第4話 硝子港の決闘③
カイガ島。
ラーミア魔導学院の魔導整備室には、朝から重い沈黙が落ちていた。
窓の外では、海が白く光っている。
穏やかな波音が聞こえる。
だが、室内にいる誰も、その音を聞いてはいなかった。
中央の作業台には、幾枚もの魔法陣図が広げられていた。
神域との接続痕を写し取った透写紙。
魂魄の傷を示す赤い線。
魔力流の歪みを示す青い線。
そのどれもが、見る者に嫌な予感を抱かせる形で乱れていた。
ラーミアは眼鏡の奥の目を細め、まずジェラルドを見た。
「ジェラルド君」
「はい」
「ジャガーノート戦で、貴方が神域纏装を使わなかったのは正解でした」
ジェラルドは静かに息を呑んだ。
隣で、ネモの表情もわずかに強張る。
ラーミアは作業台の上に置かれた透写紙を一枚、指先で押さえた。
そこには、獅子の胴体に、獅子面を持つ人型の上体を備えた異形の纏装が描かれていた。
その横には、エラーや異常値を示す数字とグラフが、ずらりと並んでいる。
「大ダメージを受けたまま長年放置していたせいで、有機部位は劣化。神気導線はほとんど焼けています。外殻も歪みがひどい。あの状態で使っていたら、自爆に近い形になっていたかもしれません」
「やはりそうでしたか」
ジェラルドは静かに息を吐いた。
「まあ、しこたまやられましたからね。戦争で」
ジェラルドは苦笑した。
シオンは首をひねった。
神気導線。
有機部位。
言葉の意味は断片的に分かる。
けれど、何の話をしているのかまでは分からない。
その様子を見て、ラーミアがわずかに表情を緩めた。
「シオンさんにも分かるように説明しましょう」
「……うん」
「神域纏装は、鎧をその場で作る生成魔法ではありません。契約した言神の神域に置かれた実体装備を、この身へ呼び寄せて纏う魔法です」
「……神域に、鎧があるの?」
「そうです。本人が神域に入り、そこで組み上げた装備です。ただし、特定の言神の神域に入れる者は限られますし、装備を作るには特殊な技術と適性が必要です」
ブラドは退屈そうに床で丸まっていた。
だが、三人が真剣に聞いているのに気づいたのか、のそりと身体を起こし、お座りするように姿勢を正した。
ラーミアは透写紙に描かれた獅子の纏装を指で叩く。
「そして、ジェラルド君とネモ君の神域纏装は、二人が神域で組み上げたものに、我らが王――魔法使いの頂点、ツクモアヤセが特別な調律を施しています」
シオンはジェラルドとネモを見た。
「……特別な調律?」
「はい。通常の神域纏装よりも遥かに強力です。その代わり、構造が極端に繊細で、扱いも難しい。乗り手に合わせすぎた特注品、と言えば分かりやすいでしょうか」
「……強いけど……壊れたら直しにくい……?」
「その通りです」
ラーミアは頷く。
そしてジェラルドに言う。
「貴方の纏装は、本来なら出撃不能です」
ラーミアははっきりと言った。
「自力で戦うしかありませんね」
ジェラルドが低く呟く。
「いいえ」
ラーミアが遮った。
「私の神域纏装に使っている希少な魔法金属の一部を、外付け霊脈として噛ませました。そこから無理矢理自律回復を走らせ、再調整しています。」
シオンには、それがどれほど異常な処置なのか分からなかった。
だが、ジェラルドとネモの表情を見れば、それが普通ではないことは分かった。
「……ラーミアさん、それは」
ネモが小さく言う。
「本来なら絶対にやりません。ですが、今回はそれしか方法がありませんでした」
ラーミアはジェラルドを見る。
「まともに使えるのは一度。無理をすれば二度。ただし二度目は、貴方の無事を保証できません。貴方が纏装の負荷に耐えきれるかどうかは分かりません」
ジェラルドは静かに頷いた。
「ありがたい。心に留めておきます」
