第12話 黒龍よ、追憶と共に砕け死ね④
メグミ率いる調査隊一行は、大きな湖のほとりへと出た。
「ここを一周してみましょう。水場なら、痕跡が残っているかもしれません……」
顔色は明らかに悪い。それでもメグミは足を止めず、努めて淡々と調査を進めようとしていた。
その背を見ながら、ネモがジェラルドへ念話を飛ばす。
(ねえ、ジェラルド)
(なんだ)
(ここ、僕たちがさっさと本気出して狩っちゃわない? メグミさん、このままだと……)
ジェラルドは静かに首を振った。
(それは避けたい)
(なんでさ)
(実力のあるイベルダルクの政務官の前で、ドラゴンを二人だけで討つ。倒したのは、金属の魔法を使う獅子顔の大男と、氷の魔法使いの青髪の青年だ。……その話がどこまで広まると思う?)
ネモは小さく息を吐く。
(……勘づく奴は出るかもね。獅子軍神と白雪姫、ってね)
(そういうことだ。今回はあくまで、腕の立つ冒険者として動くべきだ。理想を言えば、彼女らに討たせて、俺たちは腕前だけ見せて支える。それが一番きれいに収まる)
(でも……)
ネモは前を行くメグミを見つめ、眉を寄せる。
(理想は理想だ。どこまで本気を出すかは、その場で決める。必要なら念話で詰めよう)
(……わかった)
目立たぬよう、だが見落としのないように周囲へ視線を配りながら、一行は湖岸を進んでいく。
そのときだった。
「ギャアアアァァァッ!!」
静けさを引き裂くような咆哮。
鮫のような頭部に大きな翼を備えた水生ワイバーン三頭が、湖面を割って飛び出し、そのまま五人へ襲いかかってきた。
「うぐっ!?」
「くっ!」
「きゃあっ!」
ネモとジェラルドは辛うじて身をかわしたが、メグミ、ラム、アガベの三人はまともに衝撃を受け、派手に吹き飛ばされる。
しかも悪いことに、体勢を崩したラムが三頭のちょうど中心へ転がり込んだ。
「っ……くぅ!」
ラムは慌ててレイピアに手を伸ばす。
だが遅い。
三頭の水生ワイバーンが、ほとんど同時にラムへ飛びかかった。
「クソッ、煉錬鉄火ァッ!」
ジェラルドが地面を叩き、詠唱破棄で魔法を発動する。
直後、地鳴りと共にラムの足元から岩の檻がせり上がり、彼女を囲って守った。
三頭のワイバーンはその檻へ激突する。
だがそこで止まらない。
獲物を逃すまいと、狂ったように岩へ噛みつき、砕き始めた。
「きゃあぁっ!!」
「ネモッ!」
「わかってる!」
ネモとジェラルドが駆け出そうとした、その瞬間。
白い影が、疾風のように三頭の間を切り裂いた。
「――っ!」
一瞬遅れて、メグミがラムを抱えたままネモとジェラルドの前へと着地する。
あまりに速い。
ワイバーンたちは、獲物が檻の中から消えたことすら理解できず、三頭でもつれ合うようにもんどり打っていた。
「メグミさん!?」
「速っ! ていうか大丈夫なんですか!?」
「なんとか……!」
ラムを下ろしながら息を乱すメグミ。
しかしすぐさまワイバーンに向きなおる。
「チャーンス! びっくりさせやがって!」
安堵したネモは、そのままワイバーンたちへ歩み寄りつつ詠唱に入る。
―さざめけ、揺蕩え、氷の蝋燭。火も付けられず虚しく漂うその御身、せめて鋭く、怒涛の如く、敵を貫け!―
湖の水が持ち上がる。
宙へ浮いた水塊は、ばきばきと凍りつきながら、溶解と凍結を幾度も繰り返し、無数の鋭い氷柱へと形を変えていく。
狙いは定まった。
【千本氷柱!】
ネモが指をくいと払う。
それに従うように氷柱の群れが一斉に走り、水生ワイバーン三頭をまとめて貫き砕いた。
夕方。
遠くでワイバーンの鳴き声が木霊する中、一行は負傷の手当てと早めの野営準備に追われていた。
「ジェラルドと僕で夜警の魔法と野営の準備をします。メグミさんは、お二人の治療に集中してください」
「はい……本来は我々がやるべきことまで……申し訳ございません」
「気にしないでください♪」
ネモがひらひらと手を振る。
メグミはその背を見送ると、小さく息を整え、腕まくりしてラムとアガベへ向き直った。
「メグミ様……本当にありがとうございます。それと……申し訳ございません」
「私も……情けないです……」
二人とも、今日の調査が途中で止まったことに責任を感じているのだろう。顔に疲労と後ろめたさが滲んでいた。
メグミはふっと微笑む。
「ふふ。私だって吹き飛ばされたでしょう。それに、あのお二人がいなかったらどうなっていたかも分からない。情けないのはお互い様よ」
そう言って、ラムの血が滲む脇腹へ手を添える。
―世界よ、巡る常世、連々遷ろう魂の命脈、イベルダルクの星界神の御力で、暫しこの手に留めたまえ―
掌がやわらかな光を帯びる。
―命脈握操掌―
「あぐぅっ……!」
「我慢して」
急速な治癒が、反動の激痛となってラムを襲う。
光の中、短い沈黙。
