、魔法の補強は使えん」
「正面にはザイード」
ネモが言う。
「それだけでも厄介なのに、試合中にバンキッシュから撃たれたら、かなりまずい」
「外から手を出したら……反則なんじゃ……」
「反則だね」
ネモは即答した。
「でも、血硝試合に勝つことより、獅子軍神を殺すことを優先するなら?」
シオンは息を呑む。
「試合の勝敗なんて、彼らにはどうでもいい可能性もある」
部屋の空気が重くなる。
ジェラルドが窓の外へ目を向けた。
高台。
崖。
鐘楼。
街を見渡せる場所はいくらでもある。
「試合まで、どれくらいだろうな」
「延期されているらしいし、長くても数日だろうね」
ネモは椅子から立ち上がった。
「僕がバンキッシュを探す」
「行けるか?」
「分からない。バンキッシュについては、ほとんど何も知らないからね。でも大人数で動けば感づかれる。僕は街を回ってバンキッシュを探す。ついでに、狙撃に使えそうな高所も片っ端から調べる」
「俺は引っ込んでいた方がよさそうだな」
「そうだね。白鴎会の代表になったと知られた瞬間、試合前に撃たれる可能性がある。地下にでも隠れていて」
「分かった。任せたぜ」
ジェラルドは短く笑った。
シオンが二人を見る。
「私は……どうすればいい?」
ネモとジェラルドの視線が、シオンと、その足元に伏せるブラドへ向かう。
ブラドが、何事かと身を起こした。
ジェラルドが指をクイクイと動かす。
三人と一匹は頭を寄せ合い、声を落とす。
密談。
シオンが静かに頷く。
やがてシオンは、ブラドの頭へ手を置いた。
「……分かった。任せて……」
扉の外へ、話の内容は一つも漏れなかった。
しばらくして、ネモが呼び鈴を鳴らす。
アルゴが応接室へ戻ってきた。
「お話はまとまりましたか」
ジェラルドが立ち上がる。
「血硝試合の代表、引き受けよう」
アルゴの表情に、わずかな安堵が浮かんだ。
「感謝いたします」
「ただし、条件がある」
ネモが続けた。
「ジェラルドが代表になったことは、試合当日まで伏せて。窓がなく、外から狙えない場所を用意して」
「地下賭場に、上客用の宿泊室がございます。窓も、外へ直接通じる出入口もありません」
「そこを使わせて」
「承知しました」
「それから、試合場を見せてほしい」
「試合場を?」
「封印櫃の仕組みと、会場の構造を確認したい。代表を預ける以上、当然でしょ?」
アルゴは少し考え、頷いた。
「手配いたします」
「シオンとブラドを案内して」
アルゴの視線が、少女と黒犬へ向かう。
「そのお嬢さんと、犬を?」
「僕は別に調べたいことがある。ジェラルドは外へ出せない」
ネモは笑った。
「問題ある?」
「いえ。ですが案内役を一人付けさせてください」
「それでいいよ」
シオンは静かに頷いた。
「……お願いします」
アルゴはそれ以上追及しなかった。
「では、そのように」
ネモは卓上の街の地図を手に取る。
ジェラルドは地下へ。
ネモは街へ。
シオンとブラドは、血硝試合の会場へ。
硝子の街を出し抜くため、三人と一匹はそれぞれの持ち場へ散った。