頭を下げ、素直に返事をするジェラルド。
ラーミアは次に、ネモを見た。
「ネモ君」
「……はい」
ネモは、ほんの少しだけ姿勢を正した。
ラーミアは別の透写紙を示す。
そこには、氷のドレスを思わせる白い纏装が描かれていた。
翼。
剣。
薄く広がる氷の外殻。
一見すると、美しい。
しかしジェラルドの神域纏装同様、いやそれ以上にグラフにはエラーを示す赤いマークが大量に刻まれている。
「貴方の神域纏装は、ジェラルド君の理魔法と違って業魔法を中心に構成されています。そのため、見た目だけなら何とか戻せました」
ネモは黙って耳を傾ける。
「呼び出せば、以前と同じように見えるでしょう。氷の鎧も、翼も、剣も、形だけなら整います」
「……中身は」
「ガタガタです」
ラーミアは誤魔化さずに言う。
「ジャガーノートとの戦いで、魔力制御核を魔力に変えて使い潰したでしょう。あれで一番調整の難しい魔力循環の中枢が壊れています。使用すれば、最初は動ける。けれど、動けば動くほど、神域の力が貴方自身を削ります」
ネモはゆっくりと目を伏せた。
「使えるのは?」
「一度。それも短時間だけ」
ラーミアは言葉を切った。
「約束です。可能な限り使わないでください」
ネモはしばらく黙っていた。
それから、小さく頷く。
「……わかりました。使わずに済むよう、考えます」
その返事は穏やかだった。
だが、ラーミアは溜息をついた。
その顔を見て、理解したからだ。
この子は、皆のために必要だと思えば、自分の身など顧みずにこれを使うだろう。
でも、止めたうえで、願うしかない。
ラーミアはそれ以上言わなかった。
そして最後に、シオンを見る。
「シオンさん」
「……はい」
シオンは肩を小さく跳ねさせた。
ラーミアの目は、先ほどまでとは違っていた。
優しい目だった。
「貴女には、改めて聞きます」
「……うん」
「貴女は本来、この件に関わる必要のない人です」
静かな声だった。
「魔王復活。炭の棺。天支神官との闘い。どれも、貴女が背負わなければならないものではありません」
シオンは何も言わなかった。
ラーミアは続ける。
「ここで彼らと共に行くのをやめても、誰も責めません。少なくとも私は責めない。貴女の身柄も、生活も、学ぶ場所も、私が責任を持って用意します」
「……」
「怖いなら、怖いと言っていいんです。嫌なら、嫌と言っていいんです。むしろ、怖くも嫌でもない方がおかしい。それが普通です。ネモ君とジェラルド君の為に死地に向かう筋合いは無い」
ジェラルドも、ネモも、反論しなかった。
シオンは二人を見た。
ジェラルド。
ネモ。
自身を悪夢から覚ましてくれた二人。
自分とは違う。
ずっと遠くにいる人たち。
けれど。
シオンは足元のブラドを見下ろした。
ブラドは静かに彼女を見上げている。
「……私は」
声が小さくなる。
それでも、シオンは言った。
「まだ、あんまり……役に立てないと思う。戦いも、二人みたいにはできない」
ネモは黙って聞いていた。
ジェラルドも、何も言わなかった。
「でも……助けてもらったから」
シオンは指を強く握る。
「地獄から……連れ出してくれた二人に……」
その声は震えていた。
「私……恩返し、したい」
ラーミアは目を細めた。
「恩返しのために、命を懸けるんですか?」
「……うん」
シオンは頷いた。
「ついていきたい。ネモとジェラルドが、いいなら」
ジェラルドは少しだけ目を見開いた。
それから、静かに笑った。
「来てくれ」
シオンは顔を上げる。
「……いいの?」
「ああ。むしろ助かる」
ジェラルドは穏やかに言った。
「つーか、もうサクマ村でも、ジャガーノートの時も、お前は俺らを助けてる。今さら役に立てないなんて言うな」
シオンは言葉に詰まった。
ネモも頷く。
