第19話 黒龍よ、追憶と共に砕け死ね⑪
曇天の下、雲間からわずかに差し込んだ陽光に目を細めながら、黒龍は眼前の女を見据える。
昔、嬲り、目の前で弟を殺してやった女だ。
仲間を屠り、またあのときのように腰を抜かして泣き喚く様を眺めてやろうと近づいたというのに、様子がおかしい。
あの青いチビに何か吹き込まれたか。
この俺に怒りを向け、倒れた仲間の前に立ちふさがっている。
――舐めやがって。
先程から、玩具どもはひとつとして思い通りにならない。
あまつさえ、自身にこれほどの傷を負わせてきた。
生涯で味わったことのない苛立ちが、黒龍の胸中で煮えたぎる。
「バオオオォオオオォッ!!」
ダメージで一時落ちていた黒龍の熱が、一気に噴き上がる。
乱暴に距離を詰め、メグミを切り殺そうと腕を振りかぶった、その瞬間。
――雷の精よ、螺旋を刻め。鉄心、磁転、鋼のゼンマイ。渦を貫く閃光を我が槍とし使役する――
――鉄貫飛雷針ッ!!――
鋭く巨大な雷槍が、黒龍の太腿に突き刺さる。
「ギエェエエエアアアッ!」
予想外の激痛に黒龍はもんどり打ち、大きく転倒した。
ただ撃っただけではない。ネモとジェラルドとの攻防で生じた深い裂傷を、メグミが正確に抉り抜いたのだ。
だが、黒龍は這いずりながらなおもメグミを叩き潰そうと、巨大な腕を振り上げる。
――破戒、犯戒、不敬、不遜、最高神への叛逆の、行き着く先果て、一事も成せぬと心得よ!――
――月神断壊壁っ!――
メグミの前に、分厚く白い障壁が出現する。
黒龍の一撃はそれに阻まれ、同時に、打ちつけた腕が白壁に灼かれて燃え上がった。
「ガァアッ!? ギエェエエエアアアッ!」
たまらず大きく距離を取る黒龍。
その顔は、怒りと屈辱でひしゃげそうだった。
その反撃を見て、ネモが笑いながら立ち上がる。
「あーあ、メグミさんがもっと早く本気を出してくれてたら、こんな怪我しなくて済んだのになぁっ! ……なあんてね」
全身火傷まみれ、息も絶え絶え。笑う膝を押さえ込みながら、それでも軽口を叩く。
「……っ、申し訳ございま――」
「ほら、謝らなくていいって」
言いかけた謝罪を、ネモは笑って遮る。
「メグミさん。僕とジェラルドがサポートする。ラムさんとアガベさんのガードも、こっちで見るよ」
「いや、ご無理をなさらず……」
「甘く見ないで。まだまだいけるよ。ね、ジェラルド」
ジェラルドも、よろめきながら立ち上がる。
「……ああ。たかが一撃で落ちるほど、やわじゃねぇ。だが、締めは貴方に任せますよ、メグミさん」
「そうそう。気持ちよくぶちかましちゃってよ!」
ぼろぼろになりながら、それでも二人はメグミを鼓舞する。
怒りと、頼もしさと、言い表しがたい熱が胸の内で一つに溶け、メグミの魔力を沸き立たせていく。
「キエエエエエェアアァァッ!」
そのあいだに黒龍は体勢を立て直し、怒りの咆哮を放つ。
空気が震え、大地が揺れる。
巨大な力のうねりが、恐怖となってメグミを包み込む。
だが、その恐怖をわずかに超える怒りと勇気が、今の彼女にはあった。
――イベルダルクの最高神よ! 御神に害成す逆徒共、屠る力をこの我に! 覇を和と成すため月を喰み、慈愛と共に創造せん! 破戒無慙を破滅に導け!――
ゆらりと光りながら、妖しく美しい二つの巨大な白い魔法陣がメグミの背後に展開する。
そして彼女は、詠唱の最後を雄叫びのように叩きつけた。
――燼滅巨神爪!――
