25.お別れ sideマリエーヌ
三日後、私は護衛騎士であるガイゼンさんと共に皇宮を発つことになった。
出発の前に、お部屋で荷物の確認をしていると、ジーニアス君が訪ねてきた。
「マリエーヌさん、ごめんなさい。ちゃんとしたおもてなしもできないまま帰る日になっちゃって……」
皇宮に滞在している間、ジーニアス君は常に忙しそうで、顔を合わせることもほとんどなかった。
このまま挨拶もでずにお別れになったとしても仕方がないと思っていたので、突然の来訪に少し驚いた。
私は慌てて立ち上がり、姿勢を正す。
「とんでもございません。私の方こそ、ご多忙のところお部屋とお食事までご用意していただき、皇帝陛下には感謝しかございません」
深々と頭を下げて感謝を告げると、ジーニアス君はあからさまに苦い表情となった。
「……マリエーヌさん。今は誰もいないから、できればこれまで通り普通に話してほしい」
「ですが、皇帝陛下の御前ですので……」
いくら今まで対等な立場で話をしていたとはいえ、ジーニアス君はいまや正式な皇帝となった。
だから、さすがに今まで通りというわけにはいかないと思っていたのだけど……。
ジーニアス君は浮かない顔で首を横に振った。
「そんな風にされると、よそよそしい感じがするっていうか……急に距離を取られたように思えて、僕が嫌なんだ」
拗ねるような口調で告げられて、思わずハッとする。
そう言われてみれば、私もリディアからそんな風に改まった態度で接せられたら、寂しい気がする。
すると、アレクシア様が私の肩にぽんと手を置いた。
「ジーニアスの言う通りだ。マリエーヌがわざわざ態度を改める必要はない」
「僕としては、あなたにこそ態度を改めてほしいんだけど……」
不服そうにジーニアス君が口を尖らせる。
それをアレクシア様は完全に無視した。
どうやらアレクシア様も、ジーニアス君に対する態度を改めるつもりはないらしい。
今までと変わらない二人の様子を見て、ふっと肩の力が抜けた。
確かに、私たちには今まで通りの関係が合っているのかもしれない。
「じゃあ、他に人がいない時には今まで通りにするわね」
そう譲歩すると、ジーニアス君はほっとしたように微笑んだ。
けれど、その表情にあまり力がない。
見るからに、相当疲れているのが分かった。
「ジーニアス君、大丈夫? ちゃんと休めてる?」
「うん、一応。寝る時間は確保してもらってる。だけど、覚えることが多いから、寝てもいられなくて……」
「そうよね……。今まで普通に暮らしていたのに、いきなり皇帝だなんて……」
新たな皇帝となったジーニアス君には、宰相を始めとする優秀な側近たちが補佐としてついている。
だとしても、皇帝としての重責は計り知れない。
「でも、自分で決めたことだから、やるしかないよ。それに、僕はもう一人じゃない。兄さんがいるから」
「そういえば、今もルディオス君とは会話ができているの?」
「うん。できているし、今も僕たちの話を聞いているよ」
「そうだったのね。ルディオス君も、お疲れ様」
ジーニアス君の内側にいるルディオス君に声を掛けると、少し間を置いて、ジーニアス君が小さく笑った。
「どうもって言ってる。兄さんと変わってもいいんだけど、今は疲れてるから休みたいって。さっきまで赤い瞳を見せてみろって、頑なに言ってくる人たちの相手をしてたから」
「え? そんな人たちの相手までジーニアス君たちがしているの?」
連日、皇宮には新たな皇帝との謁見を求め、大勢の人たちが押し寄せているという。
その中には、ジーニアス君が新たな皇帝となったことに不満を抱いている人もいるのだろう。
「前の皇帝なら門前払いだっただろうね。あの口の利き方なら、不敬罪を突きつけられてもおかしくなかっただろうし。でも、僕を良く思っていない人たちを一方的に排除するのは、前皇帝とやってることが同じになっちゃうから。どんな相手でも、まずは話を聞こうと思ってる。それに向こうだって、何も知らされないまま、一夜にして皇帝が変わったわけだし。しかも、その皇帝となった人物が、いるはずのない第五皇子だっていうんだから。僕が逆の立場でも、文句の一つや二つ、言いたくなるよ」
「それはそうかもしれないけれど……危険じゃないの?」
「もちろん、警備体制は整えているし、近いうちに正式な近衛騎士も決まると思う。それに、兄さんもいるしね」
それは確かに頼もしい。
ルディオス君なら、ジーニアス君の体に指一本触れさせないだろう。
「そう……。本当に、立派だと思うわ」
「全然。やっぱりまだ分からないことだらけだよ。今後の帝政の構想についてとか、北部の支配地の分配についてとか、問われてもうまく答えられなかった。宰相や側近たちがうまくフォローしてくれるけど、相当舐められてるよ。僕が答えられないって分かってて、あえてそういう質問をぶつけてくるから」
