20.欠陥品
sideルディオス
(ジーニアス⁉)
「いいから、僕に任せて」
突然の入れ替わりに動じる俺に、ジーニアスは小さな囁きを返し、顔を上げた。
視界に映し出された皇帝は、ジーニアスを見るなり唖然と口を開いた。
「どういうことだ……? なぜそうも瞳の色が変わるのだ⁉」
そんな反応を面白がるように、ジーニアスは目を細めた。
「どうも。僕があなたの五番目の息子だよ。こうして対面するのは初めてだけど」
あえて名乗らないのは、この男に名前を呼ばれるのが嫌だからだろう。
それほどジーニアスの皇帝に対する憎悪は凄まじかった。
今も顔を見ているだけで吐き気を催すほどだ。
「ふざけるな! 私に五番目の息子は――」
「いないんだよね。僕もそれには賛同するよ。僕だってあなたを自分の父親だと思ったことはないし、あなたの息子だと思われるのも死にたくなるほど嫌だから」
これ見よがしに毒づきながらも、ジーニアスは貼り付けた笑みを全く崩さない。
自分の弟ながら、その腹黒さには少しゾッとした。
「だけど、僕はあなたに感謝しているんだよ」
「……?」
あからさまに眉根を寄せる皇帝を嘲笑うかの如く、ジーニアスは笑みを深める。
「あなたがいたから、僕たちはここに存在できている。僕は兄さんの弟として生まれ、兄さんと出会えた。かけがえのない時間を、ここで兄さんと一緒に過ごすことができた」
――ジーニアス……。
幼き日の記憶を巡らせるジーニアスの感情が、俺の中にも流れ込んでくる。
俺と過ごした何でもない日々の中に、ジーニアスはこの上ない幸せを感じていた。
その幸せが、当たり前ではないと知っているからこそ、感じることのできる喜びだ。
「それに、兄さんだけじゃない。僕は他にも、いろんな人と出会うことができた。血の繋がりはなくても、本当の息子のように僕を愛してくれる人がいる。ふかふかのベッドで眠る気持ち良さを知れたし、僕のために用意された温かいご飯の美味しさや、身体の芯まで染み渡るような温泉に浸かる極楽を知れた。僕が道を踏み外しかけた時には、それを正そうと真剣に向き合ってくれる人だっている」
生き生きとした表情で語るジーニアスとは相反して、皇帝は至極つまらなそうな顔をしている。
「何が言いたい……?」
温度のない声で問われ、ジーニアスは大袈裟に両手を広げると、邪気のない満面の笑みで答えた。
「生きているって、本当に素晴らしいね。おとうさん」
次の瞬間、皇帝の顔から表情が消えた。
「ぶふっ……はっはははは!」
感情の昂ぶりからか、無意識のうちにジーニアスと入れ替わっていた。
腹を抱えて盛大に笑い出した俺を見て、皇帝は意表を突かれたように目を丸くしている。
だって、可笑しいだろ。
あのジーニアスが……自分の生を否定し続けてきたジーニアスの口から、生きているって素晴らしいなんて言葉が出てくるなんて、誰が想像できるかよ。
そんな風に、ジーニアスが言える日が来るなんて……。
――良かった……本当に……。
ふいに、苦しかった日々の記憶が頭の中を駆け巡った。
俺たちがレスティエール帝国を離れて、見知らぬ土地で路地裏生活を始めたばかりの時だ。
俺は、ジーニアスが思っているほど強い人間じゃない。
わざと口調を尖らせて強気でいるのも、そうやって弱い自分を覆い隠そうとしていたからだ。
本当の俺は、自分に自信が持てなくて根性もない、どうしようもなく泣き虫で情けない奴だ。
――お前は知らないだろうが、俺だって、何度もこの命を手放そうとしたんだ。
たくさん殴られて、傷つけられて、痛くて苦しくて惨めで……毎日のように泣いていた。
こんなことばかりが続く世界で、生きる意味なんて見出せなかった。
こんなにも救いのない人生を生きるくらいなら、あの時死んでいた方が良かったんじゃないか。
俺のせいで、余計にジーニアスを苦しめているんじゃないかって、自分が間違えているような気がして不安で仕方なかった。
