1-3 女装偽装で潜入捜査
山々の連なる景色、起伏の激しい荒れた街道、太陽の光は上から垂直に降り注ぎネモ達を熱く照らす。
街道を抜けたその先に見えたのは小さな農村、葡萄畑が一面に広がる。
そこに小高い丘一つ、頂上には中々豪奢な教会堂が建つ。
「やっと着いたよー」
大きな伸びをするネモ。
「聞いていたより意外と遠かったな」
溜息をつきながらジェラルドもつられて軽く伸びをする。
「起伏がすごかったからそう感じたのかな、飛んでいけたら楽なんだけどね」
「それやると最悪、正体晒しつつ宣戦布告する形になっちまうからなぁ」
「人生ままなりませんなぁー」
ネモはわざとらしく肩をすくめて首を横に降る。
「全くだ、あと見えたぞ、あそこがさっき話したイベルダルク教の寺院だ」
ジェラルドは丘の上の教会堂を指さす。
ネモの眉間にシワが寄る。
「こんなとこにまであんな奴らの宗教の施設があるとか、もう終わりだよ……」
毒づくネモにジェラルドは、人差し指を口に当てウィンクする。
そのウィンクにネモはまたウィンクを返す。
「ごめん、軽率だった、わかってる…………で、どうやって推理の裏付けをとる気なの?」
「そりゃもう潜入捜査よ」
そう言うとジェラルドはゴソゴソと自身の荷物を漁り始める。
「何々?」
横から覗くネモ。
「これだっ!」
ジェラルドが手に持つのは可愛らしい長袖のふわりとしたワンピース。
「……おいふざけんなよ」
急激にドスの効いた声に変わったネモはジェラルドの鬣を掻き毟る。
「痛い痛いっ! まだ何も言ってねぇだろっ!」
ネモは鬣をつかんだままジェラルドの頭を思い切り揺さぶる。
「じゃあジェラルドがこれ着んの? 着れないよね? 着ないなら何で出したのっ? おいこらっ!」
「まず作戦だけでも聞いてくれよ!」
喧々囂々二人は取っ組み合う。
そして五分後。
物陰に移動する二人。
「コホンッ……そう、お前は俺と行動を共にする親を失った美少女、俺は武の頂きを目指す修行僧、ここから十キロほど歩いた所に実際にある修練場で一ヶ月修行をするという設定だ、そしてその間に同行する少女を預かってほしいとあの寺院にそれなりの金を渡しながら頼む、そこでお前は媚びた上目遣いで−何でもご奉公致しますのでどうか一ヶ月面倒を見てください!!(裏声)−と頼み込む、できれば涙目になれれば尚良しだ! そして無事潜入したネモ・アイソリテュードは調査を開始! 棺に関する情報を探しに行くのだ!」
自信満々に作戦を披露するジェラルド。
その姿を冷たい表情で睨めつけるネモ。
「不満げだな! しかし全ての要素を考慮した上で! これ以上の作戦が有るか!?」
「僕の男性としての尊厳も要素として考慮していただけませんかねっ!」
「まあ二つ名が白雪姫なんだから今更だろう! それに女装したお前は美しいし可愛いぞ! その気になれば100%男を落とせる、余り不安になることはない!」
ジェラルドは自信満々にガッツポーズ。
「慰めるふりして精密的確に腹立つ所を抉りやがってっ! 僕がこんな格好してる理由知ってるでしょ? もう知らないからっ!」
ふてくされて道端でいじけるネモ。
「……ふーんだ」
しかしジェラルドの視界から外れる様子はない。
ジェラルドのほうをジロジロ見ている。
何とかして別の案をジェラルドから引き出そうと意地を張っているのだろう。
そのネモの嫌がる仕草にジェラルドは頬をポリポリと人差し指で掻きながら申し訳なさそうに言う。
「…………いや、まあその反応も予想してたんだがな……一番スマートに内情探れるのはこれなんだ……、武力行使で無理やり押し入ったとて他の支部に連絡されたり、偽装魔法で潜入するにも奴らも腐っても魔法のエキスパート、万が一バレたらまた面倒臭くなる、これで俺等の素性がバレたらこれからの事も何倍もやり辛くなる……申し訳無いが……頼まれてくれないか……」
急にトーンダウンするジェラルド。
これが元最高軍官でもある彼の考えうる一番スマートな方法なのであろう。
不貞腐れるネモは、流し目でジェラルドを見つめる。
「それがホントに一番なの?」
「今の手札ではな」
道端の、風でひらひら揺らめく青々した雑草を眺めながらネモは言う。
