第43話 死闘 VSジャガーノート⑥
不気味な燼滅巨神爪が唸る。
雄大ですらある巨躯に似合わず、その一撃は異様なほど正確だった。
振るわれるたびに台風のような旋風が巻き起こり、大地は地震めいて揺れる。
ネモとジェラルドはそれをガードし、躱し、連携しながら、どうにかジャガーノートへ迫ろうとする。
だが――
―罪断切空―
短く、静かに、それでいて重い詠唱破棄魔法。
「クッソッ!」
ネモが身を翻して回避する。
銀色の刃が的確に飛び、二人の前進を寸分違わず阻んでいた。
仮に接近できたとしても、今度はジャガーノート本人の体術が立ちはだかる。
そうして手間取った一瞬を狙い、燼滅巨神爪がまた叩き潰しにくる。
止められない。
まさしく、巨大な力そのものだった。
「くそっ……わかってはいたが、強すぎるなっ! ネモッ!」
「わかった!」
毒づくジェラルドが合図を飛ばす。
ネモが一気に前へ出たのを確認すると、ジェラルドは腰を落とし、掌を合わせた。
そして目を閉じ、詠唱を始める。
―振鎚、火の華、赤き鉄、幾万の鉄血を注ぎ、幾万の苦悶苦闘、骸さえ超え、焦熱に縁取られた意創・錯創する億千の叡智! 今ここに、節くれ立つ掌に生まれ踊れ!―
大地が低く唸る。
次の瞬間、地震のような揺れが海岸を走った。
地面がゆっくりと持ち上がり、何かが組み上がっていく。
ジェラルドは全身に力を込める。血管が浮き、脂汗が額から滴り落ちた。
「……させませんよ!」
接近してくるネモをいなしながら、ジャガーノートが燼滅巨神爪をその“何か”へ向ける。
だが――
動きが鈍い。
―熱喰大蛇―
燼滅巨神爪の表面に、うっすらと白い影がまとわりついていた。
ネモの魔法。
ジャガーノートと切り結ぶ最中、気づかれぬよう弱く、薄く、巨神爪へ取り付かせていたのだ。
熱を奪い、凍りつかせる。
もちろん押し切れるほどではない。
出力も、呪文の格も、あまりに違いすぎる。
数秒。
それでも、その数秒で十分だった。
―崩嶺・空繰鉄武神!!―
持ち上がった大地を吹き飛ばしながら、巨大な絡繰人形が顕現する。
燼滅巨神爪にも匹敵する豪腕を備えた鉄の巨人。
武神はそのまま巨神爪へ組み付き、がっぷり四つに組み合った。
「後は任せたぜ、ネモ!」
「うんっ!」
―月光岩穿―
言うや否や、ジャガーノートの掌から銀色の光線が走る。
一直線にジェラルドを撃ち抜こうとする。
「ダメだよっ!」
それをネモの氷剣が弾いた。
甲高い音。
銀光が逸れ、空へ散る。
「これで、お前に集中できるね」
「……どうぞお手柔らかに」
一瞬の静寂。
一秒にも満たない、張り詰めた沈黙。
次の瞬間、ネモは地を蹴って飛び出す。
氷剣で容赦なく急所を狙うネモ。
ジャガーノートは鋭い身のこなしでそれを躱しながら、詠唱を始めた。
―月神より賜りし真実の銀よ、断罪の銘を帯び、朱に染まる運命を背負え―
掌に銀色の光が収束する。
そして――
―業断紅月斧―
美麗で、それでいて無駄のない、眩い銀の斧。
それがネモの氷剣とぶつかり合い、火花が散る。
ネモの鋭い剣撃。
ジャガーノートの重く豪快な一撃。
数十発に及ぶ斬打が、一瞬で交錯する。
互角に見えた。
だが――
「……こ……このっ!」
均衡は、じわじわと崩れ始めていた。
ネモには、この先に魔王復活という目標がある。
対してジャガーノートは、最終的に勝てるなら己の命すら惜しまない。
刃の速度でも、踏み込みの深さでもない。
その心の置き方が、少しずつ戦況を歪めていく。
そして――
ガキン、と大きな火花を散らし、ネモの氷剣が跳ね上げられた。
がら空きになった腹へ――
―月光岩穿―
銀の光が突き刺さる。
「く……があっ……」
ネモの身体が後退する。
腹を押さえ、苦痛に顔を歪める。
―銀錬一喝―
真正面から銀鎚の一撃。
ネモはまともにそれを食らい、吹き飛ばされた。
血飛沫を散らしながら、そのまま海へ落ちる。
「ふぅ……」
ジャガーノートは短く息を整える。
そして次に、地を揺らして殴り合う空繰武神と巨神爪の方へ向き直った。
その掌に、膨大な光が集まり始める。
―雲間、神晄、腕の紡ぐクトゥグヴァルトンのヤコブの梯子。
悶え朽ち果てる今際の際に、平和の暁、目に灼き付けよ――
燼滅巨神爪の掌から、エネルギー光が溢れ出す。
―百景乱砕大砲―
極大の光条が放たれた。
燼滅巨神爪の掌から撃ち出されたそれは、空繰武神を真正面から削り壊し、ジェラルドごと吹き飛ばした。
「グアアァッ……!」
空繰武神が砕け散る。
同時に、その出力を吐き尽くした燼滅巨神爪もまた輪郭を失い、崩れ消えた。
荒く息を吐きながら立ち上がり、ジャガーノートを睨みつけるジェラルド。
目は死んでいない。
だが、身体が動かない。
空繰鉄武神の行使で、体力を削り切っていた。
―イベルダルクの護り神、貴殿を害する不届き者に、清らかな神の鉄鎚を――銀錬一喝―
そこに、完全詠唱の一撃。
