第11話 黒龍よ、追憶と共に砕け死ね③
相変わらずのどんよりとした雲の下、メグミを先頭に五人は山道を進んでいた。
あちこちから、ワイバーンの雄叫びや、獲物の断末魔めいた悲鳴が聞こえてくる。
昨日よりは、メグミの顔色も幾分ましだった。
ラムとアガベに支えられ、自分の役目を思い出し、どうにか気力を繋いでいるのだろう。
しばらく誰も口を開かぬまま歩いていたが、やがてジェラルドが前を行く三人に声をかけた。
「ところで御三方……貴方達はどの程度、どの系統の魔法が使えるのでしょう? いざ交戦となった時の為に、そこを把握しておきたいと思うのですが」
メグミがはっとしたように振り返る。
「そ、そうでした……まず確認すべきはそこでしたね、申し訳ございません、私が切り出すべきでしたのに……」
恐怖に気を取られ、連携の基本すら抜け落ちていたことに気づいたのだろう。メグミは小さく頭を下げてから、歩調を緩めずに答えた。
「我々は基本的に、イベルダルク系の上級魔法までは扱えます。銀練一喝や月光岩穿など、有名どころはひと通り。練度についても……多少の自負はあります」
「ほう……イベルダルクの上級まで……」
ジェラルドが感心したように唸ると、メグミは静かに頷いた。
「我々は神都付きの公務官ですので。実力さえ伴えば、行使は許されております、後、私はそれとは別に雷の魔法を多少習得しています」
「なるほど。素晴らしい」
そう言ってから、今度は自分のことを語る。
「私は基本的な術に加えて、大地や武具の神々と契約しています。詠唱の隙さえもらえれば、このあたり一帯の地面を使って壁や足止め、罠、あるいは即席の武器を作れると思ってくれれば」
「この一帯を、ですか……」
メグミが思わず目を見開く。
「それは頼もしいですね。いざという時は、遠慮なく頼りにさせていただきます……ネモ様は?」
話を振られたネモは、軽く肩をすくめた。
「僕は氷狼王とか、氷の精霊さん達と契約してるよ。普通のワイバーンくらいなら、一発でどうにでもなると思う」
「……くらいなら、ですか」
「ただ、ご存じの通り氷の大技は詠唱が長めのものが多いからね。だから時間を稼いでもらえると助かる。でも剣も使えるし、そこまで気を遣ってくれなくても平気かな」
その言葉に、ラムとアガベが同時に目を丸くした。
「氷狼王……!?」
「あの、氷狼王ですか……?」
ネモが「うん?」という顔をすると、ラムが遠慮がちに続ける。
「氷狼王と契約できるのって……質素倹約を尊ぶ生き方をしている者だけでは……」
「ネモ様、昨日、酒も肉もかなりいってましたよね……それに、そのアクセサリーも鎧も、どう見ても相当な品ですし……」
ネモは気まずそうに頭を掻いた。
「いやあ……そのへんは、ちょっと色々事情がありまして……」
咳払いひとつ。
メグミが二人の言葉をやんわり遮る。
「個々の事情を詮索するのはやめましょう。今は、誰が何をできるか。それだけ共有できれば十分です」
「……申し訳ありません、出過ぎました」
ラムとアガベがネモに頭を下げる。
ネモは苦笑しつつ、軽く手を振った。
「あはは、気にしなくていいですよ。疑問に思うのは当然ですし。でもまあ、氷狼王の教えに反してるわけじゃないから、その点だけはご安心を」
「そう……なのですか」
「うん、でもお互い今できることだけは隠し事なしでいきましょう」
その言葉に、メグミはまっすぐ頷いた。
「承知しました。互いに誠心誠意、力を尽くしましょう」
そこで、アガベがわずかに口ごもった。
「……でしたら、メグミ様もひとつ、話しておいた方が良いことがあるのでは」
「何のことですか」
「昨夜……修練場で、少し」
メグミの顔がわずかに曇る。
「……見ていたのですね」
「あれほどの魔法です。いざという時のためにも、伏せたままには……」
「ですが、あれは……」
メグミはほんの少し、言葉を選ぶように間を置いた。
「あれはイベルダルクの最上級魔法です。まだ私には制御しきれません」
こそこそと交わされていた話に、耳の良いジェラルドがすぐさま反応した。
「申し訳ないが、全部聞こえていますよ」
アガベが飛び上がった。
「あっ……」
「も、申し訳ございません、メグミ様っ!」
ジェラルドは気にした様子もなく、淡々と問い返す。
「最上級魔法と言いましたが……」
その瞬間、場の空気がぴんと張る。
そして、その張り詰めた空気を、よりにもよってネモがぶった切った。
「最上級って、燼滅巨神爪っ!?」
メグミが目を見開く。
「なっ……なぜ、その名を?」
「えっ。あ、いや、そんな驚くところ!? 痛って!」
今度はネモの方が驚く番だった。
思い切りネモの背中を抓りながらジェラルドはネモに念話を飛ばす。
(普通の人間はな、イベルダルクに最上級魔法があることは知っていても、その名前までは知らねえんだよ!)
