第13話 黒龍よ、追憶と共に砕け死ね⑤
山の端から朝日がのぞき、森の奥へ淡い光が差し込む。
足元にはまだ夜の薄闇がこびりついていて、湿った土が靴裏に重かった。
その中を、メグミは一歩ずつ確かめるように進んでいく。
「はぁ……はぁ……」
呼吸は浅い。
顔も強張っていた。
今の彼女は、自ら陽動の魔法を纏い、ワイバーンの注意をわざと自分へ引きつけている。
背後では、ジェラルドが張ったドーム状の隠密結界に包まれたネモ、ラム、アガベの三人が、気配を殺して続いていた。
「メグミ様……かなり辛そうですね……」
「ええ……体の動きが硬いわ……」
「大丈夫かなぁ……」
三人の声も自然と小さくなる。
昨夜決めたのは、まともな医者が聞けば眉をひそめるような荒療治だった。
メグミが先頭に立ち、比較的“ワイバーンらしくない”個体の生息域へ踏み込む。
交戦を重ね、恐怖に体を慣らしていく。
限界が来たら、結界の内側から三人が即座に割って入り、救出と応戦を行う。
無茶だ。
だが、それでもメグミは自分からその案を選んだ。
足取りは重いながらも、止まってはいない。
怯えの中に、はっきりと覚悟が滲んでいた。
――昨夜。
ジェラルドの提案を受け入れ、トラウマと向き合うと決めたメグミは、料理を酒で流し込みながら、それでもどこか申し訳なさそうに皿を差し出した。
「図々しいお願いですが……もう一杯、頂けませんか。明日に備えて、少しでも食べておきたくて」
「図々しくなどないですよ。むしろそのつもりで用意しています」
ジェラルドは皿を受け取ると、追加の料理をよそうために席を立つ。
その背を見送りながら、ネモは焚き火の赤を眺めて口を開いた。
「ところでメグミさん」
「はい、何でしょうか」
「答えにくかったら流していいんですけど……何で政務官なんかになったんですか? イベルダルクの政務官って、なるのも大変そうだし、なった後も大変そうだし、その上こんな無茶まで押しつけられるんでしょ。僕だったら、その時点でキレて辞めてるなあって」
その言葉に、メグミだけでなくラムとアガベも、苦いものを噛んだように笑った。
「確かに……大変な事ばかりです……でも、正したいことが、私にはたくさんあるんです」
「正したいこと?」
ほんの少し、顎に手を当て考え込むメグミ。
そしてゆっくりと話し出した。
「……私が子供の頃、ワイバーンに襲われた夜、本来鳴るはずの警報は鳴りませんでした」
「えっ」
「夜警の担当者が、疲れて居眠りしていたんです」
「うわぁ……」
「街の防護を担う魔法使いたちも、すぐには来ませんでした」
「駄目じゃん」
「当時の市政が、経費削減と称してギルドへの支払いを削っていたからです。彼らは、割に合わないと動かなかった」
「最悪だね」
「そして、ようやく現れた当時の政務官は、ワイバーンに尻尾で小突かれて、そのまま逃げたそうです」
「おいおい……」
「しかもその人が、夜警の人数まで減らした張本人でした」
「はぁっ!? 何それ!」
「ちなみにその政務官、今はソルトマウント市政の副長官です」
「何でだよっ! めちゃくちゃじゃん!」
ネモが本気で顔をしかめる。
メグミは苦笑しながら、眼鏡をそっと押し上げた。
「そうなんです。昔から、ずっとめちゃくちゃなんです」
「どうにかしないと……あっ」
「ええ。だから私は政務官になりました」
メグミの声は静かだったが、その奥には固い芯があった。
「政治は滅茶苦茶でも、ソルトマウントは私の故郷です。家族との思い出が詰まった、大切な街なんです。貧しくても、雑でも、あの街には確かに良いところがある。だから、誰にでも分かるような失策で、私みたいな思いをする人を減らしたい。笑える人を増やしたい。そう思ってここまで来ました」
「……それ、すごい事ですよ!」
少し興奮するネモ、それに少し怯むメグミ。
「そ……そうでしょうか」
「めちゃくちゃ格好いいですよ! 自分のことばっかり考えてる僕とは大違いだ」
ネモが素直に言うと、メグミは少しだけ目を丸くした。
「いえ、そんな……」
「明日は頑張りましょうっ!」
「声がデケぇよ」
「イテッ!」
料理を持って戻ってきたジェラルドが、皿の裏で軽くネモの頭を叩く。
