第20話 黒龍よ、追憶と共に砕け死ね⑫
雲の切れた青空の下、漆黒のドラゴンは無様に仰向けに倒れていた。
巨体には縦横一閃の十文字傷が刻まれ、そこから赤黒い血が絶え間なく噴き出している。
皮一枚で繋がった顔には恐怖の表情が張りつき、虚ろな隻眼だけが空を見ていた。
強靭だった躯が、死後の痙攣で時折ぴくぴくと不気味に蠢く。
流石に気味が悪く、その死骸から数百メートルほど距離を取った場所で、ジェラルドを除く四人は傷の手当てをしていた。
「本当にありがとうございました。いや、この言葉では表しきれないほど……お二人には感謝しております」
メグミは、とくに重傷のネモへイベルダルクの治療魔法をかけながら言う。
「気にしないでよ。僕らメグミさんが好きだからやっただけだしね」
あっけらかんと答えるネモに、メグミはふっと微笑んだ。
「……恐縮です」
そこへ、応急処置を終えたラムがアガベに回復魔法をかけながら、ネモへ声を向ける。
「ところでネモさん、ジェラルドさんはあの怪我でどこへ?」
「ああ、ジェラルド? 腹減ったって、あのドラゴンの肉を切り取りに行ったよ」
「あの傷で? えっ……ていうか、食べる気なんですか、アレ?」
若干引き気味のラムに、ネモはけろりと答える。
「あの程度ならジェラルドはすぐ回復するよ。常に魔法で傷の治りを促進してるからね」
「はえー……」
「でも、治すための栄養がないと逆に体力を食いすぎて、すぐ衰弱しちゃうんだ。だから戦う時は結構食い溜めしてるし、こうやってデカいダメージを受けた後は多少無茶してでも飯を調達しに行くんだよね。今回は結構深手だし、なおさら」
「なるほど……」
「ていうかさ、ラムさん。ワイバーンは美味しそうに食べてたのに、ドラゴンは嫌なの?」
そう問われ、ラムは少し言い淀む。
「……いや、その、理屈では同じなんですけど……なんか嫌というか。なんかアイツ、無駄に表情豊かだったし……」
「ははっ、わからなくもないけど、ドラゴンって結構美味しいですよ」
そのやり取りを横で聞いていたアガベが、ふと口を開いた。
「そのジェラルドさんの高度な回復魔法に、ドラゴンを前にも食べたことがあるような口ぶり……何より、あのとんでもない実力。お二人って、本当に一介の旅の魔法使いなんですか?」
「あっ……」
何気ない疑問だったが、ネモはその瞬間、自分たちが実力を見せすぎたことを悟る。
言い訳を探そうと頭を回し始めたところで、メグミが先に口を挟んだ。
「そういうことを聞くのはよしましょう、アガベ。きっと深い事情がおありなんでしょう」
「そうですよね。すいません、つい気になっちゃって」
「私達は二人に助けられた。一生ものの恩義ができた。それで十分じゃないですか」
メグミはそう言って、まっすぐネモを見る。
「……ありがとね、メグミさん」
四人の間に、少しだけ気まずい沈黙が落ちる。
そこへ、豪快な声を張り上げながらジェラルドが戻ってきた。
背には、とんでもない量の赤肉を背負っている。
「皆さん、ひとまず飯にしましょう! 良い肉ですよ、こいつは!」
「はいっ」
「遅いよジェラルドー」
「うげっ、やっぱり食べるんだ……」
「俺はちょっと楽しみだなぁ」
肉を四人の輪の中へどさりと放り投げると、ジェラルドは魔法で釜を作り、火を焚べ始める。
これから始まるのは、恐怖に打ち勝った者たちの宴だった。
夕刻――
「美味しいっ! お代わりくださいっ!」
「どうぞどうぞ」
「ラム……あんなに嫌がってたのに、一番食べてるじゃない……」
山に陽が沈み、影が長く伸びる中、焚き火を囲んだ五人は龍肉に食らいついていた。
「ジェラルドさん、めっちゃ硬いっすけど、すげぇ美味いっすよ! なんかこう……肉食ってる感じがすごいっす! 甘酸っぱいソースもたまんねえっ!」
「はっはっはっ、そうでしょうそうでしょう。癖のない尾の肉をきっちり血抜きして、ハーブをまぶして一時間。その後、超高火力で中まで蒸し焼きにしてから表面を焦がす。そこへ、そこで拾った柑橘とベリーのソースを塗る。ただのステーキに見えて、結構手がかかっているんですよ」
得意げなジェラルド。
「流石です、レストランの味ですよこれはっ! ……でも脂身がない赤身だから、顎が死にそうですわ。ちょっと休憩しないと……」
「脂身も欲しいところですが、火龍は総じて脂が食えたものではないんです。高熱の体温で溶けないよう、脂の融点が馬鹿みたいに高い。少し火を入れたくらいでは、すぐ冷えて固まってしまいます」
料理の説明をしながら、ジェラルドは自分用に設えた骨付きの巨大な龍肉を、骨ごとばきばきと噛み砕いていく。
「はぁーっ……博識ですねぇ。なんかそういう本とか出せば売れるんじゃないですか? ジェラルドさんの料理、めっちゃ美味いですし」
その言葉に、ジェラルドの表情がほんの一瞬だけ固まった。
「……? どうしました?」
「ははっ、いや、なんでもないです。しかし、そこまで褒めていただくと照れますな」
「ジェラルドさんっ! もう一枚食べていいですか!?」
「ラム……流石に食べ過ぎじゃない……?」
たらふく食べたその夜。
夜警結界の内側で、政務官の三人は怪我と疲労、それに満腹感も相まって、深い眠りに落ちていた。
まさに泥のように眠る、というやつだ。
その熟睡ぶりを確かめると、ネモはそっと結界の外へ出る。
料理の残り火の前で胡座をかきながら、ジェラルドは小さな、炭のように黒い歪な宝石を眺めていた。
「抜け目ないねえ、ジェラルド」
夜警の魔法から出てきたネモが声をかける。
「食材調達のふりして、ドラゴンからきっちり炭の棺を抜いてるんだもん」
「三人には……見られたくなかったからな」
「もしかして、積極的にワイバーン料理してたのも、ドラゴンを解体することを怪しまれないためのカモフラージュ?」
「まあ、考えなかったわけじゃない」
「流石。僕なんて腹いっぱいになるまで炭の棺のこと忘れてたよ!」
「おまえマジかよ……」
「もしかしたら食べちゃったかと思って焦ったね」
「ははっ、ほざけ」
呑気な相棒に、ジェラルドは思わず笑みをこぼす。
「これでやっと八個目だね……」
「ああ。だが、これは今まで集めた炭の棺よりも遥かに力を感じる。ドラゴンに寄生して、魔力を溜め込んでいたせいだろう」
「いいね。五年も待った甲斐があったよ。こうやって他の炭の棺も肥えててくれたら楽なんだけど」
「まったくだ。小粒なものをいくら集めても、我らが主の復活には足りる気がしない」
「はぁー……どれだけ集めりゃいいのか。せめて数の目安くらいは残しといてくれよな、魔王様……」
しつこい熱帯夜の空に無数の星が浮かぶ下、ネモは大きくため息をついた。