「僕も同じ意見。君が一緒に来てくれるなら、ありがたい」
シオンは二人を見た。
そして、ほんの少しだけ目元を緩める。
「……じゃあ、行く」
ブラドが短く尻尾を振った。
ラーミアはその様子を見て、微かに息を吐く。
安堵ではなかった。
諦めでもなかった。
ただ、送り出したいと思う気持ちがあった。
「わかりました」
そう言うと、ラーミアは椅子の横に置いていた袋を一つ取り上げ、シオンへ投げた。
シオンは慌てて受け止める。
「……なに、これ」
「魔法防御や様々な機能を編み込んだ防護衣です。本格的に戦うなら、そのひらひらしたドレスでは不便でしょう?」
シオンは袋の中を覗いた。
中には、黒革を基調とした、身体に沿う防護衣が入っていた。
薄く、軽く、それでいて指先で触れただけで、ただの革ではないことが分かる。
表面には、細い銀糸のようなものが幾重にも編み込まれていた。
「ありがとうございます……!」
「勇敢な戦士への餞別です」
シオンは顔を上げた。
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
戦士。
自分に向けられるとは思っていなかった言葉だった。
ラーミアはそれは何も言わず、作業台に地図を広げた。
「次の目的地は、硝子港ベルクリフ。カイガ島から船で二日。港湾都市としては大きく、商人、船乗り、賭博場、娼館、劇場、そして裏社会が入り混じる街です」
白い指先が、海沿いの一点を叩く。
「黒い宝石のような魔導器を巡って、現地の二つの勢力が揉めているという報告があります。組織名は、黒錨組と白鴎会。ただし、詳しい内情までは掴めていません。どちらがどういう勢力なのか、誰が実権を握っているのか、それは現地で探る必要があります」
「つまり、着いてみないと詳細は分からない」
ネモが言う。
「はい」
ラーミアは頷いた。
「そして、もう一つ。ベルクリフは、天支神官第九席バンキッシュ・ガンデスペラードの故郷です」
ジェラルドとネモの表情が、わずかに変わった。
「第九席……」
「戦後組ですね」
ネモが呟く。
ラーミアは頷いた。
「貴方たちも、名前くらいは知っているでしょう。ですが、戦後組の天支神官については、戦前組ほど情報がありません。彼らは魔王大戦の中核にいた者たちではない。だから、過去の戦場記録も少ない」
「……わかってる範囲ではどんな奴なんです?」
ジェラルドが聞いた。
「表向きは、射撃の魔法を使う神官。遠距離戦を得意とする、という程度です」
「狙撃手か」
ネモの声が低くなる。
「ええ。しかも、街一つ飛び越えた敵を撃ち抜いた、という噂もあります」
ラーミアは三人を見た。
「噂の真偽は不明です。ですが、バンキッシュが騒ぎを聞きつけてベルクリフにいるなら、街そのものが彼の射程に入ると考えてください。彼がどこから狙ってくるか分かりません、特にベルクリフは周りに崖も山もある、そこに陣取られたら危険です」
ネモは静かに頷いた。
ジェラルドも頷く。
シオンは、少し遅れて頷いた。
「故郷だからって彼がいるとは限りません。しかし故郷の噂にピンと来てベルクリフを訪れる事も勿論あるでしょう、警戒は怠らないでください」
ラーミアは一拍置いた。
「炭の棺の回収を最優先。戦闘は目的ではありません。神域纏装の使用は、最後の最後まで避けてください」
そして、声を落とす。
「誰も欠けずに、帰ってきて」
三人は、それぞれ頷いた。
そして、身支度を済ませて、三人と一匹は、学院の船でカイガ島を発った。
硝子の港で待つ出来事が、チャンスか、危機かも知らないまま。
それを見送りながらラーミアは呟いた
「本当に、無茶しないでよ……。自分を蘇らせるためにあなたたちが死ぬなんて、アヤちゃんは絶対に望まないんだから……」