「夜警の魔法を張ってても、でかい声を出したら台無しだろ」
そう言いながら、ジェラルドはその皿をメグミへ差し出した。
「ですが、私も言いたいことはネモと同じです。貴方の志には頭が下がります。明日は全力で協力しましょう」
「……ありがとうございます」
部外者に近い二人が、自分の事情を聞いた上でなお、報酬以上の働きをする気でいてくれる。
その事実が、メグミの胸の奥に火を灯した。
自身がなぜ震えながらもここに立っているのか、それを昨夜改めて思い出したのだ。
◇
しばらく進んだ、その時だった。
空の高みで、鋭いワイバーンの咆哮が響く。
全員の意識が一瞬そちらへ向いた、次の瞬間。
「グゥ゙オォオオオッ!」
くぐもった咆哮とともに、メグミの足元の土が爆ぜた。
地中から何か巨大なものが突き上がり、土塊が四方へ飛び散る。
メグミは反射的に身をひねり、横へ跳ぶ。
間一髪で距離を取ったその視線の先、土煙の中から異形が這い出してきた。
ワイバーン。
そう呼ぶべきなのだろう。
だが、その姿には生理的な嫌悪を催す違和感があった。
顔面から無造作に突き出た鋭い牙。
どす黒い肌は鱗とも毛ともつかず、ぬめるような、人の皮膚を思わせる質感。
白濁した瞳は焦点が合っておらず、土を掘るためか、翼脚の爪だけが異様に発達している。
翼は硬質化し、岩の板を貼りつけたように重たく歪んでいた。
「やっぱり来たか。地中に潜る型のワイバーンだ」
「うわっ、気持ち悪っ!」
「あれもワイバーンなんですか!?」
「普通のより嫌なんですけど!?」
結界の内側でこそこそと三人が好き勝手に騒ぐ。
その声を背に受けながら、メグミはレイピアを抜いた。
姿は違う。
だが、やはりワイバーンだ。
手は震える。
脚も少し強張る。
それでも――前には出られる。
「グヴォッ!」
異形のワイバーンが、低く身を沈めたまま爪を振り上げる。
メグミは紙一重でかわし、すれ違いざま、脇腹と太腿の付け根へ二閃。
血管を狙った鋭い刺突が、深々と食い込んだ。
「グヴゥォッッ!」
鮮血を撒き散らし、ワイバーンが地をのたうつ。
メグミは冷や汗を頬に流しながらも、柄を握り直した。
「……よし……動ける……!」
自分に言い聞かせるような、小さな声。
だが次の瞬間、ワイバーンは傷をものともせず身を起こし、再び突っ込んできた。
今度は硬質化した翼を、巨大な棍棒のように叩きつけてくる。
ズドン――岩石が落ちるような衝撃。砂煙が舞う。
手応えがないことに気づいたワイバーン、野生の勘が危機を感じたのか、大きく身を翻す。
その瞬間、ワイバーンがさっきまで居た場所に轟音とともにクレーターが出来る。
――メグミだ。
大きく上に跳躍して避けた彼女が、落下の勢いをそのまま乗せ、魔法で強化したレイピアをワイバーンの頭へと突き立てようとしたのだ。
「獣のくせに勘がいい……!」
メグミが舌打ちする。
ワイバーンは彼女の動きの鋭さを学習したのか、今度は不用意に踏み込まず、大きく距離を取った。
そして口を開く。
「グヴァアアァッ!」
喉奥から吐き出されたのは、土塊だった。
体内に溜め込んだ土を粘液で固め、弾丸のように連射してくる。
まるで土のガトリング砲だ。
メグミは再度レイピアを構え、飛来する土塊を次々と打ち払った。
硬い音が連続して響く。
だが、防ぐだけでは押し切られる。
彼女は右手に力を込め、詠唱を始めた。
―雷の精よ、螺旋を刻め。鉄心、磁転、鋼のゼンマイ。渦を貫く閃光を、我が槍として使役する―
空気がびりびりと震えた。
散った火花のような電光が周囲から引き寄せられ、メグミの右腕へと束ねられていく。
やがてそれは、眩い一本の槍の形を取った。
―鉄貫飛雷針ッ!―
放たれた雷槍は、音よりも速く空気を裂く。
ワイバーンが避ける暇はなかった。
吐き出しかけた土塊ごと、頭部から上半身をまとめて撃ち抜く。
閃光。
爆音。
森の影が白く裏返る。
次の瞬間には、ワイバーンの上半身は消し飛んでいた。
残った下半身がぶすぶすと煙を上げながら崩れ落ちる。
森に静けさが戻る。
肩で息をしながら、メグミはしばらくその場に立ち尽くした。
やがて、震える唇で、かすかに声を漏らす。
「……やった……倒せた……!」




