1-4 情と使命の間の中で
質素で美味しい物を食べ、忙しく働き、フェリスに怒られなじられて、笑いながら談笑する。
そんな日々が五日続いたその夜に、宿舎でネモとフェリスは他愛もない雑談をする。
「フェリスさん」
「何?」
「なんかここ、二級神官より三級神官の人の方がいい人、仕事できる人多くないですか」
ふとした疑問をフェリスに問う
「まあ、あんまいいたかないけどそうねー」
「なんかね、一年くらい前に色々昇級やら降格やらたくさんあってねー、その時に二級と三級がだいぶ入れ替わったわ」
「なんでですかね、あの私を叱りつけやがった三級神官さんも実は結構優しかったし、それに随分……」
「叱りつけやがったってあなた……まあでも、私達と一番付き合い多いのは三級の人達なんだし、私たちにはその方がありがたいわ、きっと教会内でも社内政治? みたいなのが色々あるのよきっと」
「そんなもんかなぁ」
窓から刺し照る満月の光が、部屋を暗く明るく照らす。
二段ベッドの上段でネモはふと思いにふける。
幼少期、傷つき眠りに就くその中で何度も何度も、夢見た憧れ、絵本の中の普通の温かな家族。
一人悲しげに呟く。
「小さい頃にお姉ちゃんとかお兄ちゃんとかいたら……こんな感じだったのかなぁ」
ベッドから乗り出し下段ですやすやと眠るフェリスの顔を眺めるネモ。
明日は最高神官が帰ってくる。
棺の所在はどうあれど、この生活は終わるのだろう。
ネモは少しさみしそうな顔をした後、月光を嫌う様に布団を被って眠りについた。
「最高神官のお帰りだ! 皆整列し祈りを捧げよ!」
食事の際にネモを叱った三級神官が大聖堂でキビキビと号令を取る。
皆は跪き祈りを捧げる。
少しばかりの緊張が高まるなか、この寺院の最高神官アルバトロスがゆっくりと扉を開き、神像の元にある豪奢な椅子に向かう。
静謐な大聖堂にコツコツと足音が響く。
その様子を、祈るふりして片目を開き、ソフィ・フィロウことネモ・アイソリテュードは観察する。
齢は四十代前半、肉体は貧相、茶髪で眼鏡。
そして策謀の末、混行国を打ち負かし重言地を奪い去ったイベルダルクの最高神官にしては明らかに体に宿す言霊の力が弱い。
(やっぱり当たりかな、ジェラルド…………)
最高神官アルバトロスはそのままどかりと椅子に座り、寄ってきた二級神官に耳打ちする。
(あの二級神官、私を最初に案内してくれた人だな……)
二人はヒソヒソと言葉を交わす。
そして最高神官は尊大な声で跪く信者たちに説法をはじめる。
「……であるからにして……」
ネモは少し苛つく。
(まぁ言わんとすることは分かりますし立派でございますけど、お前らのやった事思い返せばまあ中身の無い説法だこと……)
ネモはそんな事を思いながらもありがたく言葉を聞くフリをする、横目でちらりとフェリスを見やると真剣に祈っている。
(…………でも、誰かの心の支えになってるなら、それは良いことかもしれないのかな……)
色々な事を逡巡している内に最高神官の説法は終わる。
そして暫しの沈黙の中、アルバトロスが退席すると、ネモを受け入れた二級神官が名簿を読みながら叫ぶ。
「ソフィ・フィロウ、フェリス・ジャッククロウ、アランカ・サンウィッチ、ルビィ・カーマイン、ウィング・バレッドウィンド……」
およそ十名程の女性信者の名前。
呼ばれた者がおずおずと二級神官の元に集まる。
「君たちは今晩の特別礼拝の祈り手に選ばれた、勤めを果たしてくれたまえ」
集められた者達はネモ以外は少々不安げな表情と少しばかりの高揚感を醸し出す。
「私初めてだわ……」
「私二度目だけども……あまり覚えて無いのよね……」
「私もだけど、でも普通の礼拝だったよねー……」
ヒソヒソと話す女性たち。
彼女らと雑談しながらフェリスはその場から退席する。
それを追いかけ質問するネモ。
「フェリスさん、特別礼拝って何なんですか?」
歩きながらフェリスはネモの疑問に質問で答える。
「イベルダルク様が何の神様か知ってる?」
「…………はい、月と大地と安定の神様ですよね……」
「そう、でも私達は朝にお祈りするじゃない? 変だと思わない?」
「確かにそれは……まあ変だとは思いますけど」
