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第3話 白雪姫の潜入作戦③

質素だが美味い食事を食べ、忙しく働き、フェリスに怒られ、たしなめられ、それでも笑って話す。

そんな日々が五日ほど続いた夜、宿舎ではネモとフェリスが他愛もない雑談を交わしていた。


「フェリスさん」

「なあに?」

「ここって、二級神官の人たちより、三級神官の人たちのほうが、いい人というか……仕事できる人が多くないですか?」


ふと思ったことを口にすると、フェリスは少し困ったように笑った。


「あんまりこういうこと言いたくないけど……まあ、そうね」

「やっぱり?」

「一年くらい前に、昇級とか降格とかがまとめてあったのよ。その時に、二級と三級がかなり入れ替わったみたいで」

「へえ……。あの、私を叱りつけやがった三級神官さんも、実は結構優しかったし。それに、随分――」

「叱りけやがったってあなたねえ……」


フェリスは小さく吹き出してから、肩をすくめた。


「でも、私たちと一番関わるのは三級の人たちだもの。その人たちがまともなほうが、私たちにはありがたいわ。きっと教会の中でも、いろいろあるのよ。社内政治、みたいなものが」

「そんなもんかなあ」


窓から差し込む満月の光が、部屋の中を青白く照らしていた。

二段ベッドの上段で、ネモはふと物思いに沈む。


幼い頃。傷ついて眠るたび、何度も夢に見たものがあった。

絵本の中にだけある、あたたかくて、穏やかな、普通の家族。


「……小さい頃に、お姉ちゃんとかお兄ちゃんとかいたら……こんな感じだったのかなあ」


ぽつりと呟いて、ネモは身を乗り出す。

下段では、フェリスが穏やかな寝息を立てて眠っていた。


明日、最高神官が帰ってくる。

棺が見つかるかどうかにかかわらず、この生活も終わるのだろう。


ネモは少しだけ寂しそうに目を細め、それから月光を避けるように布団をかぶって眠りについた。




「最高神官様のお帰りだ! 皆、整列し、祈りを捧げよ!」


翌朝。大聖堂に、あの三級神官のよく通る声が響く。

その号令に従い、信徒たちは一斉に跪いた。


わずかな緊張が満ちる中、この寺院の最高神官アルバトロスが、ゆっくりと扉を開いて入ってくる。

神像のもとに据えられた豪奢な椅子へ向かって歩く、その足音だけが、静まり返った堂内に規則正しく響いた。


その様子を、祈るふりをしながら片目だけ開けて、ソフィ・フィロウことネモ・アイソリテュードは観察する。


年は四十代前半ほど。痩せぎすの体つきに、茶髪と眼鏡。

そして何より――策を巡らせて混行国を打ち負かし、重言地を奪い去ったイベルダルクの最高神官にしては、宿している言霊の力があまりにも弱い。


(……やっぱり当たりかな、ジェラルド)


アルバトロスは椅子にどっかりと腰を下ろすと、寄ってきた二級神官に何事か耳打ちした。


(あの二級神官、最初に僕を案内した奴だな……)


二人はひそひそと短く言葉を交わし、それからアルバトロスは尊大な声音で説法を始めた。


「――であるからして……」


ネモは内心で、わずかに顔をしかめる。


(言ってること自体は立派なんだけどさ。お前らのやってることを思い返すと、まあ中身のない説法だこと……)


それでも表向きは殊勝に聞き入るふりをする。

横目でフェリスを見ると、彼女は真剣な面持ちで祈っていた。


(……でも、誰かの支えになってるなら、それはそれで、いいことなのかもしれないな)


そんなことを考えているうちに説法は終わった。


しばしの沈黙ののち、アルバトロスが退席する。

すると、ネモを受け入れたあの二級神官が名簿を手に進み出て、大きな声で名前を読み上げた。


「ソフィ・フィロウ、フェリス・ジャッククロウ、アランカ・サンウィッチ、ルビィ・カーマイン、ウィング・バレッドウィンド……」


呼ばれたのは、およそ十名ほどの女性奉公人たちだった。

名前を呼ばれた者たちは、戸惑いながらも二級神官の前へ集まっていく。


「君たちは今晩の特別礼拝の祈り手に選ばれた。勤めを果たしてくれたまえ」


集められた者たちは、ネモを除けば、少しばかりの不安と、ほんのわずかな高揚を滲ませていた。


「私、初めてだわ……」

「私、二度目だけど……あんまり覚えてないのよね」

「私も。でも、普通の礼拝だったよね……?」


ひそひそと囁き合いながら、その場は解散になる。

フェリスもほかの者たちと話しながら歩き出したので、ネモは後を追った。


「フェリスさん。特別礼拝って、何なんですか?」


フェリスは歩きながら、逆に問いで返してくる。


「イベルダルク様が、何の神様か知ってる?」

「……はい。月と大地と、安定の神様ですよね」

「そう。でも私たち、いつも朝に祈るでしょう? 変だと思わない?」

「……確かに、それは少し」


フェリスは頷いた。


「だから、イベルダルク様が起きている時間に、朝の礼拝で集めた言霊を捧げるために、選ばれた神官と奉公人が深夜に儀式を行うの。それが特別礼拝なんだって」


ネモの表情が、わずかに強張る。


(もっともらしい理屈だけど……そんな儀式、イベルダルクにはなかったよな)


