第2話 白雪姫の潜入作戦②
山々の連なる景色の向こうへ、起伏の激しい荒れた街道が伸びている。
真上から降る太陽の光が、歩き通しのネモたちを容赦なく照りつけていた。
街道を抜けた先に見えたのは、小さな農村だった。
一面に広がる葡萄畑。その中央に小高い丘がひとつあり、頂には場違いなほど豪奢な教会堂が建っている。
「やっと着いたよー」
ネモが大きく伸びをする。
「聞いてたより、意外と遠かったな」
ジェラルドもつられるように軽く肩を回し、息を吐いた。
「起伏がすごかったからかな。飛んで行けたら楽なんだけどね」
「今の俺たちには負担がでかい。人目についたら厄介だしな」
「人生ままなりませんなぁー」
ネモはわざとらしく肩をすくめ、首を横に振る。
「全くだ。――見えたぞ。あれが、さっき話したイベルダルク教の寺院だ」
ジェラルドが丘の上を指さす。
ネモの眉間に、あからさまな皺が寄った。
「こんなとこにまで、あんな奴らの施設があるとか……もう終わりだよ……」
毒づくネモに、ジェラルドは人差し指を口に当ててウィンクする。
ネモも小さくウィンクを返した。
「ごめん、軽率だった。わかってる。……で、どうやって推理の裏付けを取る気なの?」
「そりゃもう、潜入捜査よ」
そう言うとジェラルドは、ごそごそと荷物を漁り始めた。
「何々?」
横から覗き込むネモ。
「これだっ!」
ジェラルドが得意げに取り出したのは、可愛らしい長袖のふわりとしたワンピースだった。
「……おい、ふざけんなよ」
声が一気に低くなる。
次の瞬間、ネモはジェラルドの鬣をわし掴みにしていた。
「痛い痛いっ! まだ何も言ってねぇだろっ!」
「じゃあジェラルドがこれ着んの? 着れないよね? 着ないなら何で出したのっ? おいこらっ!」
「まず作戦だけでも聞いてくれよ!」
喧々囂々、取っ組み合い。
そして五分後、二人は道端の物陰に移動していた。
ジェラルドが咳払いをひとつする。
「……そう、お前は俺と行動を共にする、親を失った美少女。俺は武の頂きを目指す修行僧。ここから十キロほど先に実在する修練場で一か月修行をする、という設定だ」
「ねえ嫌な予感しかしないんだけど」
「その間、同行する少女を預かってほしいと、あの寺院にそれなりの金を渡しながら頼む」
「こっちの話を聞けよ」
「そこでお前は媚びた上目遣いで――『何でもご奉公致しますので、どうか一か月面倒を見てくださいっ!』――と頼み込む。できれば涙目ならなお良しだ」
「最悪だ」
「そして無事潜入したネモ・アイソリテュードは調査開始! 棺に関する情報を探しに行くのだ!」
自信満々に胸を張るジェラルド。
その姿を、ネモは冷たい目で睨めつけた。
「不満げだな! しかし全ての要素を考慮した上で、これ以上の作戦があるか!?」
「僕の男性としての尊厳も、要素として考慮していただけませんかねっ!」
「まあ二つ名が白雪姫なんだから今更だろう! それに女装したお前は美しいし可愛いぞ! その気になれば百パーセント男を落とせる。余り不安になることはない!」
「慰めるふりして、精密的確に腹立つ所を抉りやがってっ! 僕がこんな格好してる理由、知ってるでしょ!? もう知らないからっ!」
ネモはふてくされて、その場にしゃがみ込んだ。
「……ふーんだ」
とはいえ、ジェラルドの視界から外れる気はないらしい。
ちらちらとこちらを窺い、別案を引き出そうとする意地だけは捨てていない。
その様子に、ジェラルドは頬をぽりぽりとかきながら、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「…………いや、まあ、その反応も予想はしてたんだがな」
「だったら別案を用意しといてよ」
「一番スマートに内情を探れるのがこれなんだ。武力で押し入れば他の支部に連絡される。偽装魔法で潜るにしても、あいつらは腐っても魔法の専門家だ。万一バレたら面倒臭えし、俺らの素性まで割れたら、これから先が何倍もやりづらくなる」
「…………」
「申し訳ねえが……頼まれてくれないか」
さっきまでの勢いを引っ込め、ジェラルドはまっすぐそう言った。
元最高軍官である彼が、手札を数えた末に出した結論なのだろう。
ネモは道端で風に揺れる青々とした雑草を眺め、それから流し目でジェラルドを見る。
「それがほんとに一番なの?」
「今の手札ではな」
しばらく間があった。
