第1話 白雪姫の潜入作戦①
薄暗く、ひんやりとした朝の部屋。
外では鳥がやけに騒がしく、薄雲越しの朝日が、これから始まる喧騒を予告するように町を白く照らし始めていた。
「頭痛いよぉー……」
「だから飲み過ぎだって言っただろ……」
ベッドの上で、寝間着姿のネモが布団を抱えたまま悶えていた。
「楽しくて、つい……」
「教えてやるが、日付変わる頃には隣の宴会に乗り込んで小躍りしてたぞ、お前」
「覚えてないよっ! 思い出したくないよ! やめてよっ!」
「止めたのに振り払って突撃したのはお前だ。ちなみに大好評だったぞ。流石だな」
「やめてえぇ……聞きたくないよぉ……」
椅子に腰掛けていたジェラルドは、呆れたように肩をすくめると、宿の簡易焜炉に火を入れた。
小鍋に湯を沸かし、市場で買った茶葉の入った小袋を放り込む。
「恥ずかしいよぉーっ……」
「隣に迷惑だ。静かに呻け」
「あ、はい……」
湯気が立ちのぼり、部屋にかすかな香りが広がる。
ジェラルドは茶をカップに注ぎ、ネモへ差し出した。
「ほら飲め。何度も言ってるが、二日酔いには水分と栄養だ」
「…………ありがと……」
ネモは申し訳なさそうに受け取り、そっと一口すする。
温かさが喉を落ちていくのに合わせて、張りつめていたものまで少しずつ緩んでいくようだった。
「ごめんね……やっぱさ、ずっと気ぃ張ってて……それで……タガ外れちゃってさ……」
カップを握ったまま、ネモは俯く。
「言い訳にならないか……」
ジェラルドは鼻を鳴らした。
「別にいいさ。たまにはハメ外すのも悪くねえ」
「……うん……」
「それに」
「それに?」
「お前がしょうもない奴なのは前から知ってる」
「えぇっ!? しょうもないって、そんな言い方ないよ!!」
「冗談だよ。そんなこと少ししか思ってねえ」
「少しは思ってんだ」
「まあな」
「否定してよ」
「めんどくせぇなお前」
「何だと」
そんなやり取りをしているうちに、外の空気はすっかり朝になっていた。
差し込んだ光がネモの頬を照らし、彼は眩しそうに目を細めて窓の外を見る。
それから、不意に声の調子を落とした。
「…………ジェラルド。昨日は聞きたくなかったし、聞かなかったけどさ……棺、何個集められた?」
ジェラルドもまた、少しだけ顔つきを改める。
「俺は三つだ」
「…………僕も三つ。それに一回、死にかけた」
胸元に手を当てながら、ネモは物憂げに笑った。
「少し……甘く見てたよね」
「ああ。我らが主の力とはいえ、ここまで厄介とは思わなかった」
短い沈黙が落ちる。
「でも」
「だが」
二人の声が、ぴたりと重なった。
「たとえ魂一つになっても、私は私を諦めない」
ネモがふっと笑う。
「ふふっ。だからこうして合流したんだしね」
「ああ。こっからだ」
軽く拳を合わせる。
それだけで、十分だった。
「それに」
ネモは、いたずらっぽく目を細めた。
「あてがあるから、この街を集合場所にしたんだよね?」
「感づいてたか」
「獅子軍神ジェラルド・ハンマーロック様は、特に理由もなく待ち合わせにこんな不便な町を選ぶ人じゃないって、よぉく知ってるからね」
「…………話が早くて助かるよ、白雪姫ネモ・アイソリテュード」
ネモはむっと唇を尖らせた。
「ところでさ……その二つ名、もう広まっちゃったから仕方ないんだけど、やっぱやだなぁ。もっとジェラルドみたいな雄々しいやつが良かったよ」
「まあ、どう見たってお前のあの姿は女にしか見えなかったし、素のお前もぱっと見じゃ男か女か分かんねぇしなぁ……」
「うーん、納得いかない……。戦う時はわざと荒々しく振る舞ってたのに……」
「意識してたのか、お前……」
「かなり頑張ってたよ!? 少し怒り肩にしてみたり……」
「いや……そんな感じは、してたような、してないような……」
「どっち」
「微妙」
「悲しい」
ネモはじとっとした目を向けたが、すぐに小さく息を吐いて切り替えた。
「……まあいいや。話戻そ。なんで棺がここにあると思ったの?」
ジェラルドは椅子に深く座り直し、冷めかけた茶をひと口すすった。
「ネモ。この町に来て、妙なことに気づかなかったか?」
「えぇ? うーん…………わかんないなぁ」
「気楽に答えろ。大したことじゃなくていい。違和感程度でいいんだ」
「えぇ……」
ネモは記憶を辿る。
丸二日、この町を歩き回っていた中で、引っかかっていたものが一つだけあった。
「なんか……やたら妊婦さんが多かったような?」
「そうだ」
「この一日半で四人くらい見た気がする。しかも、みんな……なんていうか、物悲しい感じだった」
「それで十分だ」
ジェラルドは人差し指を立てた。
「棺を追うついでに、各地の妙な噂も拾っててな。この町じゃ、おおよそ一年半前から異変が起きてる。独身の女が、身に覚えのない妊娠をしてしまうって話が多発してるらしい」
「男遊びしたのを隠してる、って線は?」
「普通はそう思う。だが、数が異常だ。しかも相手は若い娘だけじゃねえ。町の連中も気味悪がってる」
「ふーん……一年半前かぁ……」
ネモの顔から、さっきまでの気安い色が少しずつ消えていく。
「で、お前を待つ間、そいつらの共通点を使い魔で探った。そしたら、ある宗教施設に仕事や奉公で出入りしてることまで分かった」
「まさかさぁ……」
ネモの眉間に皺が寄る。
「その宗教施設ってさぁ……」
「お察しの通り、イベルダルクの教会堂だ」
「あいつら、ほんとにろくなことしないよね」
「落ち着け。突き詰めてみたら、今回はイベルダルク全体ってぇより、そこの最高神官が臭い」
「一緒じゃん?」
「似てるが、少し違う。そこの最高神官、二年前までは中年の三級神官だった」
「すっごい鬼出世だ。確実に悪いことしてる……」
「地方とはいえ、イベルダルクの最高神官だ。聖皇国の権威そのものだぜ。そんな席に二年そこらで上り詰めた。まともな話じゃねえ」
そこでネモも得心したように、小さく手を打つ。
「あぁ……なるほどね」
「仮にそれが棺の力だったとしたら、中身は無能三級神官のままだ」
「古今東西、そんな奴が力持って調子に乗った時にやることなんて……」
ネモは深く、嫌そうにため息をついた。
「気色悪い色遊び、かな」
「まあ、そんなところだ」
「棺と魔法の知識があれば、言霊の弱い人の記憶なんてどうとでもなるもんね」
その瞬間、ネモの脳裏に道中で出会った妊婦の姿が蘇った。
人目を避けるように歩いていたこと。
びくびくと怯えていたこと。
そして、自分が何気なく投げた言葉。
――お腹の赤ちゃんともども、お大事に。
あの時の、曇った顔。
ネモはシーツをきゅっと握りしめる。
「悪いこと……言っちゃったかな……」
「どうした?」
「……何でもない」
そう答えてから、ネモはゆっくり顔を上げた。
目の奥に、さっきまでとは違う熱が宿っている。
「でも、その推理が合ってるなら――尚のこと、やる気出てきたかな」