イベルダルクの教義を、ネモは嫌というほど叩き込まれている。

だからこそ、その説明に違和感を覚えた。


「どうしたの、ソフィ?」


表情の揺れに気づいたフェリスが覗き込む。

ネモは慌てて笑みを作った。


「いや……緊張してきちゃって。ちょっと不安で」

「そうよね。でも大丈夫。私も何度か参加したけど、普通のお祈りと変わらなかったわ」


そう言って、フェリスはネモの頭を優しく撫でた。


「はいっ!」


自分の予想が思い込みであってほしいと願いながら、ネモはいつもの調子で明るく返事をした。




深夜。

月明かりがステンドグラスを透かし、大聖堂のイベルダルク像を青白く照らしている。


その神像のもとに、十人の二級神官と、十人の女性奉公人が並んで跪いていた。

錫杖を手にしたアルバトロスは、像を見上げ、うやうやしく祈りを捧げる。


「イベルダルクの最高神よ! 我らの紡ぎし陽の言葉を、今ここに捧げます……!」


長々しく、仰々しく続く祈りの文句。

フェリスたちは真剣に祈っているが、ネモだけは横目で周囲を観察しながら考えを巡らせていた。


(そんな詠唱、僕が嫌々覚えたイベルダルクの教えには無い……)


やがて詠唱を終えたアルバトロスが、ゆっくりと振り返る。


「さて……茶番はここまでだ」


その口元に浮かぶ笑みは、もはや聖職者のものではなかった。


「では、私に尽くすことを選んだ二級神官たちよ……久々の褒美を与えよう」


人差し指を立て、アルバトロスは詠唱を始める。


―イベルダルクの聖なる錠よ、贄に纏わり無限を描き、光の鎖で反逆の意思を絞め殺せ……逆徒(ぎゃくと)尽縛陣(じんばくじん)


「えっ!?」

「な、何これっ!?」


奉公人たちがざわめく。

足元に白く輝く魔法陣が展開し、そこから伸びた光の鎖が、ネモとフェリスを含む十人の両腕を後ろ手に拘束した。


(……これは……)


見立てでは、アルバトロスの力量は明らかに不足している。

それなのに放たれたのは、イベルダルク系統の強力な上位魔法だった。

魔法攻撃に備えて常に薄くバリアをまとっていたネモですら、きっちり捕らえられるほどの拘束力。


フェリスが愕然としながら問いかける。


「これは……最高神官様……どういうことなのでしょうか……!?」


その問いに、アルバトロスは気味の悪い笑みを深めて答えた。


「君たちは供物さ。我を天へ押し上げる柱どものな。繰り返し、繰り返し、出涸らしになるまで……柱どもの供物となれ」

「なっ……!」


言い終わるより早く、フェリスは飛びかかってきた二級神官に押し倒される。


「フェリス……君とは三度目だ。君の嬌声は実に素晴らしかったよ」

「どういう意味なの!?」

「聞いた通りさ。君は三度、私と夜を共にしているのだ。まあ、どうせ最高神官様が忘れさせてくださる。ならば今夜も、心ゆくまで楽しもうじゃないか」

「ひっ……」


理解したくもない現実と、神官の下卑た笑みに、フェリスの顔から血の気が引いていく。


他の八人も、次々と神官たちに押し倒された。

聖堂に絶叫と嗤い声が満ちる。


そして、ネモの前にも例外なく、例の二級神官がにじり寄ってきた。


「ずっとこの時を待っていたよ、ソフィ君」


眼をぎらつかせながら飛びかかってくる男を見て、ネモは一瞬で状況を把握する。


(……そういうことね。大体わかった)


次の瞬間、ネモは逆にその男へ身を寄せた。


「……!?」

「あの……私、まだ……こういうことには不慣れで……うまくできるか、わかりませぬが……」

「え……いや……」


潤んだ青い瞳で見上げられ、神官のほうがたじろぐ。


「大恩ある貴方様でしたら……喜んで、この身をお捧げいたします」

「え……」


完全に気圧されている。

そこへネモはさらに顔を寄せ、神官の胸元で囁いた。


「でも……とても不安なので……祖母から教わったおまじないを、唱えてもよろしいでしょうか。その後で……誠心誠意、頑張ってお相手いたしますので……」

「あ、ああ……もちろんだとも。さあ、一緒に楽しもうじゃないか」


完全に主導権を握ったまま、しかもアルバトロスから自分の姿が二級神官で隠れる位置を取って、ネモはその“おまじない”を唱え始めた。


―鉄筒、起伏、拒絶の不転、踏み挿り(ふみいり)立ち挿り(たちいり)挿れ鉄(いれがね)、捩じ込み(ひね)り巻け。呪封(じゅふう)解転檻外(かいてんおりはずし)