「……今回だけだからね」
「助かる」
翌朝。
「清き心で全身全霊、ご奉公致します! どんな事でも! 何でも致しますっ! どうか……どうか一か月……面倒を見て頂けませんでしょうか!? 大恩あるレオルド様の武の道の邪魔にはなりたくないのです……うぅ……」
寺院の二級神官に、可愛らしいワンピース姿のネモが縋りついていた。
手をきゅっと握りしめ、詰め物で膨らませた胸元を不自然にならない程度に相手へ寄せる。
その青い瞳は潤み、まるでこの場で愛の告白でも始めそうなほど、必死で健気な少女そのものだった。
その様子を見て、ジェラルドは内心で感服する。
(やると決めたら、やっぱりすげぇなこいつ……)
目の前で媚と艶を使い分けられ、二級神官は露骨に狼狽した。
「あ……あぁ、もちろんだ。偉大なるイベルダルクの神は寛大だ。君を神の奉公者として一か月迎え入れよう……レオルド殿、彼女を確かに一か月、衣食住の面倒を見させて頂く」
「感謝致します……イベルダルクの神の懐の広さに、最大限の感謝を……」
そう言ってジェラルドはその場を去る。
ふと振り返ると、ネモがちらりとこちらを見て、少しだけ恨めしそうに舌を出した。
そのまま二級神官に伴われ、寺院の奥へ消えていく。
「……すまねぇが頼むぞ、ネモ」
寺院の内部は、静謐という言葉そのものだった。
白い魔石の柱。
呪言の刻まれた壁。
言霊を増幅する高級神字が、床一面に張り巡らされている。
その荘厳さは、この列島の主たる星界神イベルダルクの威光を、これでもかと誇示していた。
「今は最高神官殿は帝都への緊急集会で留守にしていてね。六日後には帰ってくる。挨拶と洗礼はその後にしよう。それまではこの部屋で寝泊まりしてくれたまえ。先客が一人いるから、わからないことは彼女に聞くといい」
「はいっ! もし何か役に立てることがあれば、お申し付けを!」
無邪気そのものの笑顔を貼りつけて、ネモは一級神官へ愛想よく頭を下げた。
「あぁ、遠慮なく申し付けさせて貰うよ……」
ほんの一瞬の舌なめずり。
ネモはそれを見逃さない。
(やっぱり、ジェラルドの推理はほぼビンゴなのかなぁ。不愉快だ)
胸の内でそう呟きながら、ネモは案内された宿舎へ入る。
二段ベッドが二つ、間に机。
最低限の生活空間。
その椅子に、修道服を着た二十代半ばほどの美しい女性が腰掛けていた。
「こんにちは! 今日からここで一か月お世話になります、ソフィ・フィロウと申します!」
満面の笑みで偽名を名乗り、ネモは握手を求める。
「あ……はい……私は、フェリスっていうわ」
突然現れた可愛らしい少女に戸惑いながらも、女性はその手を取った。
「フェリスさんって言うんですね。よろしくお願いいたします!」
ネモはぺこりとお辞儀する。
「ふふっ……可愛い同居人さん。よろしくね」
「…………ありがとうございますっ! とりあえず、ここのルールとか色々教えてくれないでしょうか! よろしければっ!」
「うーん……そうねぇ。とりあえず……声のトーン、もう少し下げたほうがいいかな。ここ、奉公人の部屋が密集してて、壁が薄いから」
フェリスは上品な仕草で、人差し指を唇に当てた。
「あ、ごめんなさい」
「うふふっ。元気なのは良いことだけどね」
いたずらっぽく笑うフェリスに、ネモは少しだけかしこまる。
やわらいだ空気の中で、ネモはフェリスからこの場所での暮らしを教わった。
朝六時に起床し、大聖堂で礼拝。
夜十時に就寝。
食事は質素なものが日に三回。
湯浴みは屋外の展望浴場で、基本は一日一度。
月曜から土曜までは教会の掃除などの雑務。
日曜は朝の礼拝だけで休日。
たまに土曜の深夜、洗礼の儀式に呼ばれることがある。
それ以外は自由時間。
外出は許可制。
「……こんなところかな。他に聞きたいことはある?」
「いいえ。でも、わからないことがあれば都度質問させて頂きます」
「わかったわ。さっきも言った通り、日曜日はやることないから、今日はゆっくりするといいわ」
「はい! ありがとうございます!」
翌日。
窓から差す朝の光を受けて、塩を振った輪切りのトマトが瑞々しく光っていた。
その隣には、香りの立つ半熟のベーコンエッグと、こんがり焼けたふっくらしたパン。
皿の上の三つは、それだけで十分に人を幸せにする匂いを放っている。
その芳香の中、神官を含む三百人ほどの人々が両手を合わせ、祈りを捧げていた。
