第6話 硝子港の決闘⑤
硝子港ベルクリフ
白い岸壁。
色硝子の屋根。
赤、青、緑の硝子窓を持つ商館。
高台には、巨大な鏡塔がそびえている。
朝の陽光は街中の硝子に反射し、幾筋もの光となって石畳へ降り注いでいた。
白く、青く、時には虹色に割れながら揺れる光が、街全体を宝石箱の底へ沈めている。
潮風には焼いた魚の匂いが混じり、酒場からは笑い声が聞こえる。
劇場の前では派手な衣装の呼び込みが客を誘い、賭場の看板には硝子細工の鳥が吊られていた。
美しく、賑やかな街だった。
「……凄い。綺麗」
「ああ。かなり栄えているな」
「うわ、眩しっ!」
「ワフォーーーッ!」
「……ブラド、落ち着いて……」
船が桟橋へ着く。
三人と一匹は港へ降りた。
ジェラルドは桟橋の端で学院の船員と話し込んでいる。預け荷の受け取りと、ブラドを連れて泊まれる宿を確認しているらしい。
当のブラドも、自分の寝床の話だと分かっているかのように、その横で尻尾を振っていた。
ネモは肩をすくめる。
「少し時間がかかりそうだね」
「……どうするの?」
「先に、軽く食べられる場所でも探そうか。お腹減ったし」
ネモはジェラルドへ片手を上げ、先に行く、と目で伝えた。
ジェラルドも短く頷く。
「……うん」
ネモとシオンは、港の大通りへ向かって歩き出した。
シオンは、ラーミアから贈られた銀の刺繍が入った黒い防護衣を身につけている。
身体に沿った作りだが露出はなく、普段使いもできそうな落ち着いたデザインだった。しかし生地と仕立てが上等なため、港町では少々目立つ。
ネモも、いつもの鎧ではなく学院で調達した旅装姿だった。
小柄な体格。
淡い水色の髪。
整った顔立ち。
耳元では、大ぶりなサファイアのイヤリングが揺れている。
遠目には、育ちのよさそうな優男と、黒衣の美しい少女。
港町の荒くれ者が見れば、金も色気もありそうな、世間知らずの若い恋人同士にしか見えなかった。
「おい」
大通りへ出る手前の路地で、声が掛かった。
四人の男が立っている。
船乗りでも旅人でもない。
胸元には揃いの白い羽根飾り。腰には短剣と鉄棍。
一人はネモたちの服装を眺め、もう一人は腰や手元へ視線を走らせている。
単なる物取りにしては、妙に人の力量を測るような目だった。
ラーミアが名前を挙げていた、二つの組織の片方かもしれない。
先頭の男が、にやつきながら近づいてくる。
「旅人か。ベルクリフは初めてだろ?」
「まあね。で?」
「案内してやるよ。港は物騒だからな。特に、いい身なりの坊ちゃんと嬢ちゃんは狙われやすい」
「へえ。親切だね」
「だろ?」
「でも、君たちが一番物騒そうだけど」
男の笑みが止まった。
「あ?」
別の男が、シオンへ視線を向ける。
「嬢ちゃん、そんな怖い顔しなくていいぜ。そっちの坊ちゃんより、俺らといた方が退屈しねえぞ」
「……別に、怖い顔はしてない」
シオンは首を傾げた。
「そうかい。なら少しくらい笑ってみろよ。可愛い顔してんだから」
男がシオンの肩へ手を伸ばす。
その手を、シオンは反射的に叩き落とした。
「痛ッ!」
「服、汚さないで……」
「この……!」
「あーあ。こりゃ、少し分からせてやらねえとな」
「最初からそのつもりだったんでしょ?」
ネモが呆れたように言う。
男たちの顔色が変わった。
「はっ! その軽口に見合う腕があるか、試してやるよ!」
ネモは構えもせず、ひと言だけ告げる。
「やめた方がいいよ」
「あ?」
「もう遅いかもしれないけど」
男たちの背後に、巨大な影が落ちた。
「おい」
低い声が路地に響く。
四人が振り返った。
そこにジェラルドが立っていた。
灰色の外套を羽織っていても隠しきれない巨体。
片手には、港の屋台で買ったらしい紙包みが二つ。
もう片方の手では、興奮して牙を剥くブラドの首根っこを軽く掴んでいる。
男がシオンに触れようとした瞬間、ブラドが飛び出そうとしたのを止めたらしい。
男たちが一歩後ずさる。
「な、なんだ、てめえ……」
「連れだ」
ジェラルドは紙包みをネモとシオンへ差し出した。
「名物らしい。まんじゅうだ」
「……ありがとう、ジェラルド」
シオンが小さく頭を下げる。
ネモは紙包みを受け取りながら、男たちを見た。
「可哀想にねえ」
「まだ何もしてねえ」
静かに言い返すジェラルド。
「これからするつもりではあるでしょ?」
「まあな」
ジェラルドはブラドを宥めて足元へ下ろした。