冷たく、美しい声。

だが紡がれたのは、最上級の解呪呪文だった。


刹那、神官の顔色が変わる。

その瞬間にはもう、鎖から解放されたネモの拳が、容赦なく男の腹へめり込んでいた。


「ごっ――」


一撃で昏倒。

崩れ落ちる神官の体を受け止めながら、ネモは小さく息を吐く。


(……お前みたいなゲスに積極的になる奴なんかいないよ)


そして次の瞬間には、わざとらしい悲鳴を上げていた。


「きゃあーっ、おやめくださいーっ」


迫真の棒読みで押し倒されるふりをしながら、ネモは長椅子の陰へと身を滑り込ませる。


「……最悪の気分だね。一体どうしたもんか」


絶叫の響く大聖堂の中、ネモは逡巡した。


(少しジェラルドの推理とは違ったか……。最高神官が部下に女をあてがって、その見返りに自分を教団内で押し上げさせる。ついでに弱みも握れる。最悪だけど、筋は通る)


二級より三級の神官のほうが真面目で親しみやすかった理由も、これで腑に落ちた。

おそらくこの仕組みを拒んだ者は記憶を消され、そのまま冷遇される。

受け入れた者は優遇され、アルバトロスを押し上げる。

そして押し上げられたアルバトロスが、またその下種どもを引き上げる。


(このままこの男を操作魔法で操って、最後に最高神官がかけるであろう記憶操作の術を見れば、力の出どころが探れる。それが棺なら、後日盗み出して逃げる……それがベスト。拘束魔法の出来を見る限り、今のうちに対抗呪文を仕込んでおけば、記憶操作も耐えられるはず――)


「そう……これがベスト……」


そう呟き、ネモは自分に対抗呪文をかける準備を始めた。


「いやぁーっ!!」

「助けてっ……誰か助けて!」


女たちの悲鳴が響く。

苦悶の声が重なる。

どうせ記憶を消されるからと、あの下郎どもが何をするつもりか、ネモにわからないはずがない。


「万が一、正体がバレれば……いや、ここはイベルダルクの教会堂だ。バレる可能性のほうが高い。ジェラルドがせっかく考えた一番穏便な手を……そう、一番……」


自分に言い聞かせるように、そう繰り返した。




「このようなことはおやめください……神の教えを忘れたのですか……」


服を破かれ、押し倒され、抵抗した際に殴られたのか、頬に痣を作ったフェリスが、唇から血を滲ませながら詰問する。


「ふふっ、おかしなことを言う。その神の遣わした使徒が、この私なのだよ? 抵抗せず、そのまま()を受け容れるのだな」

「くっ……!」


もはや身動きも取れない中での、せめてもの抵抗。

フェリスは男を睨みつける。


「そう、その目だ。涙を滲ませ、喘ぎながらも睨む君が最高なのだよ! これを何度でも新鮮な気持ちで楽しめるのだ、最高だ! 嫌々ながら神を信奉していた甲斐があったというものだよ!」

「……クズめ」

「ははっ、神の使徒たるこの私にそんなことを言うとは、罪深い。ならば一発、聖なる教えとともに殴ってやろう。今回は何発で心が折れるのか試してみるのもいいな……!」


神官が拳を振り上げる。


「……っ!」


フェリスは目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばった。


その瞬間。


大聖堂を揺らす轟音が、爆発のように炸裂した。


「きゃあっ!」

「うげぇっ!」


吹き飛んだ石造りの長椅子が、フェリスに跨っていた男へ直撃し、そのまま弾き飛ばす。


その場の全員が、何が起きたのかも分からぬまま、音のした方へ目を向けた。


そこには、巨大な氷柱が氷煙を巻き上げながら屹立していた。

その出現の勢いで、周囲の長椅子が吹き飛ばされたのだ。


凍りついたような沈黙。

まるで時間が止まったかのようだった。


「いったい……何が……」


ゆっくりと氷煙が晴れていく。


その中に、一人の騎士が立っていた。


「……やっぱり駄目だよね。見て見ぬふりなんてできないし、しちゃいけない」


水色の髪。

雪のように白い肌。

深く青く輝く瞳。

そしてサファイアで飾られた青い鎧と、氷で形作られた、美しく冷たい剣。


「それにフェリスさん。あなたの人生は……こんな奴らに汚されていいものじゃない」


「ソフィ……なの……?」


フェリスは息を呑む。

顔立ちは、数日を共に過ごしたソフィそのものだった。

だが、その表情も、立ち姿も、纏う気配も、何もかもが違う。

冷たく、研ぎ澄まされ、美しかった。


「…………」


ソフィ。

いや、白雪姫ネモ・アイソリテュードは、無言のまま剣を翻し、神官たちを睨み据えた。

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