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第1話 動き出す強者たち

きらびやかな大理石の柱に支えられた講堂。


幾重にも並ぶ座席のただ中に、シオンが一人、ぽつんと座っていた。


教壇に立つのは、緑の髪をいくつもの三つ編みに束ね、眼鏡を掛けた女性である。


「では、ここまでの話を踏まえて、昨日の復習です。シオンさん」


「……はい、ラーミア先生」


シオンは素直に頷いた。


「業魔法と理魔法について、説明してください」


「業魔法は、言霊と意志によってアカシックレコードから力を引き出す魔法です……。理魔法は、業魔法を種にして、理を用いて事象を起こす魔法です」


「はい、よろしい。ジェラルド君が主に使っているのが理魔法、ネモ君が使っているのが業魔法。そこは覚えていますね?」


「……はい」


ラーミアと呼ばれた女性は、満足そうに手を叩いた。


「では、教科書の最初にある折り込みを開いてください」


「はい……」


シオンは言われるまま、ページをめくる。


「……なにこれ」


そこには、大量の文字と記号が、隙間なく詰め込まれた表が載っていた。


「元素周期表といいます。理魔法の基礎の基礎です、取り敢えず、今日中に覚えてください♪」


「……体調悪いので、休んでもいいですか先生」


「あら、どうしたのです? 透視魔法で見ても、悪いところは見当たりませんよ?」


「うっ…………頭、頭が悪いです」


「大丈夫ですよ? そんなことありません♪」


「……」


シオンがなんとか別の屁理屈をひねり出そうとした、その時だった。


講堂の扉が開く。


ジェラルドが、筋骨隆々で、痣だらけで、汗まみれの男たち三人を引き連れて入ってきた。


「いやー、傷一つ付けられなかったのはショックですわー」


「そもそも俺は当てられなかったのがショックです……」


「はははっ。まあ、こちらも訓練を重ねていますからね。皆さんも筋は良かったですよ」


「慰めになってねーっすよ。獅子軍神に一撃、痛い目見せたかったっすねー」


ひとしきり笑ってから、ジェラルドは教壇の方へ声を張った。


「シオン、ラーミアさん! 飯にしませんか!」


ラーミアは微笑みながら頷く。


「あら……もうそんな時間。そうですね。お話もいくらかありますし、そうしましょうか」


「……ありがとうジェラルド……時間稼ぎできた……」


「は? どういうことだ?」



海を望む食堂で、むさ苦しい男四人とラーミア、そしてシオンは食事を取っていた。


窓の外では陽光を受けた海面がきらめいている。

卓上では、米の上に海鮮を山のように盛った丼が、次々と空になっていった。


「先輩……元素周期表を半日は無理ですって」


「ホントですよ、校長」


「ダメっすよ。そんなひどいことしちゃ」


男たちは丼をかき込みながら、口々にラーミアを責め立てる。


とどめに、ジェラルドが低く唸った。


「ラーミアさん……全部自分基準で考えるのは、貴方の悪い癖です」


ラーミアは肩を縮こまらせる。


「そ……その、ごめんなさい……。こんな才能、久しぶりで舞い上がっちゃって。ごめんね、シオンさん」


心底申し訳なさそうに謝るラーミア。


若干怯えた様子でジェラルドに寄り添っていたシオンは、ぼそりと呟いた。


「せめて二日ください……」


「お前も大概すごいな……」


そんなやり取りの最中、白衣を着た男が食堂へ駆け込んできた。


「ダメですよ! 構内で走るのは!」


ラーミアが即座に叱責する。


「すみません! しかし、緊急でお伝えします!」


男は肩で息をしながら、それでも声を張った。


「ネモ様の意識が戻りました!」


ジェラルドとシオンの息が、同時に詰まった。


「……行こう?」


「ああ」


次の瞬間、二人はもう駆け出していた。





広く清潔な病室。


その中央に置かれたベッドの上で、ネモは微笑みながら二人を迎えた。


血相を変えて飛び込んできたジェラルドとシオンを見て、安堵したように目を細める。


「二人とも……無事でよかったよ……」


その言葉を聞くや否や、ジェラルドはネモに飛びついた。


力いっぱい、抱きしめる。


「悪かった。俺のせいで……」


「ジェラルドのせいじゃないよ……」


「オレのせいだよ……。せっかくレモナに生かしてもらったのに……」


「ずっと……バカ真面目だな……。相変わらず、そんなの気にしなくていいのに」


ネモは、ジェラルドの鬣をそっと撫でた。


抱き合い、互いの無事を確かめ合う二人。


その姿を少し離れた場所から見つめながら、シオンはラーミアに問いかけた。


「二人って……」


ラーミアは柔らかく微笑む。


「まあ、色々あるのよ。あの二人」


「……いいな。あんな友達……私も欲しい」


「ふふっ。貴方ならできると思うよ? 近いうちにね」


「…………そうかな」


シオンは小さく呟き、また二人を見た。


その目には、羨望と、少しの希望が宿っていた。



「さて。では、今後の方針を決めます」


ラーミアは手を叩き、皆の注目を集めた。


