27.帰還 sideマリエーヌ
「マリエーヌ様。何か嬉しいことがありましたか?」
「え?」
午後のティータイムとなり、リディアが淹れてくれたお茶を飲もうとして、ふいに問われた。
リディアは確信を得ているようなにこやかな笑顔で私の返答を待っている。
どうやら嬉しい気持ちが分かりやすく顔に出ていたらしい。
「ええ。もうすぐアレクシア様が帰ってこられるみたいで」
「そうですか! それは楽しみですね!」
私と同じように喜んでくれるリディアを見て、じわじわと実感が込み上げてくる。
手にしていたティーカップを置き、ドキドキと忙しくなる鼓動を押さえながら深く息を吐き出した。
「どうしよう……。なんだか緊張してきたわ……」
「お気持ちは分かります。ですが、旦那様が戻られるまでには、まだお日にちがあるのですよね? 今から緊張していたら心臓がもちませんよ」
「そうよね……。急な予定が入るかもしれないし……」
リディアの言う通り、帰れる目処がついたというだけで、まだ具体的な日にちまでは書かれていなかった。
アレクシア様のことだから、正式に決まったら手紙で帰る日を教えてくれるはず。
だけど、まだ先になるとはいえ、どうしても想像してしまう。
アレクシア様がここに帰って来る瞬間を……。
「移動だけでも十日以上はかかるでしょうし……って……マリエーヌ様? どうかされましたか?」
「え?」
「深刻そうなお顔をされているように見えたのですが、何かお悩みですか?」
相変わらずリディアは鋭いと思う。
……私が分かりやすいだけなのかもしれないけれど。
「悩みというか……アレクシア様がお戻りになるまでに、何か用意した方がいいのかなと思って」
「用意、ですか……? マリエーヌ様がお出迎えになられるのであれば、何も必要ないと思いますよ」
「だけど、きっとお疲れでしょうし……。何かアレクシア様の疲れを癒せるような物をご用意できないかしら……」
「癒し……」
ふむ……とリディアが思案するように口元に手を添える。
と、すぐに何か思いついたようにピンッと人差し指を立てた。
「でしたら、旦那様が戻られるまでにマリエーヌ様のお身体をピカピカに磨き上げましょう!」
「……え?」
リディアの提案に、思わずキョトンとしてしまう。
どうしてアレクシア様の疲れを癒すのに、私の身体を磨く必要があるのだろうか……?
けれど、リディアは自信満々の表情で、ずいっとこちらへ身を寄せた。
「もちろん、今のマリエーヌ様も十分お美しいのですが、世の中には女性をより美しくするためのマル秘アイテムがたくさんあるらしいのです。マリエーヌ様のためにと、旦那様が御用意されていたお金はたんまりと残っております。こうなったら頭のてっぺんから足のつま先まで、とことん美を追求し尽くしてマリエーヌ様の魅力を爆上げして旦那様をお迎えしましょう! そしたらきっと、私の給料も爆上がりするはず……」
そう言いながら、リディアは分かりやすく口元を緩ませる。
――リディア……本音が漏れてしまっているわ……。
正直すぎる侍女の提案に、私は少し首を捻る。
「だけど、そんなことが本当にアレクシア様の癒しになるのかしら……?」
「当然です! 更に美しくなったマリエーヌ様を見れば、ここ数ヶ月の疲れなんて吹っ飛ぶに決まっています! ちょうどその道に詳しい侍女がいるので、さっそく呼んでまいります!」
「あ……」
すっかりその気になったらしいリディアは、威勢良く部屋を飛び出してしまった。
一人部屋に取り残された私は、ひとまずティーカップに残っていたお茶を飲み干し、机の席に移動した。
引き出しから、書きかけていた手紙を取り出し卓上に置く。
文通を始めた当初は、手紙が届くたびに私も返事を書いていた。
けれど、さすがに毎日となると話のネタも尽きてしまい、一日のほとんどを机に向かったまま頭を抱える日々が続いた。
それを見かねたリディアが、半ば呆れ顔となり私に告げたのだ。