「ちょうどいい。少し話を聞きたかったところだ」
「舐めやがって……!」
男たちが一斉に動いた。
短剣が抜かれ、鉄棍が振り上げられる。
ジェラルドは一歩だけ前へ出た。
短剣を持つ手首を取り、関節の逃げ道を塞ぐ。
鉄棍を振り上げた男の襟を引き、足を払う。
背後へ回ろうとした男の肩を押し、進行方向を変える。
最後の一人がネモたちへ手を伸ばした時には、その腕も肘から外側へ逸らされていた。
殴らない。
蹴り飛ばさない。
骨も折らない。
ただ重心を崩し、四人を一つの塊にして石畳へ置く。
次の瞬間、男たちは折り重なるように倒れていた。
ジェラルドは、その上へ片手を置く。
それだけで、誰も動けない。
「ぐっ……!」
「お、重い……!」
「どけ! どけよ!」
ジェラルドは眉をひそめた。
「暴れるな。怪我をするぞ」
「くそっ! 俺たちは白鴎会だぞ!」
ジェラルドの耳が、ぴんと動く。
「やはりマフィアらしいな」
「俺たちの兄貴が黙ってねえぞ!」
ジェラルドの手が、わずかに沈んだ。
「ぐえっ」
「話を聞け」
ネモがまんじゅうを咥えながら、ぱちぱちと拍手する。
シオンは積み重なった男たちを見下ろし、感心したように呟いた。
「……凄い。怪我……させてない」
「平和主義者なんでな」
ネモは男たちの前へしゃがみ込んだ。
「さて。白鴎会って言ってたよね?」
男は答えない。
ジェラルドの手が、ほんの少し沈む。
「白鴎会です! 白鴎会です!」
「素直でよろしい」
ネモは笑った。
「黒い宝石みたいな魔導器について、知っていることを話して」
男たちの表情が、わずかに強張る。
ネモはそれを見逃さなかった。
「へえ。知ってるんだ」
「く、詳しくは知らねえ!」
一番上の男が、苦しそうに声を絞り出す。
「兄貴から、港を見回って、腕っ節の強そうな旅人がいたら報告しろって言われてただけだ!」
「腕っ節の強そうな旅人?」
ネモの目が細くなる。
旅人を無差別に狙っているわけではない。
探している。
「じゃあ、その兄貴を紹介してよ」
ネモはジェラルドを指さした。
「君たちが探していた条件に、この獅子面はぴったりだと思うけど?」
男は口をつぐんだ。
旅行客に狼藉を働き、返り討ちに遭い、組織の事情まで話した。
そんなことが知られれば、ただでは済まないのだろう。
「ジェラルド」
「おう」
ジェラルドの手へ、わずかに力が加わる。
「おげっ!」
男たちの肺から空気が押し出されかけた、その時。
「申し訳ない」
路地の入口から、落ち着いた声がした。
「そこの愚図どもを、許してやってはいただけないでしょうか」
白いスーツを着こなした灰髪の男が立っている。
いつから見ていたのか、分からない。
その鋭い視線はジェラルドの手元へ向けられていた。
「誰?」
ネモが眉をひそめる。
「そいつらが兄貴と呼んでいる者です」
灰髪の男は静かに頭を下げた。
「腕の立つ者を探せとは命じましたが、狼藉を働けとは命じておりません。部下の不始末は、私の責任です」
ジェラルドの手から力が抜ける。
「あ、兄貴……」
「消えろ」
「で、でも……」
「ケジメで落とす指の数を増やされてえか?」
「ヒィッ!」
男たちは互いにぶつかりながら、路地の外へ逃げていった。
灰髪の男は改めて、ネモたちへ頭を下げる。
「失礼いたしました。白鴎会のアルゴと申します。先ほどの狼藉、深くお詫びいたします」
「躾がなってないね」
「返す言葉もございません」
ジェラルドが腕を組む。
「それで、何の用ですかな。我々も先を急ぎたいのだが」
アルゴは顔を上げ、ジェラルドを見た。
「先ほどの手並み。余程の使い手とお見受けしました」
「どうも」
「それを踏まえ、お願いがございます」
アルゴは一瞬、言葉を選ぶように口を閉じた。
その表情には、わずかな屈辱と焦りが滲んでいる。
「私たちに、雇われてはいただけないでしょうか」
「雇われる?」
「白鴎会では現在、腕の立つ者を探しております。先ほどの者たちは、その候補を見つけるため港へ出していた部下です」
アルゴは路地の外へ視線を向けた。
「まさか、指示を無視して旅行客をカツアゲしているとは思いませんでしたが」
「で、僕たちに何をさせたいの?」
ネモが尋ねる。
アルゴは少しだけ声を落とした。
「白鴎会の代表として――」
短い間を置く。
「血硝試合……というものに参加していただきたいのです」




