第21話 涙探しの迷い魔女①
ビッグピースシティ、セイリオス蔵書会館四階――
「悪かったっ! 俺たちが悪かった! 許してくれぇぇっ!」
月明かりとわずかな灯籠の光が、大量の蔵書棚をぼんやりと照らしている。
その隙間で、木床に血をこすりつけながら、四人の男女が這っていた。
鎧もローブも寄せ集め、武器も杖もばらばらだ。
流れの魔法使いなのだろう。
全身が切り傷と打撲だらけで、まともに立てる者は一人もいない。
そんな大人たちを、ゆっくりと追い詰める者がいた。
影のように黒い、四つ目の大型犬じみた生き物。
その背に腰掛けた、ひとりの少女。
「どうして……やめてって言ったのに、やめてくれなかったの?」
ゴシック調の衣装を揺らし、少女は銀の長髪をかき上げる。
覗いた赤い瞳には、感情がなかった。
「……ひっ……ヒイィィィッ!」
「叫んでないで、返事して。どうしてやめてくれなかったの?」
「ちっ……くしょおおぉおおっ!」
「イヤぁぁぁぁっ! 来ないでええぇっ!」
半ば錯乱した四人は、少女へ向けて武器と杖を突き出し、まとめて魔法を放った。
爆裂音が響き、少女の姿が煙に呑まれる。
一瞬の静寂。
「こ、今度こそ当たったか……?」
やがて砂煙が晴れる。
空中に張りつくように浮かんでいたのは、二枚の巨大な白い仮面だった。
不気味なほど無表情で、表面に少し煤がついている。
どうやら、魔法はすべてそれに防がれたらしい。
「クソおぉおおっ!」
四人は反射的に振り返る。
「ヒイッッ」
そのうちの一人の女が、声にならない悲鳴を漏らした。
「お話……できないの? なら、もうおしまいにするね?」
少女はすでに、彼らの進行方向へ回り込んでいた。
四人は弾かれたように反対側へ逃げ出す。
だが、今度は二枚の仮面が道を塞いだ。
少女と仮面に挟まれ、完全に行き場を失う。
「悪かったっ! もうしないっ! もうしないからっ!」
何度も聞いたその言葉に、もう価値はない。
そう切り捨てた少女は、静かに詠唱を始めた。
詠唱に呼応するように、二枚の仮面が四人を囲んで回り始める。
円を描き、高速で巡り、逃走を阻む障壁へと変わっていく。
「ああっ……ヤバいっ」
「助けてっ……誰かあぁああっ!」
――夢中説夢の蒼き薔薇、外道が語りて日が昇る、
心底奥底煮凝る慟哭、明けても暮れても心の臓から引き摺り潰す、
もう希望は要らぬ、大義等知らぬ、
辛く愛しき鬱屈よ、不条理とともに愉しく踊り、あの憎き、不平不服を磨り潰せ――
仮面に囲まれた四人の頭上に、暗く深く輝く紫色のエネルギー球が生まれる。
「イヤぁぁぁっ、やめてぇええぇっ!」
絶叫にも、少女は一ミリも耳を貸さない。
ただ静かにエネルギー球を指差し、詠唱の最後を告げた。
――動悸を鎮める鎮魂歌、血涙微笑傀儡ノ仮初――
エネルギー球が落ち、猛烈な紫光が炸裂する。
だが、揺れも破壊も起こらない。
残ったのは、静寂だけだった。
「……」
少女は無言のまま犬じみた生き物の背から降り、踵を返す。
「ブラド、それ、お外に出しておいてくれる? なんか食べ物持ってたら、食べてもいいよ」
「ウォウッ!」
生き物は元気よくひと声返すと、涙を流し痙攣しながら気絶している四人を、一人ずつ運び始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
引きずられながら、彼らはうわ言のように謝り続けていた。
――ドラゴン討伐から三日目――
気持ちよく暑い晴天の下、ジェラルドとネモはマウントアンダーへ足を運んでいた。
相変わらず荒っぽい喧騒に満ちた店内で、ジェラルドはいつものようにグラスを磨くマスターへ声をかける。
「マスター、ここに我々を探す政務官の方がいらっしゃいませんでしたか?」
「ああ、あそこだ。早く行ってやんな」
マスターが顎で示した先には、場違いなほど上品にコーヒーを飲んでいる女が一人。
メグミだった。
「あ、ネモさん! ジェラルドさん!」
「おお、メグミさん。どうですか、調子は」
「私は絶好調です! ラムとアガベはまだ怪我の療養中ですが、来週には復帰しますよ」
「それはよかった。仕事のほうはどうです?」
「いやぁ、いろいろ大変ですよ。今回の件で報告することも多くて……」
「でしょうなあ」
そう言いながらも、メグミはぱっと表情を明るくした。
「まあ、それはともかく! これが今回の報酬です。どうぞお受け取りくださいっ!」
メグミは現金の包み一つと、イベルダルク県政の判印が入った手形三枚をネモへ差し出す。
「今回、報酬まわりの事情が少し複雑でして……事務処理に時間がかかってしまいました。お待たせ致しました」