「そう、だからイベルダルク様が起きてる時に、その朝に貯めたお祈りの言霊を捧げるため、選ばれた神官と奉公人達が深夜に儀式を行うの、それが特別礼拝なんだって」
訝しさに表情が歪みかけるネモ。
(もっともらしいけども……そんな儀式、イベルダルクになかったよな……)
イベルダルクの教義を実は全て頭に叩き込んでいるネモは疑問に思い、一つの可能性を思い付く。
「どうしたの、ソフィ?」
歪んだ表情を訝しむフェリス。
慌てて取り繕うネモ。
「いや……緊張しちゃって色々不安で……」
「だよね、でも大丈夫よ、私も何度か参加させて頂いたけども、普通のお祈りと変わらないから」
フェリスはネモの頭を優しく撫でる。
「はいっ!」
自身の思い込みかもしれないその悪辣に、歯を食いしばらぬように、顔をひきつらせぬように、ネモは元気よく笑い返事をした。
深夜、ステンドグラス越しの月明かりに照らされる大聖堂のイベルダルクの女神像、その元に十人の二級神官と十人の女性の奉公人が並んで祈りを捧げている。
一級神官であり最高神官であるアルバトロスは錫杖を手に月光に煌めくイベルダルクの像に祈りを捧げる。
「イベルダルクの最高神よ!我々の紡ぎし陽の言葉を捧げますっ!…………」
うやうやしく長ったらしくアルバトロスは神像に願いを捧げる。
フェリス達は跪き真剣に祈りを捧げる。
皆を横目にネモは考えを巡らす。
(そんな詠唱、私が嫌々覚えたイベルダルクの教えには無い…… )
ネモが悶々とする中、アルバトロスが詠唱を終え、ゆっくりと振り返り言葉を放つ。
「さて……お待たせしたね、茶番もここまでだ……では私に尽くすを選んだ二級神官達よ……久々の褒美を与えよう!」
人さし指を立てアルバトロスは詠唱を始める。
「イベルダルクの聖なる錠よ、贄に纏わり無限を描き、光の鎖で反逆の意思を絞め殺せ……逆徒尽縛陣」
「えっ!」 「何これっ!?」 ざわめくフェリス達。
その言の葉と共に足元に白く光る魔法陣が展開する。
そこから光の鎖が伸び上がり、その場に呼ばれた奉公人、ネモとフェリスを含む十人を後ろ手で拘束する。
(……これは……)
見立てでは明らかに力不足の最高神官から放たれる強力なイベルダルクの上位魔法、常に魔法攻撃に対してバレない程度にバリアを揺蕩せているネモですらもガッチリと捉えられる。
フェリスが戸惑い必死に問う。
「これは……最高神官様……どういう事なのでしょうか……!?」
その戸惑う様子を見てアルバトロスは気味の悪い笑みを浮かべ語る。
「君たちは供物さ、我を天に押し上げる柱どものな、繰り返し繰り返し、出涸らしになるまで、柱共の供物となれ」
「なっ……!」
詰問する間もなくフェリスは飛びついてきた二級神官に押し倒される。
「フェリス……君とは三度目だ……君の嬌声は最高だったよ」
「どういう意味なの!?」
「聞いた通りさ! 君は三度、私と夜を共にしているのだ、まあどうせ最高神官が忘れさせてくれる、まあ、また一緒にこの時を楽しもうじゃないか」
「ひっ……」
神官の邪悪な笑みと理解できぬ理解したくない現実にフェリスは絶句し恐怖する。
他の八人も全員、神官達に抱きつかれ押し倒される。
聖堂に響き渡る絶叫と嗤い声。
そしてネモも例外ではない。
「ずっとこの時を待っていたよ! ソフィ君」
ネモを受け入れた二級神官が眼をギラつかせながらネモに飛びかかる。
(そういう事ね、大体わかった)
そうするとネモは逆にその二級神官に飛びつき身を委ねる。
「!?」
「あの……まだ私……この様な事には不慣れで……上手く出来るか分かりませぬが……」
「え……いや……」
青く潤むその瞳で神官を見つめる。
「大恩ある貴方様でしたら、喜んでこの身をお捧げいたします」
「え……」
ネモの艶美に逆に気圧される。
さらにネモは接近して神官の胸元で囁く。
「でも……とても不安なので……祖母から教わったおまじないを唱えたいのですが宜しいでしょうか、その後で……誠心誠意、頑張ってお相手させて頂きますので……」
「ぁあ、もちろんだ……一緒に愉しもうじゃないか」
完全にペースを握りながら、そしてアルバトロスから自身を二級神官で隠すようにネモはその【おまじない】を唱え始めた。
「鉄筒、起伏、拒絶の不転。
踏み挿れ、立ち挿り、挿れ鉄、捩じ込み捻り巻け。