やがてメグミが手を離した。
「どう?」
「はいっ、完全に戻りました!」
ラムはその場で立ち上がり、身体をひねって確かめる。
もう痛みは残っていないらしい。
「よし。次はアガベね」
「お願いします」
再び優しい治癒の光が灯る。
そうして調査二日目の陽は、ゆっくりと地平の向こうへ落ちていった。
星ひとつ見えぬ夜。
一行は、ジェラルドが魔法で設えた簡易のコテージの前で焚き火を囲み、その日仕留めた水生ワイバーンを使った料理を口にしていた。
「う……美味いです、これっ! 白身魚みたいにぷりぷりなのに、鶏肉みたいな濃さもある!」
「しかも酸味のあるドレッシングで締まってて、全然くどくないです!!」
ラムとアガベが感嘆の声を上げる。
それを受け、料理人ジェラルドは少し得意げに顎髭を撫でた。
「新鮮な水生ワイバーンの、脂の乗った部位を筋を断つように切ります。そこへオイル、胡椒、森で採れた柑橘とハーブのドレッシング、素材がいいと、簡単な調理でもここまでになるのです」
「こ、これは……白ワインが……」
「あの、その……怪我してた分際であれなんですが……」
ラムとアガベがちらちらとメグミを見る。
それを見たメグミは、堪えきれずにくすりと笑った。
「程々にね」
その言葉を合図に、二人はコテージに仕舞っていた備蓄へ駆けようとする。
だが、その瞬間。
「ラムさん! この備蓄に入ってた白ワイン飲んでいい!?」
勢いよくコテージから飛び出してきたネモが、すでに白ワインを抱えていた。
「早いっ!?」
「いつの間に……!」
三人はそのまま酒盛りを始める。
杯を配りながら笑い合う姿を横目に、メグミは少し肩の力を抜いた。
「まだ二日目ですが……お二人には、もう十分以上の手間をかけさせてしまいました」
「お気になさらず」
ジェラルドは即答した。
「戦うのは金を貰ってやる仕事。寝床を作るのと料理をするのは私の趣味みたいなものですから」
「……そう仰っていただけると助かります」
話しながらメグミは、ネモにたっぷり注がれた白ワインを受け取る。
そこでジェラルドが何気なく言った。
「それにしても、先程のあなたの動きは見事でした」
「あ……ありがとうございます」
「小型ワイバーン一頭にあれほど硬くなっていた方が、三頭に囲まれた仲間のもとへ一直線に飛び込んだ。どういう違いがあったんでしょうな」
「どうして……でしょう。ラムが危なかったから、でしょうか……」
「ご自身では、まだ掴めていませんか」
「……?」
ジェラルドは少しだけ考え、それから唐突に吠えた。
「があぁっ!」
同時に調理で残った水生ワイバーンの生首を、メグミの目の前へ突き出す。
「きゃああっ!!」
メグミが悲鳴を上げ、場が凍りつく。
彼女は胸を押さえ、冷や汗を浮かべながらジェラルドを睨んだ。
「なっ……何のつもりですか、ジェラルド様!」
「怖かったですか?」
「当たり前です!」
「ですが、市街地で飛んできたワイバーンほどではなかった」
ジェラルドの声は静かだった。
「グラスを落とさぬよう、無意識に手元をかばう余裕まであった。あなたの苦手な“ワイバーンの生首”を突きつけられたのに、だ」
「……あれ?」
メグミが戸惑う。
自分でも、その差に今ようやく気づいたらしい。
「こいつ、骨格はともかく、見た目があまり典型的なワイバーンじゃないんですよ」
ジェラルドは生首を軽く揺らした。
「つまり、あなたの恐怖は“ワイバーン全般”に対するものではなく、弟さんを殺した個体に近い形状――翼を持ち、首が長く、あの夜の記憶と重なる姿に強く引っ張られている可能性が高い」
「……なるほど」
メグミの表情が変わる。
「私、頭の中で、“ワイバーン全部が駄目だ”と思い込んでました。でも実際には、完全に一括りでない……」
「そういうことです」
ジェラルドは頷いた。
「市街を襲うのは、翼を持った標準的な飛行型が多い。最悪の形を、いきなり正面から踏まされた。そりゃ動けなくもなります」
「……はい」
「だが、ここには水生、土棲、非飛行型、他にも色々いる」
焚き火の向こうから、ジェラルドは真っ直ぐメグミを見る。
「どうでしょう、メグミさん。任務の遅れは承知の上で、少し時間を取る。姿の違うワイバーンを相手に、段階的に慣れていく。トラウマを削り、それから本命のドラゴンへ向かう。そういう手順に切り替えるのは」
「それは……」
あまりにも予想外の提案に、メグミは言葉を失う。
だがその視線の先で、水生ワイバーンの瞳に焚き火の炎が揺れていた。
逃げるたび、あの夜の炎も、あの夜の悲鳴も、自分の中で生き続ける。
なら、どこかで向き合わなければならない。
メグミはゆっくりと拳を握りしめた。
「お願い……いたしますっ!」
迷いを振り切るように、深く頭を下げる。
その顔には、確かな覚悟が宿っていた。