その時を思い出したのか、ジーニアス君は眉間に深い皺を刻む。
「でも、悔しいけど、向こうが言っていることも間違っていない。皇帝である以上は、説明責任は果たさなければいけない。今は暴虐の皇帝を退けた英雄だなんてもてはやされているけど、それも長くは続かない。ちゃんとした功績を重ねないと、すぐに無能の皇帝として認識されるだろうしね。理想を語るのは簡単だけど、説得力を持たせるには、もっと現実的なことを考えないと……」
そう言いながら、ジーニアス君は思案顔となり、ぶつぶつと何か呟き始めた。
きっと、考えなければならない課題も多いのだろう。
やっぱり私から見れば、ジーニアス君は十分立派だと思う。
「ジーニアス。僕からもお前に言いたいことがある」
「え? ……まさか、今更北部へ行くのをやめるとか言わないよね……?」
「北部へは行く。ただし、マリエーヌ宛ての手紙を届けるための早馬はそっちで用意しろ」
「ああ、そういうことなら……」
「最低でも三十は必要だ」
「さ……」
目を丸くしてジーニアス君が固まった。
私も思わず耳を疑う。
「三十って……。手紙を届けるためだけに、それだけの人間と馬を用意しろっていうの?」
「当然だ。マリエーヌへの手紙は毎日書く。たとえどこにいたとしても、すぐに手紙を送れる準備は整えておきたい」
「嘘でしょ……」
ジーニアス君は疲れ切ったようにがっくりと項垂れた。
けれど、すぐに勢いよく顔を上げ、垂れ落ちた前髪を慣れた手つきで搔き上げた。
「仕方ねぇな。そんなに言うならこっちでなんとかしてやるよ」
「ルディオス君!」
赤い瞳を見て、思わず声を上げた私に、ルディオス君は「ども」と軽く手を挙げる。
「その変わり、向こうではみっちり働いてもらうからな。あと、ジーニアスも慣れないことばっかやらされて疲れてんだから、余計な心労をかけるんじゃねぇよ」
「余計ではない。大事なことだ」
「へえへえ」
軽く受け流しながら、ルディオス君は背もたれに体を預ける。
疲れているから休みたいと言っていたのに、こうして表に現れたのは、弟の負担を少しでも軽くしようという兄としての優しさなのだろう。
「ルディオス君も、相当お疲れのようだけど、大丈夫?」
「ほんっと、もう毎日くたくたなんだよ……。ジーニアスはなかなか寝てくれねぇし。あーもー……なんも考えたくねぇ……」
そう言うと、ズズズッと背もたれから体を滑らせる。
虚ろな眼差しが宙へと向かう。
そのまま眠ってしまうのかとも思ったけれど、急にルディオス君の顔つきが変わった。
「でも、まずはここをなんとかしねぇとな。母さんのためにも」
どこか遠くを見つめる赤い瞳には、海を越えた先にある大陸で暮らすアキさんの姿が映っているのだろう。
そもそも、二人が皇帝の座を目指した理由は、母親代わりとして愛情を持って育ててくれたアキさんを守りたいという、切実な想いからだった。
アキさんが暮らすディーランド大陸では、大陸統一を掲げる勢力が侵攻を進めている。
戦火は少しずつ規模を増しており、いずれはアキさんが暮らす地にまで到達するという。
アキさんは、戦死した旦那様から託された宿をずっと守り続けてきた。
それは、愛する旦那様を失ったアキさんにとって、生きる理由にもなっていた。
今でこそ、ジーニアス君やルディオス君の存在がアキさんの支えになっているけれど、もしも戦火が迫り、宿を手放さざるを得なくなった場合、アキさんの心は深く傷つくだろう。
二人は、アキさんにそんな想いだけはさせたくなかったのだ。
レスティエール帝国の皇帝となり、軍を動かすほどの力を得れば、その侵攻を抑止できると二人は考えた。
恩人であり、家族でもあるアキさんと、アキさんが大切にしているものを守るために、皇帝という途方もなく重い座に就く覚悟を決めたのだ。
「アキさんとは連絡を取っているの?」
「一応、手紙の返事は書いたけど、俺らが皇帝になったってのは、もう少し伏せるつもりだ。あんまり心配かけさせたくねぇしな。でも、いつかは本当のことを話して、母さんをここに招待したいと思ってる」
「そう……。二人の正体を知れば、きっとアキさんも驚くと思うわ」
「だろうな。でもよ、だとしても母さんはなんも変わんねぇだろうな。周りに迷惑かけんなって、いつもの調子ではたかれるんだろな」
懐かしそうに言いながら、ルディオス君は嬉しそうに笑っている。
アキさんのことを話す時、ルディオス君もジーニアス君も、少しあどけない笑顔になる。
二人とも、アキさんのことが大好きなのだろう。
「そんなに叩かれたいなら、僕がいくらでも叩いてやるが」
「俺に愛情のねえ奴から叩かれたいとは思わねぇよ」
二人が軽口を叩き合っていると、扉がノックされた。
「失礼いたします。……やはり、こちらにいらっしゃいましたか。皇帝陛下」