「旦那様のペースにマリエーヌ様が合わせる必要はないと思います。それに、毎日のように届く旦那様からのお手紙は、もはや手紙というよりも日記なのではないでしょうか? ……だとすれば、これはいわゆる逆ストーカーってやつですよ。自分の行動全てをマリエーヌ様に把握してほしいという押し付けです。……はっ。もしかして、自分は毎日のことを事細かに報告しているのだから、マリエーヌ様にも日々の出来事を詳しく教えてほしいっていう遠回しの要求ですかね⁉ え、こわっ……! マリエーヌ様! これはモラハラです! 旦那様は夫婦という立場とマリエーヌ様の優しさを利用して、マリエーヌ様に対して倫理観を度外視した過度な要求を突きつけているのですよ!」
リディアの考察が過熱したところに聞き慣れない言葉まで出てきて戸惑ったけれど、最終的には「マリエーヌ様が、旦那様にお伝えしたいことがあると思った時にだけお手紙を書けばいいのです」という話に落ち着き、ようやく肩の荷を下ろすことができた。
それでも時折はこうして手紙を書くようにしているのだけれど、最近は別の意味で手紙を書くのが辛くなっていた。
アレクシア様と離れ離れになってからの五ヶ月。
アレクシア様がいないというだけで、一日が過ぎるのをとても長く思えてしまう。
特にそう感じるのは、一人きりで過ごす夜の時間。
逃避行中はずっとアレクシア様と一緒に寝ていたからか、一人だけのベッドがやけに広く思えて落ち着かない。
それもそのうち慣れると思っていたけれど、今も夜はなかなか眠れなくて、知らず知らずのうちにアレクシア様の温もりを探してしまう。
要は寂しいのだ。
一人きりの夜が、寂しくて堪らない。
そんな日々の中、一人で手紙を書いていると、ふとした拍子に目を逸らしている自分の本音と向き合ってしまうことがある。
私は、書きかけの手紙の最後の一文に視線を落とす。
『はやく会いたいです』
それは自分の中に必死に押し止めていた本音が滲み出て、ペンの先から零れ落ちた言葉だった。
――だから、はやく帰ってきてください。
こんなことを書いてしまえば、それこそ無茶な要求を押し付けてしまうことになる。
アレクシア様は、レスティエール帝国の今後を左右する重大な任務にあたっているというのに、私一人の我儘で多くの方に迷惑をかけるわけにはいかない。
だから、『会いたい』『帰ってきて』という言葉を手紙に綴ったことはなかった。
アレクシア様は私の気持ちを優先してしまう方だから、私の心の綻びを見せてはいけないと。
椅子の背にもたれかかりながら、そっと目を閉じた。
瞼裏に現れたアレクシア様は、いつもと変わらない優しい笑みを浮かべている。
あんなにずっと一緒に居たのに、急に手の届かない遠い存在になってしまったような気がして……。
少しでも追いつきたくて、公爵夫人としてアレクシア様の隣に立っても恥ずかしくないよう努力を重ねてきた。
けれど、アレクシア様が帰ってきたとしても、すぐにまた遠くへ行ってしまうのではと、不安になってしまう。
――そうなってしまったら、私にアレクシア様を引き止める権利はあるのかしら……?
悶々と、物思いに耽ってしまい、どうしてもペンが進まない。
――やっぱり、最初から書き直そう。
アレクシア様を困らせないよう、もっと前向きで明るい話題で……。
寂しさなんて微塵も感じさせないような手紙を書こう。
そう気持ちを切り替えるためにも、自分の中に留まったままの消化不良の言葉をそこに綴った。
『早く帰ってきてください』と。
その手紙を廃棄しようとした時、ふと、遠くで声が聞こえた気がした。
「……?」
私は扉の方へと振り返り、パチパチと瞬きを二度繰り返し、首を傾げた。
――気のせいかしら……? 今、アレクシア様の声が聞こえた気がしたのだけど……。
寂しさのあまり、ついにアレクシア様の幻聴まで聞こえ始めてしまったのかもしれない。
軽く頭を振り、扉から目を逸らす――と。
「マリエーヌ!」
再び声が聞こえた。
――私ったら……また幻聴が……。
直後、ダァンッ‼ と、扉が物凄い音を立てて勢いよく開いた。
「マリエーヌ!」
「⁉ アレクシア様⁉」
突然、目の前に現れたアレクシア様の姿に、思わず目を疑った。
アレクシア様は両手を広げてこちらへ駆け寄ると、ぎゅっと私の体を抱き締めた。
「会いたかった……」
身動き一つ取れないほどきつく抱きしめられるも、私の頭はまだこの状況に追いついていない。
体を硬直させたまま、何も話せないでいると、体を締め付けていた圧迫感から解放された。
「すまない! 嬉しさのあまり、つい力が入ってしまって……」
アレクシア様が心配そうに私の顔を覗き込む。