それでも、弱い自分を弟にだけは見せたくなかった。
弟の前でだけは、俺は弟が憧れる強い兄でいなければならなかった。
だから、必死に抗い続けた。
弱い自分と、残酷な現実に。
たった一人の弟を守るためだけに。
そんな俺の独りよがりな想いが、今、弟の言葉を聞いて報われた。
俺は間違えてなかったんだ。
守り続けて良かった。
このたった一つしかない尊い命を――。
「ほんと、最高だよなぁ! ジーニアス!」
大袈裟に笑いながら、ボロボロと目尻から涙が零れた。
この涙の意味に、誰も気付かなければいい。
いや、もしかしたらジーニアスにだけは気付かれているかもしれない。
俺の今の感情は、ジーニアスにも伝わっているだろうから。
この先、二人でこうして生きていくのであれば、弱い自分を弟にも見せてしまうかもしれない。
だけど俺は、お前がいる限り、何度でも強い兄に戻れる気がするんだ。
「何がおかしい! この欠陥品が!」
鬼の形相をした皇帝が怒号を放つ。あんなにも恐れを抱いていた父親の姿は、今はすっかり老け込んでいるように見えた。
ついさっきまでは、もっと威圧を放っていたように見えたはずだが、気持ち次第でこんなにも違って見えるのかと思うと、ちょっと笑えた。
――何を恐れていたんだろうな、俺は……。
「なんだよ。さっきから欠陥品ってうるせぇなぁ。人間なんて、みんな同じようなもんだろ。完璧な状態で産まれてくる奴なんていねぇんだよ。生きながら、自分に足りないところを少しずつ補っていくんだ。途中で間違えたとしても、またやり直せばいいだけじゃねぇか」
俺も、ジーニアスも、まだまだ足りないところはたくさんある。
だから俺たちはこれからも、いろんな刺激や気付きを得ながら補い続けていくんだ。
「俺から言えば、あんただって欠陥だらけだ。でも、あんたはそのことに気付いちゃいねえ。可哀想に。あんたの周りの人間はみんな知らないふりをして、あんたに何も教えてくれねぇんだろうな。だからあんたはずっと変わらない。初期段階の欠陥品のままだ」
「黙れ!」
ガンッと、皇帝の拳が肘掛けを叩いた。
それは一度だけに留まらず、まるで鬱憤を晴らすかのように、ガンッガンッと何度も拳を打ち続けている。
「やはりお前たちは皆殺しにするべきだった! 私の権威を奪おうとする卑しいハイエナどもが!」
「あんただって、自分の父親を殺してその座を奪ったじゃねぇか!」
「だからこそだ! そなたが私の血を引いておるのなら尚更、生かしてはおけぬ!」
血走った瞳は赤みを増し、ドロドロとした憎悪で濁っている。
結局この男は、自分が奪った側の人間だからこそ、自分の息子もそういう目でしか見ることができなかったのだろう。
いつか自分の権威を奪うために息子が殺しにくる、と。
そんな妄想に取り憑かれていたのかもしれない。
皇帝の手が玉座の手すりを強く掴む。
「渡さぬ……。誰であろうと、この地位は絶対に渡さぬ! これは私のモノだ! 私だけのモノなのだ! 誰にも奪わせてなるものか! 殺せ! この者は帝国の脅威となる存在だ! 今すぐ殺してしまえ!」
帝国軍の騎士たちの士気が高まり、再び激しい喧騒に包まれる。
(兄さん……)
俺を気遣うジーニアスの声が、少し湿って聞こえた。
俺の父親に対する想いや、ずっと秘めていた苦い感情も、きっと全部知られちまったんだろうな。
「ああ、ジーニアス。心配すんな」
敢えて何でもないように言ってみせる。
だが、その言葉に嘘はない。
今の俺は清々しいほど全てに対して吹っ切れていた。
「俺ももう、あの男を父親とは思ってねぇよ。あの男は欲にまみれた、ただの怪物だ」
腰に帯びていた剣を引き抜き、構えた。
「だからもう、ここで終わらせようぜ」
父親との因縁、悲劇の連鎖、帝国の腐った風習、全てをこの手で断ち切るために。