「……今回だけだからね」
翌日の朝……
「清き心で全身全霊でご奉公致します! どんな事でも! 何でも致しますっ! どうか…………どうか! 一ヶ月……面倒を見て頂けませんでしょうか!? 大恩あるレオルド様の武の道の邪魔にはなりたくないのです! ……うぅ……」
寺院の二級神官に可愛らしいワンピース姿で縋り付くネモ。
手を強く握りしめながら、詰め物で膨らました胸部をそれとバレない程度に相手に擦り付け、その青い瞳を潤ませ、まるでこれから愛の告白でもするのかと思わせる表情で見つめる。
その様子を見てジェラルドは感服する。
(やると決めたらやっぱりすげぇなこいつ……)
目の前で媚と艶美を振りまくネモに魅了され、狼狽しながらも二級神官は返答する。
「あ……あぁ、もちろんだ、偉大なるイベルダルクの神は寛大だ、君を神の奉公者として一ヶ月迎え入れよう……レオルド殿、彼女を、確かに一ヶ月、衣食住の面倒を見させて頂く」
「感謝致します……イベルダルクの神の懐の広さに、最大限の感謝を……」
そう言うとジェラルドはその場を去る。
ふと後ろを見やるとネモがこっちを向いて少し恨めしげにこちらに舌をだしている。
そして二級神官と共に寺院に消えていく。
「……すまねぇが頼むぞ……ネモ」
静謐、荘厳、建物の雰囲気を表すならばその言葉しか無いだろう。
白い魔石の柱、呪言の刻まれた壁、言霊を増幅する高級神字が床に張り巡らされている。
その様はこの列島の主、大地の星界神イベルダルクの力を雄弁に語っている。
「今は最高神官殿は帝都への緊急集会で留守にしていてね、六日後には帰ってくる、挨拶と洗礼はその後にしよう、それまではこの部屋で寝泊まりしてくれたまえ、先客が一人いるから、彼女に解らないことは聞くといい」
「はいっ! もし何か役に立てることがあればお申し付けを!」
邪気で出来た無邪気の仮面で一級神官に媚を売るネモ。
「あぁ、遠慮なく申し付けさせて貰うよ……」
ほんの一瞬の舌舐めずり、ネモは見逃さない。
(やっぱりジェラルドの推理はほぼビンゴなのかなぁ、不愉快だ)
思考を巡らせ踵を返し、寮に立ち入るネモ。
二段ベッド二つと間に机、最低限の生活スペース、椅子に腰掛ける修道服を着た二十半ばの美しい女性が一人。
「こんにちは! 今日からここで一ヶ月お世話になりますソフィ・フィロウと申します! 」
満面の笑顔、元気一杯で偽名を騙り握手を求めるネモ。
「あ……はい……私は……フェリスっていうわ」
入って来た可愛らしい少女に、女性は少し戸惑いながらも握手に応じる。
「フェリスさんって言うんですね、宜しくお願いいたします!」
ネモは深々とお辞儀を一つ。
「ふふっ……可愛い同居人さん、宜しくね」
「…………ありがとうございますっ! とりあえずここのルールとか色々教えてくれないでしょうか! よろしければっ!」
「うーん……そうねぇ……とりあえず……声のトーン下げたほうが良いかな、ここは奉公人の部屋が密集してて壁薄いから」
上品な仕草で人差し指を唇に当てフェリスは呟く。
「あ、ごめんなさい」
「うふふっ、元気な事は良いことだけどね」
いたずらっぽく笑うフェリス。
申し訳なさそうにかしこまるネモ。
弛まる空気、温かな日差し。
その中でネモはフェリスにここの生活における基本的なルールを教わる。
朝の六時に起床し大聖堂で礼拝、夜の十時に就寝、食事は質素な物が日に三回、湯浴は屋外の展望浴場で基本的には日に一度まで、月曜日から土曜日までは教会の掃除等の雑務を行い日曜日は朝の礼拝のみで休日、たまに土曜の深夜の洗礼の儀式に呼ばれる事もある。
それ以外は自由時間。
外出は許可制。
「……こんなところかな、他に聞きたいことはある?」
「いいえ、でも解らない事があれば都度質問させて頂きます」
「わかったわ、さっきも言った通り日曜日はやること無いから今日はゆっくりすると良いわ」
「はい! ありがとうございました」
翌日……
窓から注ぐ朝の光を照り返す、塩を振った果汁溢れる輪切りのトマト、横には薫香溢れる半熟のベーコンエッグと焦げ目のついたふっくらとしたパン。
一緒の皿の上で三者は食欲のそそる匂いを漂わせる。