(あ……ごめんっ!)
(もういい。今さら引っ込められん。知っている理由だけ取り繕うぞ)
ジェラルドは何事もなかったような顔で咳払いした。
「こいつは昔その魔法を目の前で見ていましてね、イベルダルクの最上級魔法というと燼滅巨神爪だと思ってる節がありまして、私もその語りを酔ったこいつから何度も聞かされているんですよ……」
「いや……私が最上級魔法を使えるのは事実でございますが、いや……その……」
微妙な沈黙が落ちる。
メグミはなおも戸惑っていたが、やがて観念したように息を吐いた。
「……これから生死を共にする相手に、隠し続けるべきことでもありませんね」
足を止めぬまま、彼女は静かに言った。
「確かに私は、燼滅巨神爪を発動できます」
ラムとアガベはもちろん、ジェラルドまで目を細める。
それほどの重みを持つ名だった。
「ふむ……だが、それが本当なら本来、ワイバーン相手にそこまで追い詰められる理由はないはずですが」
メグミは自嘲気味に首を振る。
「発動できる、というだけです。まともに制御できません。形にはなりますが、巧く動かせない。維持も長く続かない。実戦で切り札として扱うには、まだ未熟です」
「それでも十分すごい話だ」
ジェラルドは率直に言った。
「そもそも、出すこと自体が常人にはほぼ不可能な魔法でしょう。曲がりなりにも扱えるなら、それだけで頼もしい」
「……そう言っていただけるのはありがたいです」
メグミは苦く笑う。
「ですが、この様にワイバーン相手に腰が引けている現状では、とても胸を張って任せてくださいとは言えません」
「ふむ……では……」
ジェラルドが低く言いかけた、その時だった。
「ガアァァァァッ!!」
雷鳴のような咆哮が山道を引き裂く。
赤鱗のワイバーンが、岩場の陰から一気に飛び出し、五人めがけて突撃してきた。
「来たっ!」
「速い!」
反応したのはネモとジェラルドが先だった。
―一夜破金の霜剣!―
―煉錬鉄火!―
詠唱破棄。
ネモの手に氷の剣が、ジェラルドの手に岩鉄の斧が一瞬で形成される。
二人は左右に散るように踏み込み、交差する軌道でワイバーンを迎え撃った。
「アギャアァッ!!」
ネモの剣が片翼を裂き、ジェラルドの斧が前脚の腱を断つ。
空中で体勢を崩したワイバーンは、悲鳴を上げながら地面へ激突し、もんどり打って転がった。
その隙を、ラムとアガベは逃さない。
―イベルダルクの護り神! 貴殿を害する不届き者に、清らかな神の鉄槌を、銀錬一喝!―
ほぼ同時に放たれた二つの白銀の鉄槌が、転がるワイバーンを容赦なく叩き潰す。
激音。
石が砕けるような衝撃。
押し潰された肉と骨が弾け、血と臓腑が周囲へ飛び散った。
ワイバーンは血を花のように吹いて、それきり動かなくなる。
鮮やかな連携だった。
その中で、ただ一人。
メグミだけが、二歩、三歩と遅れていた。
遅れてレイピアを抜き、遅れて構え、遅れて踏み出す。
その手は細かく震え、呼吸は浅い。
それでも腰を抜かさず、逃げず、前を向いた。
ネモたちの目には、それはトラウマに抗って立つ姿に見えた。
だがメグミ自身が見ていたのは違う。
血だまりの向こう、絶命したワイバーンの濁った瞳に映る自分。
そこにいたのは、勇敢な政務官ではない。
仲間が片づけ終えた後でようやく剣を抜く、みっともない怯えた女だった。
「……畜生」
メグミは震えるレイピアを見下ろし、誰にも聞こえぬほど小さく吐き捨てた。




