24.これからのこと sideマリエーヌ
ジーニアス君が皇帝として即位したその日から、私たちはしばらくの間、皇宮に滞在させていただくことになった。
今の公爵邸は、行方を晦ましたアレクシア様の手掛かりを探すため、帝国軍によって荒らされた状態らしく、元の状態に戻すまでしばらく時間がかかるらしい。
とはいえ皇宮の中もまた、今回の騒動による混乱は続いており、宰相とグレイソンさんは息をつく間もなく後始末に追われていた。
新たな皇帝となったジーニアス君も、彼らの後を付いて動き回っていた。
一方、公爵様はウィルフォード騎士団と共に、帝国騎士団の動きに注視していた。
洗脳から解放され、正気を取り戻した騎士たちが、これまでに自分たちの身に起きていたことを知り、怒りや混乱から暴動を起こしかねないらしく、新たな争いの火種を生まないためにも慎重に対処する必要があるのだという。
私はというと、皇宮に滞在している間は自由に使ってほしいと、豪華な客室を一室あてがわれた。
書棚には様々な分野の書物がびっしりと敷き詰められており、私は本を読んだり、私の趣味が刺繍だと知った侍女が道具を持ってきてくれたおかげで、久しぶりに刺繍を嗜んだりして過ごしていた。
時にはアレクシア様が皇宮内の庭園へ誘ってくれたので、少し足を伸ばすこともあった。
けれど、依然として皇宮内では大勢の人たちが慌ただしく行き交っており、何の力にもなれない自分がうろうろとしているのが申し訳なくて、私はなるべく客室で大人しくしていることにした。
今回の騒動については、帝都を中心として、あっという間に帝国中へ知れ渡ることになった。
皇宮への襲撃、前皇帝の失踪、長らく隠されていた第五皇子の存在、そして新たな皇帝の誕生――と、それらの情報が一気に明るみとなり、帝国民たちは大いに沸き立った。
各地では号外が飛び交い、同時に様々な憶測も流れた。
アレディオス皇帝は失踪したのではなく、すでに殺されているのではないか。
アレクシア様がレスティエール帝国を掌握するため、第五皇子を唆したのではないか。
そもそも第五皇子は、本当にアレディオス皇帝の血を引いているのか。
アレクシア様曰く、そういった根も葉もない噂を口にしているのは、ジーニアス君が皇帝になることを快く思わない一部の貴族派閥くらいで、帝国民の多くは今回の件を吉報として受け止めているらしい。
というのも、同時に公表された、前皇帝による罪科の数々があったからだ。
実の父親を殺害し、帝位を簒奪したこと。
その帝位を脅かす存在として、四人の皇子の暗殺を企てたこと。
更には前公爵夫妻を事故に見せかけて殺害したこと。
他にも、長いあいだ闇に葬られてきた悪行の数々が白日の下にさらされた。
むしろ、そちらの方が大々的に取り上げられたのもあって、暴虐の皇帝を退け、新たな皇帝として君臨したジーニアス君は、帝国民にとっては救いをもたらした英雄のような存在に見えているのだという。
「ひとまず、印象操作はうまくいたようだな」
そう静かに告げたアレクシア様は、まるでこうなることを最初から分かっていたかのようだった。
「義姉さん、少しいいか?」
皇宮に滞在し始めて五日目の夜、夕食を終え、お部屋でアレクシア様と話をしていると、レイモンド様が訪ねてきた。
「こんな時間に、マリエーヌに何の用だ?」
「ああ、兄さんもいたのか。それならちょうど良かった」
ムスッとする公爵様をレイモンド様は軽く受け流し、早々に本題へと入った。
「急で申し訳ないが、僕は明日の早朝、ここを発つことになった。だから兄さんたちとはここでお別れだ」
「え……? リディアには会われないのですか?」
てっきりレイモンド様は、私たちと一緒に公爵邸へ戻るものだとばかり思っていた。
レイモンド様が、アレクシア様の身代わりとなって帝国軍に連行される――という作戦はリディアも知っている。
だから彼女もきっと、レイモンド様のことも心配していたと思うし、無事な姿を見せてあげれば安心すると思っていたのだけど……。
レイモンド様は、少し残念そうに笑った。
「できることならそうしたかったが、ここから公爵邸へ向かうとなると、自領とは逆方向になってしまうからな。長く留守にしていたとはいえ、僕にも領主としての責務がある。個人的な都合で、これ以上帰るのを先延ばしにするわけにはいかない」
「……そう、ですか」
ここ数ヶ月、レイモンド様も同じ屋敷の中で暮らしていたからか、一緒に帰るのが当たり前のように思っていた。