グレイソンさんの姿を見た途端、「げ……」とルディオス君が声を漏らす。
「勝手にいなくなられては困ります。すぐに謁見の間へお戻りください」
「いいじゃねぇか。少しくらい。どうせ会ったところで遠回しに嫌味言われて終わりだろ。少しぐらい待たせてやりゃいいんだよ」
「なりません。そういう相手こそ、こちらは毅然とした態度で迎えなければなりません。待たせるなどもってのほかです。すぐに戻りましょう」
それでもルディオス君はソファにもたれかかったまま動こうとしない。
見かねたアレクシア様がルディオス君の襟首を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「……! げほっ……げほっ……! なにすんだよ!」
「いいからさっさと行け」
首を抑えながら睨むルディオス君に、アレクシア様は冷たく言い放つ。
「おい! グレイソンも見てねぇでなんとか言えよ! どう見ても皇帝に対する扱いじゃねぇだろ! 不敬罪でしょっぴけよ!」
「ウィルフォード卿。お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「お前どっちの味方だよ!」
グレイソンさんはルディオス君の声には耳を貸さず、アレクシア様に一礼すると、今度は私へと向き直った。
ジッとこちらを見つめるグレイソンさんは、なんとなく、ハレイヤ国で会った時と雰囲気が違うように見えた。
「マリエーヌ様。このたびは多大なるご助力を賜りましたこと、心より御礼申し上げます」
「え? あ……いえ。こちらこそ、今まで大変お世話になりました」
深々と頭を下げられたので、私も慌てて腰を折った。
「マリエーヌ様は本日、お戻りになられるとのことで。道中、何卒お気を付けてお帰りくださいませ」
「はい。グレイソンさんも、どうかお体を大切になさってください」
私の言葉に、グレイソンさんは軽く目を見張る。
その瞳が、恍惚の色を滲ませた。
「私なぞには、あまりにも勿体ないお言葉にございます」
ことさらに礼を尽くそうとするグレイソンさんの態度に、若干の違和感を覚える。
グレイソンさんは一層恭しく頭を垂れ、
「これ以上はお邪魔となりますゆえ、私はこれにて失礼いたします」
と告げると、音もなく部屋を後にした。
「……アレクシア様。グレイソンさんの様子が以前と違うような気がするのですが……何か心当たりがございますか?」
「そうか? 前もあんな感じではなかったか?」
アレクシア様は思い当たる節がないようだけれど、気のせいだと割り切るよりも、よく分からない不気味さの方が勝った。
すると、ルディオス君が服の皺を伸ばしながら「いや、それがよぉ……」と、口を開いた。
「あいつ、たまに懐からマリエーヌさんにそっくりな像を出して見つめてんだよ。すっかりマリエーヌ教の信者になっちまったみてぇでさ。そのせいか、俺に対する扱いがずさんになってんだよ。ここへ来たのも、どうせ俺を探す口実でマリエーヌさんに会いに来たんだろうし。あいつ、早くどうにかした方がいいぞ」
「そうか。そのような不埒な目で見るようなら、奴のマリエーヌ女神像は没収せねばなるまい」
――まさか、あの像がグレイソンさんの手にまで渡っていたなんて……。っていうか、マリエーヌ教って何……⁉
小さく頭を抱えながら、以前、アレクシア様が言っていたことを思い出す。
つまり、グレイソンさんも聞かされたのだろうか。
アレクシア様が書き綴ったという小説三冊分にも及ぶ私の話を……。
ルディオス君は両手を挙げて大きく背伸びをすると、「おっし」と、気合を入れる。
「んじゃ、マリエーヌさん。今まで世話になったな。こっちが落ち着いたら、また改めて遊びに来てくれよ」
「ぜひ、そうさせてもらうわ。またね、ルディオス君」
直後、スッと赤い瞳が青色へと変わった。
ジーニアス君が私を見て目を細める。
「じゃあ、マリエーヌさん。しばらくこの人を借りることになるけど、なるべく早く返せるようにするから」
アレクシア様が「人を物のように言うな」と、ジーニアス君を睨む。
けれど、それをジーニアス君は完全に無視した。
「あと、兄さんも言っていたように、いずれは母さんをここへ招こうと思う。だから、その時にはぜひマリエーヌさんにも来てほしい」
「まあ……いいの?」
「もちろん。母さんも喜ぶと思うから」
「嬉しいわ。私もアキさんと会いたいと思っていたの。その日が来るのを楽しみにしているわね」
「うん。本当に今までありがとう。マリエーヌさん。どうかお元気で」
「こちらこそ。あまり無理しすぎないように、体に気を付けてね、ジーニアス君」
笑顔で別れの挨拶を交わし、廊下を駆けていくジーニアス君の背中を見送った。
その後、私は直前になって馬車に乗り込もうとするアレクシア様をなんとか説得し、ガイゼンさんと共に皇宮を発った。