――……アレクシア様だ……。
呆然としたまま、私は目の前のアレクシア様のお顔をジッと見つめた。
ルビーの如く美しい真紅の瞳は、瞬きすら忘れているかのように、私の姿を映し続けている。
ふいに、その瞳にスッと暗い影が落ちた。
「マリエーヌ……もしかして、僕が帰ってきて嬉しくないのだろうか……?」
しゅん……と悲しげに告げられて、私は慌てて手を振った。
「いえ……! ごめんなさい。あまりにもびっくりしすぎてしまって……。アレクシア様が帰ってくるのはまだ先だと思っていたので……」
「……ああ、そうか。君のもとに手紙が届くまでは半月ほどかかるからな。一週間前に帰国を知らせる手紙を送ったんだが、どうやらそれが届くよりも早く僕の方が先に着いてしまったようだ。一刻も早くマリエーヌに会いたくて最短ルートで帰ってきたからな」
アレクシア様は何でもないように言っているけれど、半月の道のりを半分にまで短縮してしまう最短ルートとはいったい……。
だけど、嬉しそうに私を見つめるアレクシア様を見ていると、そんな疑問もだんだんと薄れていった。
「ふふっ……アレクシア様らしいです」
本当に、アレクシア様が帰って来た。
今はただその事実が嬉しくて堪らない。
すると、アレクシア様は何かに気付いたように視線を床に落とした。
「何か落ちているようだが……」
そう言うと、身を屈めて床に落ちていた手紙を拾い上げた。
「あ……」
思わず手を伸ばす。
手紙の文面は、しっかりとアレクシア様の方へと向いていた。
「僕への手紙を書いてくれていたのか……」
嬉しそうにそう言うと、手紙に視線を落としていたアレクシア様の目が大きく見開かれた。
その反応から察するに、最後の一文を見られてしまったのだろう。
「マリエーヌ……」
切なげな眼差しで見つめられて、私はそっと視線を逸らす。
隠していた本音と今までの強がりを見透かされたようで、少し恥ずかしい。
「すまない。君に寂しい思いをさせていたというのに……今、僕は嬉しいと思ってしまった」
「え……?」
思わずアレクシア様へと視線を戻すと、アレクシア様は真っ赤に染まった顔を隠すように片手で覆っていた。
「いや……君からの手紙には、僕に会いたいとか、会えなくて寂しいとか、そういうものが一切書かれていなかったから……。てっきり、僕がいなくても平気なのかと思って、少し……いや、かなり寂しかったんだ」
「あ……」
言われてみれば、アレクシア様からの手紙には、『会いたい』『寂しい』という言葉が必ずといっていいほど綴られていた。
それを読んで、アレクシア様も私と同じ気持ちでいてくれるのだと勝手に安心していた。
けれど、私が書く手紙には、その言葉を一切綴らなかった。
……ということは……?
途端、サーッと血の気が引いていく。
「ご……ごめんなさい! 私、そこまで考えが回らなくて……! 本音を伝えてアレクシア様に迷惑をかけてはいけないと、そればっかり考えてしまって……」
「いや、いいんだ。君が僕や周りのことを考慮して我慢してくれていたのだと分かっているから。むしろ君の行動は正しかった。実際、君の本音を知ってしまったら、僕は目の前の仕事を放り投げてでも君の所へ向かっていただろうからな」
晴れやかな笑顔でそう言うと、「これは僕がもらってもいいだろうか?」と、手紙を愛おしそうに撫でた。
私が頷くと、アレクシア様は手紙を丁寧に折りたたみ、懐の内ポケットへと収めた。
ほんの数行しか書かれていない手紙を大切に扱ってくれるアレクシア様の姿に、胸の奥から愛おしさが込み上げる。
私がアレクシア様に手を伸ばすと、アレクシア様は私を迎え入れるように両腕を広げた。
その胸元に顔を埋め、アレクシア様の背中に手を回す。
「会えなくて寂しかったです。ずっと……お会いしたくて堪りませんでした」
「マリエーヌ……僕もだ」
アレクシア様が優しく、それでいて力強く私の体を抱き締める。
しばらくそうしていると、ふと、肝心なことをまだ言っていないことに気付いた。
突然の再会に、驚きのあまり言いそびれてしまった言葉。
「おかえりなさい……公爵様」
そう口にして、ようやく本当の意味での日常が戻ってきたのだと実感できた。
いつもご愛読いただき、誠にありがとうございます。
残り3話、最後まで見届けていただけると幸いです!