「いえいえ、ありがとうございます。わざわざすみませんな。全部現金払いなら、お手を煩わせずに済んだんでしょうが」
「まあ、旅を続けるのに札束や貨幣をいくつも持ち歩くのも邪魔ですしね」
「ありがとー、助かるよメグミさん♪」
手形を見ながら、ネモはすっかり上機嫌だ。
「何買おっかなー、何食べようかなぁ♪」
「ふふっ」
その無邪気さに、メグミは思わず笑みをこぼす。
「どしたの?」
「いえ。迫るドラゴンを前にして私の根性を叩き直してくれた貴方と、今こうして浮かれてる貴方の落差が、なんだかおかしくて」
「えぇ、そうかなぁ。そんなにギャップある?」
「ええ。あの時はとても頼もしくて格好よかったですけど、今は子猫みたいで可愛いですよ」
その一言に、ジェラルドが吹き出した。
「ブフッ! 確かに普段のコイツは、アホな子猫みたいなもんですな」
「あ、ひどいっ! メグミさん、アホとは言ってなかったじゃんっ!」
しばらくくだらない言い合いをしたあと、ネモとジェラルドもコーヒーとサンドイッチを注文し、席につく。
「ところでメグミさん……」
「はい。討伐の別れ際に頼まれた調べ物もやっておきましたよ」
「へ、なになに?」
メグミは懐から簡素な冊子を取り出し、ジェラルドへ手渡した。
「その小冊子の、二週間前のところです。お気に召すんじゃないかと思いまして」
「ねー、なんだよそれ」
「メグミさんにな、ほかの街のギルドクエストで何か妙な案件がないか、探してもらっていたんだ」
メグミが眼鏡をくいと上げる。
「別れ際に、今回のドラゴンの件みたいな奇妙な事件があれば教えてほしい、と頼まれましてね。政務官なら他市のクエスト情報も共有されていますし、秘匿案件でもありませんから。こうして一覧にして持ってきた、というわけです」
「ほんと抜け目ないな……」
感心するネモをよそに、ジェラルドは冊子へ目を落とした。
「この、ビッグピースシティのセイリオス蔵書会館占領事件……これのことですかな?」
「ええ。題目通り、ある魔法使いにイベルダルク県政管理の蔵書会館を占領された事件です。クエスト内容は犯人の捕縛、そして県政への身柄引き渡しですね」
「かなり大事のように見えますが、何か引っかかる点が?」
「ええ。何というか、それだけの事件なのに、妙に扱いが小さいんですよね」
「と、言いますと?」
「解決のためにギルドしか通してないんです。要するに、流れの魔法使いしか募集していない。扱いとしては、牧場で暴れる魔物を駆除してくれ、くらいの温度感です。私も、ジェラルドさんに頼まれて細かく調べるまで知りませんでした」
「ほう……」
「それこそ、占拠した相手次第では最高神官や、最悪の場合は天支神官が粛清に出てきてもおかしくない案件です。なのに、そこの政務官は大っぴらにせず、野良の魔法使いをしつこく雇って差し向けているだけ。それに――」
「まだ何か?」
「占領の前日、その近所にある県政直下の迎賓館の人間が全員、病院に担ぎ込まれる事件も起きています」
「何が何やら……」
さすがのジェラルドも眉をひそめた。
「しかも、それらが他所には最低限しか共有されていない。これは何かあるのでは、と思いまして。いかがでしたか? お望みの情報ならよかったのですが」
「いや、最高です。こういうのを探していたんですよ。流石です」
「それはよかった」
ジェラルドは顎髭を撫でながら続ける。
「重ね重ね感謝いたします。ところで、この件は……」
「わかっています。他言するようなことは致しませんよ」
「助かります」
「まあ、どんな事情があるのか気にならないわけではありませんがね。でも、ここのコーヒー代を払ってくれるなら、追及は致しませんよ?」
メグミは少し悪そうに笑った。
「はははっ、かないませんな」
「ははっ、メグミさん悪い大人ー」
「ふふっ。では、私は昼休みが終わってしまいますので、お先に失礼しますね」
「ええ。今回はありがとうございました」
「とんでもないです。また何かあれば言ってください。貴方たちには、返しきれない恩がありますから……」
颯爽と立ち去るメグミ。
初めて会った時のような力みは、もうその背中になかった。
「これからこの街の政治は変わるだろうな」
「今のメグミさんなら、何でもズバズバ片づけちゃいそうだねぇ」
「ああ。次にこの街へ来るのが楽しみだな……さて、食い終わったらビッグピースシティへ向かおう。急げば三日くらいか」
「おうっ!」
二人はこの先の予定を立てながら、昼食を進める。
ジェラルドの指先が、冊子の頁を一枚めくった。