その芳香の中で神官を含む三百人程の人々が両手を合わせて祈っている。
三級神官が祈りの締めを述べる。
「イベルダルクの星界神よ、貴殿の与えし幸福豊穣、感謝し、尽くし、死まで殉ずるを誓います」
その一文と共に皆は食事を始める。
「お……美味しぃー」
頬に手を当て打ち震えるネモ。
少しばかり涙目だ。
「いや…そんなに感動しなくても……」
呆れるフェリス。
「だって昨日の夜は少ししか無かったんですよ! 昨日お昼ごはん食べてなかった私にこの朝ごはんは逆に拷問ですよ!」
「そうだったの……まあ休息日は余り量はでないからね……というよりそんなんだったら昨日の晩御飯分けてあげたのに……」
「それは駄目です!」
ネモはフェリスに指を突きつける。
「フェリスさん細身なんですから、貴方こそいっぱい食べなきゃ駄目ですよっ!」
「あ……そ……そうねぇ……そうかな……」
そこに割って入る声一つ。
「食事は静かに」
先程の三級神官からの諌めの言葉。
「あ、はい、申し訳ございません……」
(あなたのせいでおこられたじゃないのよ)
(はい……すいませんでした)
三級神官が立ち退いた後でコソコソと二人で喋る、落ち込むネモと笑うフェリス。
「うふふっ……全く、元気な子ね」
「うぅ……」
光る大聖堂、ステンドグラスからの陽光で照らされる尊厳な女神像に奉公人が群がる、皆が美しいイベルダルクの神像を更に磨いて息切らす。
「ふひー……もうこんなに綺麗なのにまだ磨くんですかー」
既に綺麗な神像を磨く事に音を上げるネモ。
「音を上げないの、それに磨いているのではなくて磨かせて頂いてるのよ、そこ気持ち改めて頑張んなさい、あとそこ埃溜まりやすいから入念にね」
「…………了解しましたー」
昼食。
バターと共にこんがり焼けたパンで薄く切ったハムとレタスを挟み込んだサンドイッチをネモは豪快に齧り付く。
「まったまた美味しぃですねぇ……」
「いや……またそんなに感動しなくても……」
再度呆れるフェリス。
「だって今日は朝からあんなに動いたんですよ! それはお腹減りますよ!」
「ふふっ、そうだね、あと声のトーン下げてね、また怒られちゃうから」
「あ……はいすいません……」
しかし、皆の様子を見てネモは朝と違いそれなりの談笑ならば別に許されることに気づく。
「朝ご飯の時ほど静かにしなきゃいけないわけじゃなさそうですね」
「そうね、お昼はお祈りないし、それなりにおしゃべりしてもいいわ」
「ふーん、じゃあ私、フェリスさんの事聞きたいな」
はにかみながらネモは問う。
「私の事? 別に面白い事無いわよ?」
「お昼ご飯の添え物くらいにはなりません?」
「あははっ、頭ひっぱたくわよ?」
ネモに問われたフェリスは話す。
出自が親居ぬ孤児な事、決死で学んで高名な学舎に入り十七で恋人が出来た事、恋人が貴族で有る事に葛藤した事、十九で周りの反対押し切り通した貴族の夫と結ばれた事、二十一歳で事故で夫が死んだ事、同じ年に家を追い出された事、せめて神に夫の冥福祈るため、神に身を捧げる事を誓った事。
重く報われぬその人生、聞いてネモは涙目になる。
「うぅ……ご飯の添え物とか言って本当にすいませんでしたぁ!」
ネモは机に頭を叩きつけて謝罪する。
「ふふ、良いのよ……所詮昔話、添え物くらいにはなれた様で、私は満足よ」
寂しげに、優しく笑うフェリス。
「フェリスさん、ほんとに優しいですね」
「……別にそうでもないわ……でもそう思ってくれるのは素直に嬉しいわ……」
フェリスは持ったフォークを手持ち無沙汰でくるくる回す。
そこにネモが頭を叩きつけた音のせいで先の三級神官が近づく。
「…………食事は……静かにねっ」
「あ、はい、申し訳ございません……」
(まぁたあなたのせいでおこられたじゃないのよ)
(はい……すいませんでした)
三級神官が立ち退いた後でコソコソと二人で喋る、落ち込むネモと笑うフェリス。
「うふふっ……全く、あなたしょうもないわね」
「うぐぅ……ごめんなさい」
「いいよ……しょうもない可愛い妹が出来たみたいで私は嬉しいわ」
「……嬉しいけどもしょうもないを重ねないで頂けませんかね……」