部下たちが手際よく黒板を運び込んでくる。


「まず! 今はかなり危機迫る状況です。ネモ君が天支神官第一席を倒したからです」


「うう……」


ネモが露骨に落ち込む。


「はいっ、そこ落ち込まない! 不可抗力です! 倒さなかったらもっとヤバかったんです! 反省しないで! 誇りに思って! じゃないと引っ叩きますよっ!」


「あ、はい」


ラーミアは再び手を叩いた。


「寝ていたネモ君にも分かるように話します。炭の棺は足りませんでした。カイガ島地下の復活の棺に、皆の集めた炭の棺を入れましたが、反応率は魔力係数で五十五パーセント。つまり、あと十個必要です」


「……でも、半分は集められてたんだ……」


シオンが呟く。


「大したものです。しかし今後は、イベルダルクの神官たちによる妨害も視野に入れなければなりません」


「……でも……炭の棺を集めてることは、バレてないから……それそのものは、妨害されないんじゃないの?」


「いや……」


ジェラルドが低い声で口を挟んだ。


「ジャガーノートは、俺たちが【何か】を集めていることには見当をつけていた。そして、あいつは……」


ネモが言葉を継ぐ。


「大切な情報を、自分だけ持って死ぬなんてヘマは絶対にしない」


ラーミアも頷いた。


「おそらく彼女は十中八九、自身の推測や懸念を、他の九人の天支神官、あるいは中央教皇庁に伝えているでしょう。今後は第二席ドラギアス・ゴルドアダマンテを中心に、我々の目的を敵がほぼ理解した上で妨害してくる。そう考えておくべきです」


さらりと告げられたその言葉に、シオンや部下たちは喉を鳴らした。


九人の天支神官。


その名に対し、自分たちより遥かに強大な力を持つ三人が、一切の油断もなく、下手をすれば怯えに近いほどの負の信頼を抱いている。


その事実が、場の空気を重く沈めた。



――聖皇国首都ガルフレア

中央第一教会・第一集会場


巨大なイベルダルクの女神像が、白く輝いていた。


慈愛に満ちた柔らかな視線。

その先に、分厚い大理石の円卓が据えられている。


円卓を取り囲む椅子の数は十。


そのうち八席には既に、イベルダルクの最高神官の服に身を包んだ男女が座っていた。


「おいっ! いつまで待たせんだよ、サンバッグ!」


「まったくだわ。こんな急ぎで集まったのに、一席と二席が遅刻だなんて」


短髪の大男が怒号を放ち、赤いウェーブヘアの女性が嫌味を飛ばす。


「申し訳ございません、ザイード様、プラシラ様。あと少々――」


「すまなんだな、サンバッグ」


背後から、低く重い声が響いた。


ドラギアス・ゴルドアダマンテが、ゆっくりと姿を現す。


その歩みだけで、場の空気がわずかに沈んだ。


「……全員、集まっておるな」


その一言に、二人だけが反応した。

テーブルに脚を乗せていた眼鏡の壮年男性が、短く舌打ちする。


「……チッ、そういう事か」


隣では、ダブルシニヨンの女性が見る間に顔から血の気を失っていた。


「……嘘」


だが、ザイードと呼ばれた大男は違った。


「おいおいおいおい! ボケちまったか、ドラギアスさんよ!? まだ肝心要の第一席様がいねえじゃねえかよ!」


ドラギアスは大きく溜息をついた。


「面倒だから端的に言おう」


一拍。


「第一席、ジャガーノート・ラビッドフラウが戦死した」


集会場の空気が、一変した。


「はっ?」


「……嘘だろ」

「ジャガーノートが……」

「……信じられないな」


ざわめきが円卓を走る。


ドラギアスはそれを制することなく、淡々と続けた。


「恐らく敵は白雪姫と獅子軍神。魔王復活を目論んでいる最中の会敵だったと思われる」


誰も、すぐには言葉を返せなかった。

ドラギアスの声だけが、集会場に重く落ちる。


「詳しい経緯は、手元の書類に記載している。今話したいのは、この後どうするかだ。本当に魔王四災禍の生き残りかどうかは置いておくとして、ジャガーノートが殺られた相手であることに変わりはない。一対一で相対することを避けるため、最低でも二人組、いや三人組で奴らの捜索を――」


「ブハハハハッ」


神妙な空気を裂いて、ザイードが高笑いした。


「何がおかしい、ザイード」


ダブルシニヨンの女性がこめかみに、血管を浮き出させながら唸る。


「生温いこと言ってんなあ!? 戦前組さん?」


ドラギアスがじろりと睨んだ。


「何が言いたい」

「こういうのは速い者勝ちって決まってんだろう?」

「そう言う次元の話はしていない」

「腑抜けたなあ! あんたたち、最初の天支神官だろう? 【イベルダルク内で戦闘力のみを基準に順位付けされた十人】。それが天支神官だってことを忘れたのかい?」


プラシラが面白がるように合いの手を入れる。


「確かにね。ヘコヘコ協力するのは天支神官らしくない、それに、下手に協力してあんたたち【戦前組】に手柄を取られるのも癪だわ」


「フッフッ、言いますねぇ、プラシラ嬢」

「まあ、何でもいいけどよ、確かに手柄で揉めたくはねえな」

「……全く」


集会場が、にわかに騒がしくなる。


その瞬間だった。


ズンッ!