三級神官が、祈りの締めを静かに告げる。
「イベルダルクの星界神よ。貴殿の与えし幸福豊穣、感謝し、尽くし、死まで殉ずるを誓います」
その一文と共に、皆が食事を始めた。
「お……美味しぃー……」
頬に手を当て、ネモが打ち震える。
少しばかり涙目だ。
「いや……そんなに感動しなくても……」
フェリスが呆れたように言う。
「だって昨日の夜、少ししか無かったんですよ! 昨日お昼ごはん食べてなかった私に、この朝ごはんは逆に拷問ですよ!」
「そうだったの……。まあ休息日は余り量は出ないからね……というより、そんなんだったら昨日の晩御飯、分けてあげたのに……」
「それは駄目です!」
ネモはびしっとフェリスを指さした。
「フェリスさん、細身なんですから、貴方こそいっぱい食べなきゃ駄目ですよっ!」
「あ……そ、そうねぇ……そうかな……」
そこへ割って入る声がひとつ。
「食事は静かに」
先ほど祈りを締めた三級神官だった。
「あ、はい、申し訳ございません……」
(あなたのせいで怒られたじゃないのよ)
(はい……すいませんでした)
三級神官が去ると、二人は小声で顔を見合わせる。
「うふふっ……全く、元気な子ね」
「うぅ……」
その日も、ネモはよく働いた。
陽光の差し込む大聖堂では、ステンドグラスに照らされた女神像の掃除が奉公人たちに割り振られていた。
ただでさえ美しい神像を、さらに磨き上げていく作業である。
「ふひー……もうこんなに綺麗なのに、まだ磨くんですかー……」
音を上げるネモに、フェリスがくすりと笑う。
「音を上げないの。それに磨いているんじゃなくて、磨かせて頂いてるのよ。そこ、気持ちを改めて頑張んなさい。あと、その辺は埃が溜まりやすいから入念にね」
「…………了解しましたー」
昼食は、こんがり焼いたパンにバターを塗り、薄切りのハムとレタスを挟んだサンドイッチだった。
ネモはそれを豪快にかぶりつく。
「まったまた美味しぃですねぇ……」
「いや……またそんなに感動しなくても……」
再び呆れるフェリス。
「だって今日は朝からあんなに動いたんですよ! それはお腹減りますよ!」
「ふふっ、そうだね。あと声のトーン下げてね。また怒られちゃうから」
「あ……はい、すいません……」
だが周囲の様子を見て、ネモはすぐに気づく。
朝と違い、昼はそれなりの談笑が許されている。
「朝ご飯の時ほど、静かにしなきゃいけないわけじゃなさそうですね」
「そうね。お昼はお祈りがないし、それなりにおしゃべりしてもいいわ」
「ふーん。じゃあ私、フェリスさんのこと聞きたいな」
はにかみながらネモが言うと、フェリスは少しだけ目を丸くした。
「私のこと? 別に面白いことないわよ?」
「お昼ご飯の添え物くらいにはなりません?」
「あははっ、頭ひっぱたくわよ?」
そう言いながらも、フェリスはぽつぽつと自分のことを話してくれた。
親のいない孤児だったこと。
必死に学び、高名な学舎に入ったこと。
十七で恋人ができたこと。
その相手が貴族であることに葛藤したこと。
十九で周囲の反対を押し切り、その人と結ばれたこと。
二十一で事故で夫を失ったこと。
同じ年に家を追い出されたこと。
せめて神に夫の冥福を祈るため、自らを神に捧げると誓ったこと。
重く、報われない人生だった。
話を聞き終えたネモは、すっかり涙目になっていた。
「うぅ……ご飯の添え物とか言って、本当にすいませんでしたぁっ!」
勢い余って、机に頭を打ちつける。
「ふふ、良いのよ……所詮昔話。添え物くらいにはなれたようで、私は満足よ」
フェリスは寂しげに、けれど優しく笑った。
「フェリスさん、ほんとに優しいですね」
「……別にそうでもないわ……でも、そう思ってくれるのは素直に嬉しいわ……」
フェリスは手持ち無沙汰にフォークをくるくる回す。
その時、先ほどの音を聞きつけたのか、例の三級神官がまた近づいてきた。
「…………食事は……静かにねっ」
「あ、はい、申し訳ございません……」
(まぁたあなたのせいで怒られたじゃないのよ)
(はい……すいませんでした)
神官が立ち去ると、フェリスは堪えきれずに笑った。
「うふふっ……全く、あなたしょうもないわね」
「うぐぅ……ごめんなさい」
「いいよ……しょうもない可愛い妹が出来たみたいで、私は嬉しいわ」
「……嬉しいけども、しょうもないを重ねないで頂けませんかね……」