けれど、伯爵位を持つレイモンド様には、守らなければならない領地があり、そこに暮らす領民たちがいる。
レイモンド様には、レイモンド様の帰る場所があるのだ。
少しだけ寂しい気持ちに駆られるも、ぐっと自分の奥に押し込めた。
「ただ、義姉さんに頼みたいことがあるんだ。これをリディア嬢に渡してほしい」
そう言うと、レイモンド様は一通の封筒を私に差し出した。
リディアへ宛てた手紙だ。
「返事は構わない、とだけ伝えてほしい」
「分かりました。私から必ずリディアへお渡しします」
手紙を受け取ると、レイモンド様はちょっとだけ照れるように笑った。
リディアと再会したら、真っ先にこの手紙を渡そうと思う。
「じゃあ、僕はもう戻るよ。二人の時間を邪魔するわけにはいかないからな。明日は早いから挨拶は控えるが、義姉さんも帰る時は気を付けて」
もっとお話ししたいことはあったけれど、別れが余計に辛くなりそうで、
「はい。レイモンド様もお気を付けてお帰りください」
と、無理に引き止めはしなかった。
またいつか再会した時に、ゆっくりお話できる機会はあるはず。
「あと、兄さんも……。体には気を付けて」
「……ああ」
少しぎこちない別れの挨拶を交わし、レイモンド様は背を向けた。
「レイモンド」
歩き出そうとしたその背中を、アレクシア様が呼び止める。
足を止めたレイモンド様が振り返るよりも先に、さらりと告げた。
「ありがとう」
「……」
振り返ったレイモンド様は目を丸くしたまま、ポカンと口を開けて固まってしまった。
まるで信じられないものでも目にしたかのように、瞬きすらしていない。
「なんだその顔は」
「……いや、驚き過ぎて……。まさか、兄さんの口から感謝の言葉を聞く日が来るとは……髪を切った甲斐があったな」
感慨深くそう言いながら、レイモンド様は短くなった髪を搔き上げた。
「そういえば、髪はまた伸ばされるのですか?」
「ああ、そのつもりだ。あまり兄さんに似すぎると、嫌がる人がいるからな」
誰かを思い出すようにそう言うと、レイモンド様は嬉しそうに頬を赤らめた。
レイモンド様とお別れして、更に一週間が経った頃、公爵邸に戻れるようになったとアレクシア様から告げられた。
驚いたことに、ジェイクさんはすでに公爵邸へ戻っているとのことで。
私は全く気付かなかったけれど、どうやらジェイクさんも帝国軍の騎士として紛れ込んでおり、私たちと同じ場所で戦っていたらしい。
そしてジーニアスくんが皇帝に即位したのを見届けた後、すぐに公爵邸へと向かったのだという。
こんなに早く公爵邸へ戻れる準備が整ったのも、ジェイクさんのおかげだった。
ハレイヤ国に滞在中のリディアたちにも、すでに迎えの船を向かわせているようで、彼女たちとの再会を心待ちにしている私は、すぐにでも公爵邸へ帰りたくなった。
けれど肝心の公爵様は、まだ帰れる状況ではない。
それどころか、近々、ウィルフォード騎士団を率いて大陸北部へ赴いてほしいと、皇帝陛下からの要請があったらしい。
現地で起きている紛争をいち早く鎮めるためにも、アレクシア様とウィルフォード騎士団の協力が必要なのだという。
「マリエーヌが反対するなら、僕は今回の要請には応じないつもりだ。君と一緒に公爵邸へ帰る方を優先する」
そうアレクシア様は言ってくれた。
本音を言えば、そうしてほしい。
私と一緒に公爵邸へ帰りましょう、と、今にも言葉が飛び出しそう。
けれど、その本音をぐっと喉の奥に呑み込んだ。
「アレクシア様は、行くべきだと思います。アレクシア様の助けを必要としている人たちのためにも……」
たとえ私たちの戦いが終わったのだとしても、大陸北部では、今もなお争いが続いている。
そこでは多くの血が流れ、命が失われ、それが更なる怒りや悲しみを生みだし、もはや果てがないのだ。
そんな悲しみの連鎖を、もしもアレクシア様が止められるのなら、私はその背中を押すべきだ。
「私は、公爵邸でアレクシア様が無事に帰ってくるのをお待ちしております。いつでもアレクシア様を迎え入れられるように、アレクシア様の帰る場所をお守りしています。……ですから、必ず帰ってきてください」
アレクシア様は少しだけ寂しそうに私を見ていた。
けれど、すぐに「分かった」と静かに告げた。
「必ず君のもとへ帰る。約束だ」
アレクシア様がそっと私に小指を差し出す。
その小指に私も自分の小指を絡め、しっかりと約束を結んだ。