ビシビシッ!


比喩ではない。


地震が起きた。


茶器が跳ね、シャンデリアが軋み、女神像の足元に細い亀裂が走る。


震源地は、先ほど青ざめていたダブルシニヨンの女性だった。


彼女の魔力が、場そのものを揺らしている。


「てめえら……」


低い声だった。


その声だけで、空気が冷える。


「ジャガー様が死んだってえのに、いきなり手柄の話か」


女はおもむろに立ち上がり、騒ぎ立てていたザイードとプラシラへ向かって歩き出した。


「っ! てめえ! 殺るならやってやる!」


「いい気になってんじゃないよ!」


二人は動揺しながらも、迎え撃つ構えを取る。


「やめねえか、ドール!」


眼鏡の壮年の男が制止した。


だが、彼女は止まらない。


「はい。この二人を【死なせたら】やめます」


目を血走らせ、なおも前へ進む。

緊張が高まる。


ズドンッ!


轟音が響いた。


眼鏡の壮年男性が、テーブルに乗せていた脚をそのまま振り上げ、分厚い大理石の円卓を真上から蹴り砕いた。


粉塵が舞う。


視線が一斉に集まる。


男は、低く名を呼んだ。


「ドールジョー・ウルトラマリンッ!」


「……っ!!」


ドールジョーと呼ばれた女は、我に返ったように足を止める。


「やめてやれ」


彼女は視線を落とし、気まずそうに踵を返した。


「申し訳ございませんでした……アインス様」


「行儀の悪い奴らだ……。ドラギアス、続けようぜ」


静観していたドラギアスは、また深く溜息をついた。


「ふん……多少なりとも貴様らに結束を期待していたワシが馬鹿だったわ……。わかった、もっとわかりやすくシンプルな作戦にしてやろう」


一拍置く。


そして、告げた。


「白雪姫と獅子軍神。あやつらの首を片方でも持ってきた者を、天支神官第一席とする。現状最高位であるワシの権限でな」


集会場が、にわかに浮き足立った。


「マジか、やったぜ! 吐いたツバ飲むなよドラギアスさんよぉ!?」


「ほほぅ、随分と思い切りのよい……」


「あっはっは、やっと機会が回ってきたわね」


「わかりやすくていいなぁっ! 大賛成だ、ドラギアスさん!」


「いいですねぇ、盛り上がってきましたよ!」


「そんな短絡的で良いの……? まあ私馬鹿だからわかんないけど」


いきり立つ者。


粛々と立ち上がる者。


不安げに目を伏せる者。


それぞれの思惑を抱えたまま、天支神官たちは次々と集会場を後にしていく。


やがて、場には三人だけが残された。


上座に座るドラギアス。

その傍らに、アインス。

そして、拳を握ったまま俯くドールジョー。


砕けた円卓の縁からパラパラと欠片が落ちた。


「ドラギアス」


先に口を開いたのは、アインスだった。


「なんだ」


「大丈夫か」


「心配ない」


ドラギアスは即答した。


だが、その声はひどく硬かった。


アインスは眼鏡を指で押し上げ、短く息を吐く。


「取り敢えず……俺はあのじゃじゃ馬どもの尻拭いに回る。隙があれば、白雪姫と獅子軍神も仕留める。それでいいな」


「ああ……頼む」


そこに、ドールジョーが顔を上げた。


「私もっ!――」


「ならん」


ドラギアスが即座に遮る。


「でもっ!」


ドールジョーの目には涙が浮かんでいた。


怒りと悲しみと、行き場のない殺意で、声が震えている。


ドラギアスは、その全てを受け止めるように彼女を見た。


「お前は、災骸舞闘を完成させろ、お前にしか出来んことだ」


「……でもっ……」


「ドール」


今度はアインスが声をかけた。


「なんですか」


「今、一番つらいのは誰だと思う」


「……っ!……」


ドールジョーは息を呑んだ。


そして、ゆっくりとドラギアスに向き直る。


「申し訳ございません」


「気にするな、ドール」


アインスは沈黙を少し置いてから、問いを変えた。


「ドラギアス……お前はどうするんだ」


「ワシは……」


ドラギアスは、わずかに視線を落とす。


弱々しい声。

先ほどまでの第二席としての声ではなかった。


その声は、年相応の老人のものだった。


「まずは、カイガ海岸へ行きたい」


アインスは、目を伏せる。


「だよなぁ……」

「こんな時に、すまんな」

「いいさ、姪の亡骸くらいは、探して供養してえもんな」


誰も、何も言わなかった。

白く輝く女神像だけが、砕けた円卓と、残された三人を見下ろしていた。

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