普段のジェラルドならどうとでも避けられるであろうその一撃が、今は容赦なく彼を押し潰した。
「ガフッ……!」
血を吐くジェラルド。
地に片膝をつき、それでも倒れまいと歯を食いしばる。
「ハァ……ハァ……」
ジャガーノートは息を切らしながら、ジェラルドへ歩み寄り、とどめを刺さんと銀斧を振り被る。
その瞬間――黒い影が疾る。
「ぐっ……」
ジャガーノートは反射的に斧で受けた。
だが重い。
そのまま数歩分、後方へ吹き飛ばされる。
そこにいたのは、ブラドに跨り、槌を構えたシオンだった。
その指先は、かすかに震えている。
「ガフッ……おいバカ野郎! やめろシオンッ!」 「……宜しいのですね……お嬢さん?……」
シオンは答えない。
ただ黙って、ジャガーノートへ飛び込んだ。
潰槌の乱打。
小柄な身体から繰り出されるとは思えぬ、速く、重い連撃。
「速度……威力……その齢で……素晴らしい才能です」
ジャガーノートはそう呟きながら、冷静に連撃を捌く。
そして一瞬の隙を捉え、強烈なカウンターの蹴りをブラドごと叩き込んだ。
「あうっ!!」
シオンとブラドの身体が弾かれ、そのままジェラルドへ激突する。
シオンはその衝撃で気を失った。
「故に残念です……異教徒として断罪しなくてはならないことが」
「おい待てっ! 約束が違うっ! この娘は引き取る約束だっただろっ!」
シオンを庇うように覆い被さり、ジェラルドが吼える。
「そうですね。ですが、貴方はこの子が【無関係だから】引き取ってくれと言いました」
「だからっ!」
「この状況で、自身の安全が保証されているにも関わらず、手を震わせながらも貴方がたを庇う……無関係という言い分には、無理があります」
ジャガーノートの声音は、どこまでも静かだった。
「貴方たちは、きっとこの子にとって無関係ではない。大切な存在です。ならば将来的に復讐の芽となり、戦乱の火種となり得る」
容赦なく銀斧が振り上げられる。
ジェラルドは思わず目を伏せた。
だが――
ガキン、と甲高い音が弾ける。
斧が止まる。
「少々、グズグズし過ぎましたね」
ジャガーノートが視線を上げる。
そこにいたのは、息も絶え絶えに立つネモだった。
腹から血を溢れさせながら、それでもなお氷剣でその一撃を受け止め、ジャガーノートを睨みつけている。
「お前は……お前らは……」
血の混じる息を吐く。
「どれだけ僕から奪えば……気が済むんだ」
視界が滲む。
血と涙で、何もかもがぼやける。
しかし――
家族を奪われた日。
魔王を喪った日。
レモナの背中が、豪雨の向こうへ消えた日。
時が停まったように永劫ぼやけない鮮明な記憶が脳をよぎる。
「この、せめてもの平和を続けるためであれば……いくらでも……」
ジャガーノートの表情が、ほんのわずかに曇る。
「そうかよ……」
ネモは小さく笑った。
笑ったはずなのに、その声は少しも明るくない。
「でも……お前が、最後に残った友達まで奪うなら……僕はせめて、今まで出来なかったことをする……」
その一瞬。
力の抜けた銀斧を氷剣で弾き、ネモは懐へ手を差し入れた。
赤い鍵。
「……? それは――」
「っ!! おい、バカ、やめっ……!」
ジェラルドが血相を変えて叫ぶ。
だが、もう遅い。
凍てつく風が吹いた。
海岸の空気が、一瞬で変わる。
肌を裂くような寒気に、ジャガーノートは咄嗟に飛び退いた。
ジェラルドはシオンを抱き寄せ、その場に身を伏せる。
風の中心で、ネモは赤い鍵を掲げていた。
腹から血を流しながら。
それでも指先は、震えていない。
―愛おし愛する我が火王。曇天に坐す氷帝よ。
我が預けし、晴の衣装をお返し頂く。
凍てつき、刺し斬る氷の衣装で、冷たき紅蓮を、踏みつけ孤独に舞い踊る――
青い魔導陣が、幾重にもネモを囲む。
そこから浮かび上がった無数のパーツが、ひとつ、またひとつとネモの身体へ噛み合って行き、浮かび上がりながら組み上がっていく。
肩。
腕。
胸。
腰。
脚。
氷で編まれた二刀の鎧騎士が、ネモを核にして静かに組み上がる。
そして宝石の如くに煌めく氷翼が展開する。
その装いはドレスの様に美しかった。
だが完全ではない。
表層はひび割れ、ところどころが欠け、まるで砕けたまま無理やり形を保っているようだった。
それでもなお――圧倒的な存在感を放つ。
―神域纏装 深々真寂歌劇ノ装イ――
締めの口上と同時に、寒風が膨れ上がる。
凍気がジャガーノートの頬を打った。
怯えと武者震いが、同時に込み上げる。
「ずいぶんと……小さく、ボロボロになってしまいましたね……」
ジャガーノートはネモを見上げながら息を呑み、けれど微笑んだ。
「それでも――やはり、貴方はその装いが一番お似合いです」
ネモは答えない。
ただ、ジャガーノートを見下ろし二振りの氷刃を静かに構える。
「どこまで持つかは分からない」
声は低い。
冷たく、擦り切れていた。
「でも――刺し違えてでも、お前は殺す」