呪封繰巻檻外」
突如、冷たく美しい声で唱えられる、最上級の解呪の呪文。
刹那、神官の顔色が変わるか変わらないかの瞬間、光の鎖から解放されたネモの拳から強烈なボディブローが繰り出され神官の腹にめり込む。
一瞬で昏倒した神官はネモに覆いかぶさりもたれかかる。
(……おまえみたいなゲスに積極的になる奴なんかいないよ……さてとっ)
「きゃあーおやめくださいーっ」
まるで押し倒されるかの様な挙動を取りながら、迫真の棒演技をしつつ、ネモは信者が座る長椅子の物陰に隠れる。
「ふーっ……最悪の気分だね、一体全体、どうしたもんか」
絶叫の響く大聖堂でネモは逡巡する。
(少しジェラルドの推理とは違ったか……最高神官が部下に女性を充てがってる、そしてその恩返しとしてイベルダルク教内部で自身の地位を押し上げてもらう、ついでに弱みも握れるもんね)
ネモはこの教会堂で二級より三級の神官のほうが親しみやすく生真面目だった事にもこれで納得がいった。
おそらく女性を充てがわれることを拒絶した者は記憶を消され、そのまま冷遇、受け入れたものは優遇されアルバトロスを押し上げ、押し上げられたアルバトロスはまたこの下衆共を引っ張り上げて行ったのだろう。
(このままこの男を操作の魔法で操って、事の終わりに最高神官がかけるであろう記憶操作の魔法を見て力の出どころを探る、それが棺であれば後日盗み出して逃げる……これがベスト……記憶操作魔法は拘束の魔法の出来を見るに、今のうちに対抗呪文でも掛けとけば耐えられるだろ……)
「そう……これがベスト……」
そう呟くとネモは自身に対抗呪文をかける準備を始める。
「いやぁーっ!!」
「助けてっ……誰か助けて!」
響く女性たちの絶叫、苦悶の呻き、どうせ記憶を無くす彼女らにこの下郎どもが何をするか、ネモが分からぬ事はない。
「万が一正体がバレれば……いや、ここはイベルダルクの教会堂、バレる可能性の方が高い、ジェラルドがせっかく……そう……一番…………一番穏便に済む……」
「このような事お辞めください……神の教えを忘れたのですか……」
服を破かれ押し倒され、抵抗した際に殴られ頬に痣を付けたフェリスは唇から血を垂らしながら詰問する。
「ふふっ、おかしなことを言うんだな……その神の遣わした使徒がこの私なのだよ? そのまま抵抗しないで私を受け容れるんだな、ふははっ」
「くっ!」
もはや抵抗出来ぬ中でのせめての意思表示、フェリスは男を睨みつける。
「そう、その眼をしながら涙目で喘ぐ君が最高なのだよ! これを何度も何度も新鮮な気持ちで楽しめる、最高だっ! 嫌々神を信奉していた甲斐があったってもんだよっ!」
「……クズめ」
「ははっ神の使徒たるこの私にそんな事を言うとは罪深い……なれば一発、聖なる教えと共に殴ってあげよう、今回は君が何発殴れば心折れるのか試すのも良いな! 興奮が収まらんっ!」
神官はその拳を振り上げる。
「……っ!」
フェリスは眼をぎゅっと瞑り歯を食いしばる。
そしてその拳が振り下ろされようとしたその瞬間。
まるで爆弾が炸裂したかの様な轟音。
「きゃあっ!」
「うげぇっ!」
轟音と共に吹き飛ばされた石造りの長椅子がフェリスに跨るその男に直撃し吹き飛ばす。
その場に居た皆が驚きながらその轟音の爆心地に視線を向ける。
そこには巨大な氷の柱が氷煙を巻き上げながら屹立。
その屹立の勢いが椅子を弾き飛ばしたのだろう。
この場にいる人間全員が、この不可解な状況で思考が停止する。
まるで時間が止まったかの如く。
「いったい何が……」
ゆっくりと氷煙が晴れていく。
そこに一人の騎士が佇む。
「やっぱり駄目だよね……見て見ぬふりは出来ないし、しちゃいけない……それにフェリスさん、あなたの人生は……こんな奴等に汚されて良いものじゃあない」
美しい水色の髪、雪の様に白い肌、深く青く輝く瞳、それに合わせるかのようなサファイアで装飾された青い鎧と氷で構成された美しく輝く剣。
「ソフィ……なの……?」
フェリスは息を呑む、確かにその顔は数日を共に過ごしたソフィその者、しかしその表情、振る舞い、何より纏うオーラ、全てが冷たく美しい。
「…………」
ソフィ、いや白雪姫ネモ・アイソリテュードは無言で剣を翻し神官共を睨め付ける。