爆音とともに魔法陣が砕け、その奥から、巨大でしなやかな二本の腕が姿を現す。
白銀の羽毛を纏ったその腕は、雲の隙間から差す陽光を照り返し、眩く輝いていた。
「うわぁぁ……綺麗……」
「燼滅巨神爪……神力で象られた、使用者の力と精神の映し身。これほど美しいものはなかなか見ないな……メグミさん、いけますか?」
「う……ぐぅ……いけます!」
ふらつくメグミ。
巨神爪の維持だけで、膨大な魔力が削られていく。
反動も来る。
しかしそこを長年溜め込んだ怒りの力で無理やり踏みとどまり、腰を捻って右の拳を引く。
巨神爪もまた、同じように右腕を引き絞った。
そこへ黒龍が、メグミを踏み殺さんと半狂乱で突進してくる。
巨神爪が見えていないわけではない。
だが、自分の力でこの状況を押し通せないなど、認められないのだ。
「ウゥオラァァアッ!」
メグミの腹の底から迸った怒号とともに、右の巨拳が放たれる。
黒龍の顔面に、カウンター気味の一撃が鋭く、重くめり込んだ。
――痛え、痛え痛えッ! 殺す、殺す、ぶち殺すッ!――
弱りきった自身を認められぬまま、黒龍は再び巨神爪へ猛進する。
白銀の巨神爪と漆黒の黒龍が、雲間から差し込む陽光を背に乱打戦を始めた。
拳がぶつかるたび、爪と牙が交錯するたび、並の人間なら立っていられぬほどに地面が揺れる。
「……すごい。めちゃくちゃ強いじゃん」
ラムとアガベを余波から守りながら、ネモが感嘆する。
「吹っ切れたおかげだな。制御にも迷いがない……しかし」
ジェラルドは見逃さない。
わずか数十秒の打ち合いで、メグミの魔力がもう限界に近づいていることを。
「ネモ」
「なに?」
「この戦い、メグミさんの勝ちに華を添えてやろうぜ?」
ジェラルドの掌に魔力が集まる。
長い付き合いの相棒の気配に、ネモは即座に意図を察した。
「いいじゃん♪ 最高にイケてる決着になりそうだ」
「だろ?」
――金屋子神よ! 熱く蕩かし堅く打てぇっ! 煉練鉄火!――
――氷の精よ! 淡き幻夜に奮い立つ! 霜杭の如く打ち立てよっ! 一夜破金の霜剣!!――
二人が同時に詠唱を終えると、メグミと黒龍の間に異変が走る。
大地からは赤熱する巨大な斧が、虚空からは氷水晶の大剣が、凄まじい勢いで飛び出し、黒龍に叩きつけられた。
「ブギャアッ!」
情けない悲鳴を上げて後退する黒龍。
眼前に浮かぶ二つの武器に、メグミが目を見開く。
「メグミさんっ! 使って!」
「……っ!」
瞬時に意図を理解したメグミは、巨神爪の右手に赤熱する斧を、左手に氷水晶の剣を掴み取る。
「ガァア……」
再び突進しようとした黒龍の動きが、止まった。
脚が竦む。
輝く二つの武器を両手に携えた白銀の巨神。
強力な魔法使い三人が作り上げたその威容に、黒龍は本能的な恐怖を覚えたのだ。
「行ったれぇぇ、メグミさんっ!」
「オラァァアッ!!」
振り下ろされる、二つの巨大な刃。
――なんだ……この力っ!? これが……恐ろしい? やめろっ! この俺が……この俺がァッ!?――
肉を裂く音。
焼ける音。
凍りつく音。
その生涯で初めての恐怖を味わう間もなく、黒龍の身体は十字に断ち裂かれ、傲慢な生は、そこで終わった。
巨体は天を仰いだまま崩れ落ち、地を震わせて動かなくなる。
白銀の巨神爪はなおも天を裂くように掲げられ、その中心でメグミは荒く息をついていた。
怒りも、恐怖も、まだ胸の内で激しく燃えている。
だが少なくとも彼女はもう、あの日の自分ではなかった。




